第21話 憧憬
ふざけはじめた二人を、優子はニヤつきながら眺め、昔の明るい頃の翔が戻ってきたみたいだと内心ほんわかしていた。
昔と違っているのは、自分の学校、クラスに対してひどく怯えているように感じる時だ。
今日だって、風邪でもないのにマスクをしている。(それについては氷上さんも同様だけど、彼女の場合は翔とは意味合いが違うように感じる)外や店内で定期的に周りをうかがって知り合いがいないか確認している。
優子は、氷上と翔の会話から、翔がが自分たちに見せている面とは違った面で学校生活を送っているらしいということを察した。優子が知らない、中学三年生の時の翔に何があったのか。
今の関係性のままじゃ、とても聞くことはできないな、と優子はため息をついた。
「あ、そろそろ私、帰らないと」
「もう? まだ一七時半だよ?」
「親が門限門限うるさくて。それじゃあ私はここで失礼するわ」
「うん、次の土曜日のバンド会議まで、さらば!」
優子は元気よく手を振って氷上を送り出す。
「じゃあな、氷上」
翔は軽く手を挙げた。氷上も軽く手を挙げて店から出て行った。
きちんと自分が食べた分だけお金を置いていくところが氷上らしい。
「なんか氷上さんって、お嬢様って感じするよね~……って何あの高そうな車。運転手のスーツの女の人、氷上さんのお母さんってわけじゃなさそうだし、あれ、本当に良いところのお嬢様?」
「噂は本当だったのか。学校からある程度離れたとこまで歩いてから迎えに車に乗り込むって噂。噂程度にとどまるようになるべく生徒の目に触れないようにしてたんだな」
「へぇ。いいなぁお嬢様、憧れるなぁ」
「……最後、門限の話のあたりから、すげぇつまんなそうな顔してたな、あいつ」
氷上の態度の変わりようが妙に気になる翔だった。
「おい克己、今いいか?」
「うおっ、兄さん!? 父さん母さんは?」
「二人とも帰りが遅くなるってさっき電話が来た」
「そ、そっか」
「邪魔するぞ~」
翔が克己の部屋を訪ねるのは珍しく、克己は面食らった。
両親は翔と克己が家で過度に話していると克己を叱るため、普段は翔の方から接触することを控えている。
家の中は、窮屈だ。外の世界でだけ、オレはオレになれる。家の中のオレは、大人しくて、勉強が苦手だけど頑張っている、真面目で無能な人間。兄、翔と対面すると、差を感じて息苦しくなる。
克己は軽く頭を振り、外での自分モードに強引に移行させる。
「んで翔、いきなりどうしたんだ?」
翔は克己とは違いいきなり部屋主のベッドに飛び乗るような真似はせず、座布団を引き寄せてその上であぐらをかいた。
「いや、明日のバンド会議の予行演習をしとこうと思ってな」
六月二九日火曜日。バンド会議前日。
「会議の予行演習ってなんだよ?」
「言い方が良くなかったな。先にお前とバンドの方針を固めておきたいってだけだ。お前基本俺に丸投げであんまりバンド関連の話、してこなかっただろう。お前が発起人なんだし、意志を尊重したいと思ってる。って言い方すると俺がリーダーみたいに聞こえるな」
「いいだろ翔がリーダーで。オレより知識あるんだし」
「俺はリーダーなんてガラじゃない。断固拒否する。仕事はやるからその点は安心してくれ」
「そこまで言うんだったらんまぁしゃーない、オレがやるか! つっても結局翔がやる未来が見えるな~」
「しゃーないじゃねぇよ何回も言うがお前が言い出したことなんだぞ。……なぁ、ずっと聞きたかったんだが、なんでバンドやろうとか言い出したんだ? 前聞いた時はやりたいこと全部やっておきたい的なこと言ってたけど、なんでやりたいって思ったんだ? 克己は確かに昔から邦ロック好きだったけど、自分で楽器持って演奏する側に立つ素振りは見せなかったのに。ドラムはじめたのは、バンドやるって決めた後か?」
翔は矢継ぎ早に克己に質問を放つ。
克己は正直に答えようか悩んだ。
自分で薄々気づいている深層的な部分は、言えない。格好悪すぎるから。
だから嘘にならない程度の、本当のことを話そうと決めた。
「ただのストレス発散と、純粋な興味だよ。ほら、オレってバカじゃん? 翔にとっては偏差値六〇代の大学に受かるぐらい簡単なのかもしれないけど、オレにとっては難関以外の何者でもない。でも中々成績上がらなくてさ。真面目にやってるつもりなんだけど。ま、そのプレッシャーに対するストレスの発散ってだけ。あと興味があるってのはあれだ、憧れ、的なやつ。去年他校の友達が、文化祭でバンドやるから見に来いっつってオレを呼び出したのよ。んで見に行ったらさ。感動した。そいつドラムやってたんだけど、スティック振るとき汗が飛ぶんだよ。で、真っ暗いステージで、バンドのとこだけ強いライト当たってるから汗がキラキラ輝いててさ。あと表情な。すっげぇ気持ちよさそうな顔してんの。演奏中にバンドメンバーと目合わせなんかしちゃって、もう、最高に、『生きてる』、って感じだった。オレもああなりてぇって思った」
そう語る克己の目はまるで自分の夢を披露する少年のように見開かれていて、少なからず翔の心を打った。
そうか、克己は、純粋に、バンドがやりたかったんだな。
翔は、過去にメジャーバンドのライブを見に行ったことを思い出した。
至近距離から爆発する音、血のにじむような努力の末に生まれたグルーヴ、ヴォーカルの、胸が熱くなるMC。観客の熱気に押されるようにテンポが上がっていき、興奮が頂点に達したときの多幸感。
観客の側じゃなく、演者側からはどんな景色が見られるのだろう。自分にバンドなんて無理だ。メンバー集めの時点で無理ゲーだし、リアルの友達をまともに作れない人間にはハードルが高すぎる。そう思っていた。
それでもどこかでバンドに憧れる気持ちが残っていて、それがBGM作りという趣味の形で発露したのかもしれない、と翔は思い至った。
立場は違えどバンドというものに憧れる気持ち、熱量は同じだったんだ。
「なんだ。克己の『バンドしようぜ!』宣言はその場の勢いとかじゃなくて、そんな真っ当な、ある意味王道な気持ちから出た言葉だったんだな。誤解してすまなかった」
「あー、いや、なんかかしこまってそう言われると恥ずいな」
「弟よ、兄がバンド成功に導いてやるからな」
「キモッ」
「なんか満足したわ。自分の部屋戻る。勉強して寝よ」
翔は妙にすっきりした表情で克己の部屋を出て行った。
一人になり、克己は先ほどの自分の言動を思い出して悶える。
気分転換するため電子ドラムの電源を入れ、ヘッドフォンをつけた克己は、思うさまドラムを叩いた。
加速する鼓動。身体の動きがダイレクトで音に反映される快感。
これで他の楽器が加わったらどうなるんだろうなぁ。
そう夢想しながら、みっともない演奏をしないよう基礎練習をこなしていく克己だった。
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