第34話 オリジナル曲

 八月に入り、夏が本格化する。

 翔たちは楽器の練習をしながら受験勉強を進める日々を送っていた。

 そんな中。翔は意を決して、一通のメールを送った。


翔:氷上。そろそろオリジナル曲の打ち合わせをしたいんだがどうだろう。


 メールを送ってから僅か一分。返事が返ってくる。相変わらずなんというレスの早さ。まだ朝の八時なのに。ネット友達にこの時間にメッセ送っても全員夜型だからレスくるの夕方くらいになるのに。


氷上:そろそろだと思ったわ。曲が完成してから練習する時間も設けたいし、九月の終わり頃には作り終えたいところね

翔:そうだな。九月半ばを目処に完成させるか。どうする? 作曲編曲分けてやるか?

氷上:作曲はともかく、編曲は分けないと難しいと思うわ。私が編曲するとしたらギターとキーボードしかできないし

翔:なら、作曲は共同でやって、編曲は半分に分けるか。俺がベースとドラム、氷上がギターとキーボードってことで

氷上:そうしましょう

翔:何はともあれまず作曲だな。作詞からやってもいいけど、どうする?

氷上:作曲からの方が個人的には好きだけれど

翔:なら作曲からだな。共同でやるならなるべく一緒にやった方がいい。早速近日中にスタジオ入ろう。

氷上:何回もスタジオ入るとお金がかかるでしょう。私の家は防音室あるからそこでやるのはどう?


 何気なくメールのやりとりをしていた翔は、その返信を見た途端、身体に緊張が走った。

 女子の家に招かれたことなどなかった翔は、イスの上で座禅を組み、心を無にする。

 煩悩は取り払うのに三〇分かかった。

 最優先事項は、まともなオリジナル曲を作ること。そのためによりよい環境を整える必要になる。氷上の提案に乗らないテはない。

 そう結論付けた翔は、鼻息荒くスマホをタップした。



「着いたわよ」

「想像を絶する光景を前に、俺の足はこれ以上ないほどすくみ、一歩を踏み出せずにいた」

「何言ってるのよ早く行くわよ」


 それじゃあ今日、今から早速やるわよ、というメッセージを受け取った翔は、急いで自分のギターを持って家を出た。

 駅で氷上と落ち合って、歩くこと三〇分あまり。

 翔の目の前には、とてつもなく大きな日本家屋がひろがっていた。旅館だと言われても違和感のない氷上家を前にしてバグる翔を、氷上は裏口から引っ張っていく。


「なんで正面から入らないんだよ」

「だって私の家、防犯対策でそこかしこに防犯カメラがついているのだもの。死角を通らなきゃ。あなたは腐っても男性なのだし、家に男を連れ込んだ、なんてバレたらお母様に冗談じゃなく殺されそうなの。あなたが」


 腐ってもってなんだチ○コが腐って使い物にならないって意味かケンカ売ってんのかコラァとか、殺される危険性とか重要なことは事前に知らせておくべきコンプライアンス違反だ契約破棄だ今すぐ帰らせてもらうだとか色々言いたいことはあったが、この豪華な家のさぞや立派な防音ルームで氷上と作曲できることへのワクワクにかき消されて、翔は黙って氷上についていった。


「え、ちょっと待って、親御さんに俺が来ること知らせてないの?」

「ええ。許可なんて下りるわけないもの。娘の私の交友関係にすら厳しいなんておかしいわよね。しかも目的が文化祭で演る曲作りだなんて……バンドというものに古いイメージ、いわゆる不良がやるものだっていう印象を持ってる親からすればあり得ないって突っぱねられるでしょうね」


 あれ、氷上にとって、文化祭でバンドをやるって、相当ハードルの高いことだったんじゃ? と、今更ながら気づく翔。


「さ、着いたわよ。さすがに部屋までは防犯カメラついてないから安心してちょうだい」

「ぷっはあ。緊張のせいで自然に息止めてたわ」


 氷上家の地下に設えられた防音室は、広さが二〇畳ほどで、ざっと見た限り一〇種類以上の楽器が置かれていた。


「ごめんなさい、スタジオにあるような機材は一切ないアナログな部屋で」

「レコーディングとかするわけじゃないし防音ってだけで十分だよ。ギター一本あれば作曲はできるかんな」

「あなたもギター持ってたのね」


 翔は背負ったギグケースから黒いエレキギター、SGを取り出した。


「趣味でゲームBGM作ってるからな。普段はベースで進行決めて、ギターで味付けしてくんだけど、今回は氷上との共同作業だから同じ楽器がいいかと思ってな」

「ふうん。私は曲作りの方面には造詣が深くないから、翔メインで進めましょう」

「氷上もコードとか音楽理論詳しいんだろ? 俺は感覚でやってるとこ多いから、おかしいとこや詰めれるとこあったらバシバシ言ってくれ」

「ともあれ、実際にやってみないと具合が分からないわね。まず、何をすればいいの?」

「適当にコード組み合わせて良さげな進行をあぶり出す。以上だ」

「本当に感覚で作ってるのね……分かったわ。思い思いに弾いていきましょう」

「ういー。やってきますかー」


 お互いレギュラーチューニングで作曲をはじめる。作曲といってもジャカジャカいくつかのコードを弾いてみてつなげるだけの作業で、そんな大層なものではない。

 と、翔は思っていたが、氷上がいきなり曲らしきものを弾きはじめたため、思わず手を止めた。


「? どうしたの、不思議そうな顔して」

「いや、なんかもう曲っぽくなってるから」

「ああ、これね。カノン進行ってやつよ。JPOPでよく使われてるやつね。C、G、Am、Em、F、C、F、Gの進行。ここからいくつかコードを差し替えて自分好みにしていくのが効率的なんじゃないかと思って」

「ああー、その進行か。カノン進行って名前だったんだな」


 翔は、はじめて氷上の歌を耳にした時のことを思い出した。

 偶然校舎裏で聞いた、氷上の、カノンの鼻歌。


「他にもいくつかパターンあるわよ。聞いてみる?」

「聞く。多分、俺が無意識に使ってたコード進行もあるだろうから、知っておきたい。名前を知っておいた方が意志疎通しやすいからな」


 それから氷上は数パターンの進行を弾き、翔はメモをとっていった。

 あの進行がいい、このコードの方が響きがいい、など意見をぶつけ合いながらギターを弾くこと二時間。


「そろそろお昼ご飯にしない?」

「もうそんな時間か」


 時刻を確認すると一三時を回っていた。


「有り合わせでぱぱっと作っちゃうからここで待ってて」

「悪いな」


 氷上は短くそう言い残し、防音室を出て行った。

 まさか女子の家に招待され、あまつさえ手料理を振る舞われるとは……と感慨に耽る余裕など、翔にはなかった。

 全員で練習する時間を確保するために、曲作りは最短で済ませなければならない。コード進行は今日中に終わらす勢いでやらないと。

 氷上が翔を呼ぶまで、翔はギターを弾き続けた。

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