第36話 夢

 夏休みが明け、二学期に入った。

 最後の夏を堪能したもの、勉強漬けだったもの、それぞれが顔つきでよく分かる。


 翔はといえば、相変わらず陰気な顔でテキストを開いていた。受験組は新学期初日からほとんど翔と同じように勉強している。

 克己も、元部員から盛んに声をかけられていたが、ある程度会話したところで切り上げ、翔と同じく塾のテキストを開きはじめる。

 徐々に静けさを帯びてきた教室の中で。


 ヴゥー、ヴゥー、とスマホのブァイブレーション音が、翔のポケットから鳴り出す。

 近くにいた生徒たちが不快そうに顔をしかめる。翔は誰ともなく「ご、ごめんなさい」と呟いて、すぐにサイレントマナーモードに切り替えた。

 教室内でヘイトを集めたことで萎縮した翔は、背を丸めて、周りから見えないようにコッソリスマホに届いたメッセージを開いた。


氷上:歌詞って結局誰が書くの?

翔:お前なんで今送ってくるんだよ放課後でいいだろ

氷上:もし私が書いてもいいなら、あなたと相談しつつ書きたいのだけれど

翔:おいスルーすんな続きは放課後に

氷上:とっかかりだけでも今日中にやっておきたくて。だから放課後学校に残りなさい

翔:人の話を聞け。なんで学校でなんだよ。俺もお前も関わってることバレたら面倒なことになるんだから別の場所でも

氷上:迎えの人に始業式の時間を一時間ほど遅く伝えてあるのよ。親戚との食事会が控えてるけど、歌詞作りたいから無理矢理時間を作ったの。ここまで言ったんだから後は分かるわよね?

翔:あー、分かった。バンドメンバーの熱き想いを無碍にするほど俺は腐っちゃいない。付き合うわ

氷上:それでいいのよ。場所は屋上ね

翔:変装は必要か?

氷上:いいえ。私、高一の時から始業式、終業式後に屋上に行ってるんだけど、一度も他人が訪れたことはないわ

翔:信じるぞ。では、後ほど


 なぜそんなことをしていたのか、という突っ込みは後ですることにしよう。



 HR、始業式、諸連絡を経て放課後。

「カラオケ行こうぜー」「塾行く前に図書館で一緒に予習しよー」などと群れながら教室を出て行くクラスメートたちを見送りながら、人がはけるまで自分の席で待機する。

 氷上も何人かに声をかけられていたが、微笑をたたえながら断っていた。

 教室に二人きりになった頃。窓の外を眺めていた氷上が、ようやく動き出した。


「行きましょうか」

「おう」


 先を行く氷上から三メートルほど距離を開けて着いていく翔。

 氷上は屋上に着くまで一言もしゃべらず、それは翔も同じだった。

 なんでこんなに緊張すんだよ。あれか、学校内で接触するのがはじめてだからか? そうか、こんなところ誰かに見られたら大変だから、知らない内に気を張ってたんだな危ない危ない。


 何が危ないのか翔自身も分からないまま、危ない危ないと心の中で何度も呟く。

 そんなことをしていたものだから、氷上の右手と右足が同時に出ていたことに最後まで気づかなかった翔だった。



 氷上の言うとおり、屋上には人っ子一人おらず、静寂に包まれている。

 風にまかれる黒髪を抑えながら、入り口とは反対、屋上の奥の方へ。

 スカートを押さえ、柵の近くの少しでっぱった部分に腰をおろした。

 翔は少し考えて、人一人分あけて隣に座る。

 二人ともすぐには話し出さず、ただボッーッと中空を眺めていた。


「……あちいな」

「そうね。非常に暑いわ」


 九月のはじめのためまだまだ気温は高く、インドア派の二人のなまっちろい肌は容赦なく陽の光にやかれていく。


「四月のこの場所は風通りがよくて気持ちいいのだけど、九月はダメね。入り口近くの日陰に移動しましょう」

「おう」


 日陰に移動したのはいいものの、またしても沈黙の時間が続く。


「……ねえ、翔。人間の感情って、どうしてこうもままならないのかしらね」

「どうしたやぶからぼうに。もしかして歌詞の話か?」

「いや、歌詞じゃなくて。急にそう思っただけ」

「変なやつ」

「歌詞考えたいんだけど、テーマが中々定まらないのよ」

「なんだ。歌詞作りたいっていうから、てっきり大まかなのは決まってると思った」

「決まってないからあなたを呼びだしたのよ。……なんで私が、自分から歌詞を書きたいって言い出したか、不思議に思わない?」


 いつもより覇気のない声。

 ああ、これは、誰かに話を聞いてもらいたいっていうサインだな、と察した翔は、氷上が欲しているだろう言葉を口に出す。


「そりゃ思ったよ。なんでなんだ?」


 ふう、と一息吐いた後、氷上は訥々と話し始める。


「優子さんに、やりたいことをやればいい、って話をしたこと、覚えてる?」

「ああ。はっきりと」

「あれは、私自身に言い聞かせたものだったのよ。私、本当は、あんなこと、心から思えない。やりたいことを自由にやれたら、って夢想することはあるけど、叶わない現実があることも、十分、分かってる」


