第35話 アコースティックギターとカホン

「今日はこれくらいにするか」

「ええ。なんとか三つまで絞れたわね。姿月くんや鞠谷さんに聞いてもらって多数決にする?」

「そうしよう。アプリに打ち込んであの二人とデータ共有しとくわ」

「ハイテクね……。よろしくお願いするわ」

「ん。じゃあ帰るわ」

「送っていかなくても大丈夫?」

「もう道は覚えたから問題ない。んじゃ、お疲れ~」

「お疲れ様」


 沈みゆく夕日に目を細めながら、氷上とともに防犯カメラの死角を通って裏口へ。

 軽く手を挙げ、氷上家を後にする。

 帰り道、完成したコード進行を何度も頭の中で反芻した。

 三つそれぞれの進行に共通しているのは、明るめのコードが多いことだ。弾いてて前向きになれるようなポップな進行。

 自宅に戻る頃には無意識に頭の中で再生してしまうほどになっていた。

 どんな時も、自主勉強するときはスイッチを切り替えたように集中できる翔だったが、今日ばかりは頭の中で音楽がループして勉強に身が入らなかったため、ペンを置き、代わりにギターを握った。


 何度も何度も繰り返し、頭の中で流れていた進行に従って弦を弾く。

 三〇分くらいぶっ続けて弾いて、一息つこうとギターをラックにたてかけた時、スマホからメッセージ受信を伝えるバイブレーションが聞こえてきた。


氷上:もう他の二人に音源送った?

翔:やべえコード進行反復するのにのめりこんで忘れてた。今から作るわ

氷上:よろしく

翔:あっ、そうだ。今日昼に作ってくれたロールキャベツ、めちゃくちゃ美味かったぞ。サンキューな


 氷上家にいるときに言えなかったため、メールで伝える。現代危機は便利だ。面と向かって伝えにくいことを、文字で届けることができるんだから。

氷上:口に合ったようで良かったわ。次の機会では別のものを作ってみることにしようかしら。じゃあ私は自主勉強に励むから失礼するわね。今日はお疲れさまでした。

 いつも一分以内に返信をよこす氷上が、一〇分ほど間をあけるなんて、と驚きつつ翔は返信メールを眺めた。



 八月の終わり。

 二回目のスタジオ練習の日が訪れた。

 氷上と翔は一時間早くスタジオに入っていたため、優子と克己が後で入ってくる。

 スタジオの二重扉を開けて中に入った克己は、部屋の中にいた氷上と翔を見て頭の上に疑問符をうかべた。


「どうした二人とも? そんな路上ライブみたいな雰囲気だして」

「なになに~? わぁお、翔くんに氷上さん、ばっちりキマッてんね! 今から何するの~?」


 克己の後ろから顔を出した優子も、これから何が起こるのか分からず、期待のまなざしで二人を見つめる。

 翔はカホンと呼ばれる、木製のイスのようなものに座っていた。

 イスと違うのは、それがれっきとした楽器だという点。

 一見ただの木の箱のように見えるが、箱中央部を手で叩くとまるでバスドラムのような重低音が出、端の方を叩くとハイハットのような高音が出る。

 持ち運びが容易で、生音が大きいため、路上ライブでドラムのかわりとして使われたりする。


 そしてその相方はアコースティックギターと決まっている。

 氷上はスタジオで借りたとおぼしきアコギを抱え、マイクの前に座っている。

 克己と優子が入ってきたのを確認し、氷上と翔は目を開わせ、頷く。

 そして、演奏がはじまった。

 アンプを通してではなく、両楽器生音で奏でられる旋律。それに、氷上の鼻歌が加わっている。

 一分半ほどの、歌詞のない曲。克己と優子は、ただただ目を見開くばかりだった。


「すげぇ、すげぇよ! これってこの前多数決とったオリジナル曲、だよな? しかも俺が選んだやつ!」

「わたしもこれ選んだ!」


 興奮気味にそう言いながらなぜか氷上と翔の周りをぐるぐる周りはじめた二人。


「偶然、四人ともこのコード進行を選んだんだよ。一発で決定だ。さぁこっからが忙しくなるぞ! とりあえず簡単にドラムとシンセの打ち込み作ってきたから各自聞き込んでアレンジするように! さぁバカみたいに回ってる二人、スマホを出せ!」


 翔は自身のスマホにブルートゥース機能でそれぞれのパートの打ち込み音源を送る。


「では、本日のスタジオ練習スケジュールを発表する。四時間中、最初の一時間をモンパチの『ちいこい』、次の一時間を超細胞の『きみしら』、一五分の休憩をはさんで各々オリジナル曲の練習だ。長丁場になるが集中力を切らさず頑張っていこーう!」

「「「おー」」」


 克己や優子はともかく、氷上が自分のかけ声に応えてくれたことが地味に嬉しい翔だった。


 

