第33話 食卓

 その日の夕食時。姿月家にて。

 珍しく四人揃っての食事。父親と母親が協力して作った夕食は栄養バランスが考慮され、主食、主菜、副菜、汁物、デザートに至るまでこだわり抜かれている。

 食事が半分くらいまで進んだ頃。克己がやや緊張した面もちで、口を開いた。


「父さん、母さん。今日オレ、インターハイだったんだ。初戦で負けて、ベスト一六って結果に終わったけど、三年間、キャプテンとして、頑張ったよ」


 学校での克己とは比べものにならない、自信なさげな小さな声。家の中ではそれが当たり前になっていて、今更気にすることではないはずなのに、克己と胸の内をさらし合ってからは、引っかかりを覚える翔だった。

 頼むよ、父さん母さん。克己を褒めてやってくれ。きっと、一言でいい。だから。


「そうか。まあ推薦入学狙うわけではないし、これで勉強一本に絞れるな。推薦は良くない。自力で、学力で合格してこそ価値がある」

「そうね。少なくとも旧帝大のどれかには一般入試で入ってもらわないと」

「翔。お前の成績、学校の先生に聞いたぞ。東大も十分狙える位置で、早慶はほぼ合格確実だそうじゃないか。この調子で頑張れよ」

「翔、何かしてほしいことがあったらなんでも言いなさい」

「おれたちにできることならなんでもするからな」


 笑顔の両親は、翔しか見ていない。

 克己は、うつむきながらもくもくと箸を動かしていた。機械のような表情と動きで。

 横目でそれを確認した翔は、食べかけにも関わらず、箸を置いた。


「克己、俺、試合見てたけど、ぶっちゃけ感動した。チームの誰よりもよく動いて、試合を引っ張ってた。プレイヤーとしてもリーダーとしても優れてるって、素人が見ても分かるくらいだ。スポーツ推薦狙ってみたらどうだ。きっと有名なとこいけるぞ。優秀な仲間と大学でもバスケ続けた方がいいんじゃないかと、俺は思うけどな」

「翔。克己の進路に口を出すな」

「そうよ。スポーツ推薦なんて言語道断。大学入ってからもスポーツ漬けなんて許さないから。翔も克己も、大学入ってからすぐに公務員の勉強はじめてもらわないと」


 翔は両親の言葉に応えず、ごちそうさまとだけ言い残し、テーブルを離れた。


「克己、後で俺の部屋来いよ」

「お、おう」


 克己はあっけにとられた様子で、翔を見送った。

 あっけにとられていたのは両親も同じで、今まで従順だった翔が反抗らしきことをしたという事実にとまどい、勉強のし過ぎでストレスがたまっているのかなどと見当違いのことをひそひそと話し始めた。



「おい翔、さっきのはなんだ。翔がいなくなった後の食卓の雰囲気ヤバかったぞ」


 食事の終わった克己が、翔の言いつけ通り部屋を訪れた。


「知るか。なんか無性にイラついたんだよ」

「イラついたって……てか、オレの試合、見に来てたのかよ」

「氷上もな。バンドメンバーとして行ったまでだ。さっき食卓で言ったこともウソじゃねえから」


 翔は机に向かいながら趣味のゲームBGM作りに興じている。


「氷上さんも来てたのか。あーあ、かっこよく勝つとこみんなに見せたかったなぁ」


 普段、翔のベッドに勢いよく飛び込む克己だが、今日は静かにベッドに腰をおろし、天井を仰いでいた。

 翔は机に向かい、マウスを忙しなく操りながら、克己と会話を続けていく。


「十分格好良かったぞ」

「……でも、勝ちたかった。だって、オレには、バスケしかなかったんだ。バスケで結果出せなかったら何で結果を出せばいい」

「俺に言われても知るかよ。つか結果、出してるじゃん。全国ベスト一六、そのチームのキャプテン。十分だろ。ああいや、本人が納得してねえならこんなこと言っても意味ないか。でも、結果はどうあれ、お前、全力だったじゃん。朝自習するために早く家出てる俺よりもさらに早く学校行って練習してたし、部員のメンタルケアとかモチベ維持とかに苦心してたのもなんとなく知ってるし。一つのことにそこまで打ち込むことって、中々できないと思う。俺なんて興味あるものに片っ端から手え出してどれも中途半端だ。お前みたいに芯のある人間はあらゆる意味で強い。もっと誇っていいと、思うぞ」


 翔は作業しながら、淡々と言葉を紡いでいく。


「んだよいきなり。気持ち悪いなぁ」


 克己の声が若干鼻声で、震えているのに、翔は気づかない。ヘッドホンをつけて作業しているせいで。


「そういう気分なんだよ多分後で恥ずかしさのあまり悶えるだろうが知らねえ」

「そうっすか。……で、オレを部屋に呼びだした理由は? あんまり長居すると父さん母さんにチクチク言われるから手短に頼む」

「部屋の隅に置いてあるやつ。お前にやる」


 きょろきょろと部屋を見回した克己は、自分の座っているベッドのすぐ近くに、丸い形の黒いケースを見つけた。

 ジッパーを引っ張り、ケースの中のものを取り出す。

 ピカピカの、青いスネア。

 金具に映る自分の顔と見つめ合いながら、克己は呟いた。


「なん、これ、え、オレに?」

「今から卒業まで、バスケットボールからそのスネアに持ち替えろ。それで、思いっきり練習しろ」

「は、はは。キザなことしやがって。高かったろ、これ」

「値段なんぞ気にしてる暇あるなら練習しろ練習。もちろん受験勉強もな」

「……サンキューな」

「ん」


 克己はゆっくりとスネアをケースにしまい、わきに抱えながら、翔の部屋を出て行った。結局、翔はパソコンの画面から目を離すことはなかった。

 自分の部屋に戻った克己は、スネアを取り出し、まじまじと眺めた。

 と、ケースの底に、白い紙が入っているのに気づく。

 四角く折られたそれを開くと、『バンド続ける』と、汚い字で書いてあった。


「バーカ。んなの、これくれた時点で言ってるようなもんだろ」


 克己はそう言いながら、紙を折りたたんでスネアケースの小物入れにしまったのだった。

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