 氷上は制服の胸ポケットから取り出した生徒手帳を、翔に差し出した。

 翔はそれを受け取り、開く。


「辛気くさい顔してんな」

「余計なお世話よ。そのページじゃなくて、最後のページ」


 言われるままパラパラとページを進めていき、そこにたどり着く。

 何かの記事のくりぬき。

『学生作詞コンテスト優秀賞「ギザギザに裂かれた空、雲踊る日」氷上流々風(一四歳)』

「へぇ。氷上、文才もあるんだな。てか主催してるの有名な会社じゃん」

「そう。そして優秀賞以上の作品は、実際に歌になって発売されるっていう特典があるの」

「マジで!? 何それ聞きたい氷上の曲」

「発売は、されなかったわ。それどころか、歌にもならなかった」


 氷上はあくまで淡々と、感情を乗せずにしゃべっている。それがかえって翔を不安にさせた。


「会社側がやっぱり作るのやめまーすとかいうクソみたいなオチじゃないよな?」

「違うわ。主催者側は全く問題ないの。私が、辞退したのよ」

「もったいない。自分の作ったモノが多くの人に届けられるかもしれないチャンスなのに」


 翔は音楽面でインディーズゲーム作りに参加しているが、出したゲームは鳴かず飛ばずで、プレイした感想が来るのは多くて一〇件ほど。ゲーム制作メンバー全員、趣味でゆるくゲームを作るというスタンスで結果を求めているわけではないものも、そこはクリエイター。やっぱりもっと反響が欲しいという気持ちはある。

 氷上のは、誰でも知っている有名な会社が主導で歌を作ってくれるというもので、間違いなく翔が作ったモノより多くの人に届くだろう。


「私も、もったいないと思ったわ。けど、母が、許可してくれなかった。芸能関係は絶対ダメだって」

「芸能とはちょっと違うんじゃないか」

「母にとっては同じことなのよ。女手一つで育ててくれた母に感謝しているし、母の言うことは最大限、受け入れてきたわ。でもね、でも、何て言うんだろう、何かが切れて、何かしたくて、はじめて私は母にわがままを言って、高校受験の時、進路を変えたの。この高校に」

「風間高校に思い入れでもあったのか?」

「ないわ。ただ、そのままエスカレーターで行くのが嫌で、何の変哲もない公立校にしたってだけ。母は不服そうだったけれど、全国模試で結果出すならいいと言ってくれた。そうやってはじめて母の意志に背いて……少しの罪悪感と、大きな高揚を得られた。私は自由なんだって、思った。けど、何も変わらなかったわ。私も、変わろうとしなかったのかもしれない」

「……変わるのって、疲れるもんな。そのままで支障がないのなら、多くの労力を割いて変わる必要なんてない。人が変わるのは、そう強いられた時だけ、かもな」


 翔は小さめの声量で、唇の端を持ち上げた。


「そう、かもね。私は結局、私のままだった。あれ、なんでこんな話になってしまったのかしら。覚えてる、翔」

「んあ~、えっと、確か、なんで氷上が歌詞を書きたいかって思ったのか、って話だったような」

「そうだったわね。まとめると、私は作詞に対する憧れがあって、だから、やってみたいっていう、ただそれだけのことよ」


 氷上も、親に反対してでもやりたいこと、なりたいものがあるんじゃないのか?

 そう問おうとしたが、やめた。俺から何かを言うのは筋違いだ。氷上はきちんと、自分自身で考えている。考え抜いている。

 俺たちなんかよりずっと大人で、もしかして彼女が一人でいたがるのは、周りが子どもに見えるからなのかもしれない。


「自分語り乙」

「何言ってるか分からないけどなんとなくムカツクわね」

「ごめんごめん。氷上の作詞に対する強い気持ちは伝わった。全力で協力させてもらうよ」

「じゃあ早速コンセプトを」

「タイムリミットだ。校門の方見てみろ。お前んちの車が来てるぞ」

「え、もう一時間経っちゃったの……? ごめんなさい。身のある時間にしたかったのだけれど」

「十分、身はあっただろ。自分を見つめ直す、過去を振り返る時間は必要だ。歌詞にも反映できるんじゃないか?」

「……どうかしら。私自身、結局、何も、変われてないもの。今さら恥ずかしくなってきたわ。なんであんなこと、話してしまったのか」

「何も変われてないって、んなこたないだろ。今だって、親に隠れて文化祭でライブしようとしてるんだし」

「それは、あなたがあまりにしつこく勧誘してくるものだから仕方なく」

「その節は誠に申し訳ございませんでいた」

「……バンドに誘ってくれたこと、感謝してなくもないけど」

「な、え、どうした急に怖いんだけど」

「わ、忘れなさいさっきの発言は!」


 取り乱した氷上は勢いよく立ち上がり、入り口のノブに手をかける。


「先に行くからあなたは少し時間を開けて出るように」

「心得てる。次は二週間後のスタ練の時だな。歌詞の相談だったらメールでも電話でも放課後でも、いつでもしてくれていいからまた連絡くれ」

「分かったわ。また次の機会に」


 振り返ることなく、氷上は屋上から出て行った。

 扉に吸い込まれていく長い黒髪を眺めながら、翔は不思議な感慨に耽った。 

 接点を持つことなんてあり得ないと思っていた氷上とこうやって話すような仲になるなんて。


 これから先、集団生活を送る以上、明るい未来は見込めない、と諦めていた翔。

 最初煩わしいと思った克己からの誘い。氷上の勧誘。

 何かを起こそうとすれば、決めつけじゃない、普段の自分がし得ないことをすれば、予想外の結果が出ることがあるってことか。

 気分の良くなった翔は鼻歌を歌いながら屋上を一週し、屋上を後にしたのだった。


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