「うはぁ、疲れたぁ! 四時間はやべぇわ。後半ちょっと気持ちよかったけど」

「わかる! 疲れ通り越してなんかハイになるよねっ!」

「あれぐらいで疲れるなんてまだまだね」

「氷上さん、後半息切らしてたじゃん」

「わ、わたしは歌もあるからっ」

「おーおー、氷上さんが感情的になるのめずらしー。これは心を開いてきてくれたってことかな? かな?」

「翔。この人たちなんとかしなさい」

「俺に言われても知らんがな」


 スタジオから徒歩一分以内。駅に併設されたマクモナルモというファーストフード店にて。

 スタジオ練習後の興奮冷めやらず、四人は騒がしく雑談をしていた。


「にしてもオレたち、スタ練二回目にしてはイイ感じじゃね?」


 克己がメロンソーダをストローで飲みながら翔へ話を振る。


「ああ。克己も優子もきっちり練習してきたのが分かった。受験勉強やりつつそっちにも時間割いてくれて実にありがたい」


 翔は蓋を外し、コップからコーラを直飲みしつつ応えた。


「翔くん。人ってね、やらなきゃいけないことがある時ほど、それが大きい時ほど、現実逃避しがちになるんだよ……」


 ポテトとちまちまかじりつつ疲れ気味にため息をつく優子。


「そうだ、優子。結局、進路はどうするんだ? 保育系にするか、それ以外か。もう夏休みも終わるし、保育以外も検討するならそろそろ決めないと、科目絞れないぞ」

「ん~。そうだよねぇ。モチベーションたもつの大変だし、わたしもそろそろ決めたいと思ってるんだけど。氷上さんどう思う」

「どう思う、とは? 話が見えないのだけれど」

「そっか。わたしが進路の話した時、氷上さんだけいなかったんだっけ。あのね……」


 優子は、保育士という職業に興味があること、でも保育士は給料が低く、生活していくだけでも大変で、親からも反対されていることを話した。


「優子が保育士。お似合いね」

「やっぱりみんなそう言うね~。なんでだろ」

「その脳天気な感じが子どもに好かれそう」

「それもしかしてわたしのことディスってる!?」

「いいえ。安心感を与えるという意味で使ってるから褒めてるわよ。でも、そうね。難しそうに見えて、簡単な問題ね」

「簡単かなぁ」

「ええ。どれだけ情報を揃えても、未来を完璧に予測することはできない。やってみなければ、何も分からない。実感できない。自分が最終的に選べる道は一つだけ。それだけ悩んでるってことは、鞠谷さんは、後悔しない選択をしたいのよね。後悔しない方法。それは、自分の心の声に従うこと。つまり、自分がやりたいと思っていることをやること。誰かの意見に流されて行き先を決めてしまったら、何かあった時、その誰かのせいにしてしまうことになる。後悔しない、納得して一歩を踏み出すために必要なのは、自己思考自己決定に他ならない。何が進路決定において大事なのか自問自答してみることね」


 すらすらとよどみなく氷上の口からそんな言葉が紡がれる。

 言い終わった後、すました顔でアイスティーをすする氷上を、優子はただただ見つめていた。

 優子と氷上が話し始めてからスマホをいじりだした翔と克己だったが、次第に氷上の話に引き込まれていき、今は優子と同じように氷上を見つめていた。


「どうしたのよ、みんなしてそんなジロジロと。失礼よ」

「いやぁ、しっかりしてるなぁ、と。なんというか、スパッと真理を突きつけられたみたいな」


 最初に反応したのは翔。


「氷上さんの言いたいことは分かるんだがなぁ。環境とか家族とか色々考えることあるし、生きたいように生きれたらそりゃ楽だけど、すべての人間がやりたいことをできるわけじゃないしなぁ」


 氷上の意見に難色を示したのは克己。氷上に言っている、というより自分自身に問いかけているようだ。


「今の鞠谷さんに必要そうな言葉を選んだまでよ。背中を押してほしそうな感じがしたから、もっともらしいことを言ってみたの。私自身も理想論、綺麗事だと思ってるけど、そういうものを必要としている人もいるってこと」

「はぁ。オレよかよっぽど深く考えてんなー。ゆうちゃん用の言葉だったんだろうけど、少なからずオレにも刺さったわ」

「俺もだ。もう一度自分の進路を見直してみようって気になったもん」

「そ、そう。役に立ったのなら良かったわ」


 思いの外、姿月兄弟が感心したため氷上はたじろぎ、そっぽを向く。


「……そうか。そうかもね。わたしは、誰かに、自分がやりたいことをやるべき、って言ってほしかったのかもね。みんなに相談した時点で、自分の中で答えがでていたのかもしれない。ありがとね、氷上さん、いや、流々風ちゃん!」

「名前呼びはやめて」

「氷上、そういやそんな可愛らしい名前だったな。本人とイメージが結びつかないからすっかり忘れてたわ」

「あなたも翔って名前の割に飛んでるイメージ全くなくてむしろ大きい石の裏側のじめじめしたとこを這ってるイメージよね姿月団子虫って名前に改名したほうがいいんじゃないかしら」

「あ? やんのかコラ」

「先にケンカを売ってきたのはどっちかしらねぇ」

「なぁゆうちゃん、この夫婦漫才どう思う」

「仲良しでいいと思いまーす」

「は? 夫婦漫才? こいつと? ないわー」

「私こそ願い下げよ」


 進路の話から脱線し、他愛のない会話にシフトしていった。

 解散後、各々氷上の言葉を思い出し、自分の進路について思いを馳せることになる。

 氷上もそれは例外ではなかった。

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