第31話 暮れかけの空

 翔は、重いベースを背負っていたせいか、そんなに走れなかったようで、克己は五分とたたずに追いついた。


「翔っ! あんなの気にすんな!」


 のろのろ歩いていた翔の左肩に手を置きながら、克己は翔の足を止めさせる。


「うっせえ。今は一人にさせろや」


 翔は振り返らず、肩に克己の手が食い込んでいるのを気にする素振りもないまま再び歩き出そうとした。

 ただならぬ翔の様子に、克己は嫌な予感がして、恐る恐るその言葉を口にした。


「なあ翔、バンド、やらないなんて言わないよな?」

「……言うよ。俺にはやっぱり部不相応だったんだ。バンドなんてやるべきじゃない」

「やるべきじゃない、ってことは、やりたくないわけじゃないんだよな?」


 食い下がる克己に苛立ったのか、肩に置かれた手を払い、翔は声を荒げた。


「同じだろ! やりたくねぇんだよ! そもそもやるつもりはなかったんだ! 場違いなんだよ俺は! お前等とは違うんだ!」


 それだけ言って、克己に背を向け歩き出す。

 克己は、また、翔の肩をつかんだ。

 終わらせねぇ。こんなことで、終わらせてたまるか。


「翔、言ったじゃねぇか。氷上さんの歌声に惚れてバンドやりたくなったって。それはウソだったのか?」

「ウソじゃねぇけど、だからなんだって話だよ。俺なんかが氷上やお前みたいのと絡むこと自体、思い上がったことだったんだよ。わかんだろ、日陰者はお前等みたいなのと関わっちゃいけないんだよ!」

「わっかんねぇよ! 何が違うってんだ! 少なくともオレは違うだなんておもわねぇ! そっちが勝手に壁作ってるだけだろうが!」

「……っ!」


 翔は言葉に詰まり、口ごもる。

 通行人がこちらを迷惑そうな顔で見ている。道のど真ん中で怒鳴り合っているから注目を集めるのは当たり前だった。

 そこでやや冷静さを取り戻した翔が、近くの公園で話をしないかと克己にもちかけ、克己もそれを了承した。

 小さい頃、よく翔、克己、優子の三人で遊んだ公園。

 その公園に設置されている、唯一のベンチの端と端にそれぞれ座る。

 翔は先ほどのトラウマの残滓のせいで、顔をあげることができず、長い前髪を垂らしながらうつむき。

 克己は、両手をベンチにつき、空を眺めた。


「なぁ翔。お前のバンドやりてぇって気持ち、弘子と沙紀にくだらねぇこと言われたくらいで失せちまうもんなんかよ」

「……お前だって覚えてるだろ。中三ん時の、あの事件」

「ああ。当日オレはその場にいなかったけど、クラスんやつに聞いたよ。でもさ、翔、家でよく言ってたじゃんか。ビッ○ども○ねとか、低脳ども乙、とか。俺は全然平気だ、とか」


 三年前のことだが、克己はよく覚えていた。中学三年生の一学期はじめ頃。

 翔が、友達にアニメのブルーレイディスクを貸そうと学校に持ってきたことが、弘子と沙紀にバレたのだ。それ以来、翔はことあるごとにネタにされ、あだ名はキモオタになってしまった。


「ああ今でも思ってるさ! アホだろこの時代にあんな暴言投げかけてくるとかこっちがもっと他にも録音とかしといてあらゆる法を駆使して社会的に報復してやることもできるしやつらのSNS特定して嫌がらせだってできる。そういうリスク考えないからバカなんだ。愚か者どもめ。やつらはもちろん憎いし、やつらに何か言われても、耐えられる。けどな、けど……当時、友達だと思ってた奴らに距離を置かれたのは、ああああくそっ、自己保身しか考えられない弱虫どもが! あんなやつら友達でもなんでもなかったわむしろそれぐらいで縁切れるような人間関係いらねぇわクソ。クソクソクソ」


 翔はうつむいたまま、声を張る。

 克己は、当時、翔がよくつるんでいた連中に対し、家で『あんな状況になったら、自分も標的にされちまうって考えて、離れるのが当たり前だ。一緒に矢面に立つなんてそうそうできない』と、擁護するようなことを言っていた。

 克己は、翔のクラスでの諸々について、一切触れてこなかった。だから、翔が抱えていた想いを知ったのは、これがはじめてだった。


「翔。お前があいつらをどんな風に想ってるかは分かった。けどな、それとバンドをやらない理由がどうつながる? 幸いにもあの二人は同じ高校じゃない。関わりはもう薄いんだ」

「つながるよ。大いにな。あのクソアマどものおかげで、学校の中で人間関係を結ぶことがいかに無駄なことか悟った俺は、教室内じゃ空気みたいな存在になることに決めた。そんなやつがなぁ、文化祭でバンドなんかやってみろ? くっそ微妙な空気になるか、イキッてんなあいつって笑いものになるかだ。やっても意味ない、どころかマイナスだ。文化祭の出し物なんて、教室内で立場を認められてるリア充とか陽キャしかでちゃいけないとこなんだよ」


 低い声で、ポツポツと。

 心なしか、怒っていた時よりも、肩を落としているように見えた。


「自分が、やりたいって気持ちが大事なんじゃねぇの。周りの目ばっかり気にしてても仕方ないだろ。それじゃ、後で後悔することになっちまう」


 ダメだ、やっぱりお前は俺とは住んでる世界が違う。

 翔は克己の言葉を遮りながら、立ち上がった。

 そして、眉間にしわをよせ、克己を真っ直ぐにらみながら言葉をつなげていく。


「周りなんて気にせずやりたいことをやれだと? それは強者の台詞だ! 悪意や、嘲りの視線にさらされたことのない人間の言葉だ! いいよなぁ、誰にでも好かれるやつは! 好かれる顔、好かれる性格、好かれる趣味……明確に、俺たちは区別されてんだ」


 噴き出した。今まで積もり積もった劣等感が、口をついて。

 翔は激昂したのち、鎮火したように、静かにうなだれた。


「…………」


 克己は、翔の言葉を受け、口を真一文字に結んだ。

 ダメだ。今、口を開くことはできねぇ。

 翔の言うとおり、オレには、理解できなかったんだから。周りの目をはねのけて、やるたいことをやるべきだって思いは、変わってねぇから。


「……なぁ、克己。お前、あん時、一緒のクラスだったじゃん。昔も今も変わらずクラスの中心人物だった。なんで、助けてくれなかったんだよ。お前がちょっと周りに言うだけで、変わってたかもしれなかったのに」


 ヒュッと、息を吸う音が、克己からもれた。


「オレには、そうできない事情があった。自分の発言には影響力があるって分かってたから、クラスの動向を左右する発言は、できなかった。つか、そもそも、翔はそんなの、必要としてないかと、思ってたんだ。むしろオレがそうやって助けるのを嫌がるかと」

「……ハッ。やっぱ分かってんじゃん。自分が中心にいるってこと。あーあー羨ましいことですねぇ生まれながらのリア充様は。俺みたいなのとバンドやるより、お仲間のお猿さんたちとやった方がいいんじゃないすかぁ? その方が盛り上がるっしょ」


 克己にとって、気分が悪くなるような。人を小ばかにしたような口調。

 それが引き金となって、克己が抑えつけていたものが、溢れ出す。

 奇しくも、いや必然か、翔が激昂した時と同じ表情で、克己は翔に詰め寄った。


「羨ましい? オレのことが? 冗談も大概にしろよネガティブ野郎が! 自分だけ悲劇の主人公気取ってんじゃねぇよ! なんなんだよ! 勝手に劣等感抱いてるこっちの身にもなれや! なぜ助けなかった? じゃあ兄さんはなんで助けてくれない? オレだって、オレだってなぁ! ずっとずうううっと、兄さんと学力の差を見せつけられてウンザリしてんだよ! なんでオレと一緒の高校にしたんだ! 兄さんならもっと上の高校行けたし担任も勧めてただろう? 弘子と沙紀から離れるためか? だとしたらいい迷惑だ! オレは、父さん母さんの期待に沿えず、レベル落として入った高校で、また兄さんと同じクラスになって、家でも学校でも差を見せつけられ続ける! 兄さんの言う、陽キャだのリア充だのって言葉、嫌いだ! オレが陽キャ側? 知らねえよそんなん! 兄さんはまるでオレや、オレの友達と自分は違う人種みたいに言ってっけど、ほら、変わらないだろ! なんも変わんねえ! 結局オレも、兄さんも、自分が持ってないもの羨んで、できねえことに憧れて……ほら、一緒だ。区別しようとすんなよ。今お互い顔突き合わせてんのは、ある意味自分自身なんだよ」


 最後の言葉あたりから、表情から怒りが消えた。

 克己はいつの間にかつかんでいた翔の胸元から手を離し、天を仰ぐ。

 翔は、信じられないものを見たように目を見開いていて、口が半開きになっていた。

 ぐすっ、とどちらともなく、鼻をすする。


「あんさぁ、お前さぁ、よくそんなこと、臆面もなく言えるなぁ」


 顔を上げた翔は、半笑いでそう言う。


「翔のせいだろうがよ。ありえん。あー死にたい」


 克己は真上を向いたまま、力なく呟いた。

 二人の間に流れていた不穏な空気が、薄まっていく。

 自分自身が放った言葉。

 相手に言われた言葉。


「…………」

「…………」


 自分自身を理解しようとする時間。相手を理解しようとする時間。


「克己が、そんなこと思ってたなんて、全く知らなかった。ダメな兄貴だな」

「兄貴面すんな。仕方ねぇだろ。いつからかお互いなんとなく距離取ってたんだから。本音どころか日常会話だってここ数年怪しいな」


 翔も克己も、張りつめていた糸が切れ、疲れが波のように押し寄せてきていたため、話しながらベンチに座る。

 ゴツン、と背負っていたベースが、翔の着座によって音を立てる。


「俺に対してそんな想いを抱えてて、自分の発言に影響力あるって自覚あって、それでも、俺にバンドやろうとか声かけてきたの、未だに理解できないんだが」


 翔は、木から飛び立った鳥を視線で追い、そのまま上を向いて空を眺める。

 その問いに、同じく空を見つめていた克己は、やれやれ、何度言わせんだと前置いてから、応えた。


「バンドがやりたかった。翔と。それから、オレがあんまり関わってこなかったやつらと」

「なんで、俺と」

「だって、翔、文化祭で何かやりたかったんだろ? 中学の文化祭の時、騒いでるやつらのことよく見てた。特に、バンド発表してるやつらのこと」

「優子はどうなんだ」

「ゆうちゃんもなんだかんだ親交途絶えてたし、氷上さんと同じくあんまり関わってこなかった人枠でいいや」

「いい加減だなぁ」

「今度はこっちから訊くぞ。話が脱線しまくったけど、結局、バンド、どうすんだ」

「……お前と話したらなんか色々どうでもよくなってきたわ。つか疲れて何も考えられない。でも、まあ、なんだ、うん、自分の中でまだ消化できてないものは沢山あるけど、バンド活動続けることは前向きに検討するわ」

「ん。まあ今はそれでいいや」


 それから二人は、公園のベンチに並んで座りながら、暮れかけの空を眺め続けたのだった。

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