第5話 欲求
二限目の音楽の授業後。
翔は三限目、数学の授業がはじまっても興奮がおさまらず、頭がマトモに働いていない状態に陥っていた。
これがシビレるって感覚なのか。
氷上の歌声が耳に残って頭の中でループする。
曲のアイデアが次々と浮かんでくる。
ヴォーカロイドを想定していた曲たちが破壊され、代わりに氷上の声を前提とした曲が次々と。
「じゃあこの問題、姿月の兄の方。解いてみろ」
「……」
「おーい、寝てるのか? おかしいな、普段居眠りしてるの弟の方なのに」
「ちょ、セ、センセ、言うほどオレ居眠りしてないですよ!? 風評被害です!」
翔は、教室で発生した笑いの嵐で我に返った。
どうしちまったんだ。らしくない。授業の時はどんな時でも気持ちを切り替えて集中していたのに。
「すみません先生、すぐ解きます」
黒板の問題を見て数秒で解法を思いつき、教壇に移動する間に頭の中で解いたため、事なきを得た。
チョークを握り、白い線で数字を描いていく。
粉が指にかかる。気にせず手を動かし続ける。
解法、ならびに答えを書き終わる。翔の心は決まっていた。
バンド、やろう。
氷上をヴォーカルに誘おう。
教壇を降りる前に、一瞬氷上の方へ目線をやる。
もう解き終わっていたのか、氷上は頬杖を付き、つまらない、そう言わんばかりに髪を弄びながら、外を眺めていた。
※※※
克己:二限の時の氷上ヤバかったな。我がバンドに引き入れるしかないっしょ
翔:同意。逸材だ。誘う以外の選択肢がない
翔がそう返信してすぐ、克己はスマホの画面から目を離し、翔を見つめた。
その視線に気づかず、さらにメッセージを送る。
翔:俺みたいなのが誘っても上手くいくはずがない。人気者のお前が誘ってくれ
翔:頼む。彼女の声が欲しい
克己はすぐに察した。
自分の部屋で、音楽作っているときの翔だ。
他人には決して見せない、何かに熱中している時の翔。
克己は思わずピクリと唇の端を上げた。
克己:だからオレには時間ないんだって。それにオレがそんなことしたら変な噂流れんだろ。ほら、翔の言うように、オレって目立つじゃん? 別の意味で目立ってる氷上さんを誘ってみ?
翔は想像してみた。
克己が氷上をバンドに誘う。
取り巻き女子が発狂。氷上に陰湿な攻撃が襲いかかる。バンドどころではなくなる。
克己:その点、翔なら安心だろ。影薄いし
翔:ものには言い方ってものがあると思う。けどお前が動けないのは分かった。仕方なく俺が誘ってみるわ。だが、くれぐれも、教室でバンドの話は出すな。ライブのその日まで。お前はいいかもしれんが、俺みたいに影の薄い=日陰者にとっては、陽の当たるところに立つとたちまち消えちまうんだよ。それだけは守ってくれ
克己:分かったよ。んじゃ勧誘シクヨロ!
克己はそう返信した後、スマホをポケットにしまい、自分のグループの会話に戻った。
「なんかさー、最近かっちゃんスマホ見てること多くね? なに、カノジョでもできたん?」
「んなわけねぇだろ! 俺の恋人はバスケだけさっ!」
「え~、かっつんそれもったいないよ~。かっつんもっとオシャレしてみ? 絶対女子がほっとかないって! だから今度ウチと服買いにいかない? ばっちりかっつんに似あったの選んだげる」
「それあたしも行きたい~」
「拙者も!」
「お前はいつから忍者キャラになったんだ!」
「違うよかっちゃん、これは宮本武蔵イメージ」
「あっそ。どうでもよ」
「ひっでえ!」
やっぱりな。
翔はひとりごちた。
クラスのトップカーストに君臨するあのグループ。そのグループの中心人物が克己。次点に取り巻き三人。男子の方は克己と同じバスケ部のチャラ男系イケメンで克己と人気を二分している。
そして女子二人。こちらはおそらくどちらも克己が好きで、お互いを牽制し合っている。
そこで克己が氷上に興味を向けてみたらどうだ?
女子二人もトップカーストに属しているだけあってかなりの美人だが、氷上には及ばない。
それは二人も分かっているはずだ。
だから排除しようとするだろう。孤立ぎみで味方のいない氷上を。
そんなこと克己は望んじゃいないはずだ。
良い意味で目立っていたとしても、目立つことそれ自体に面倒が付随する。『興味』は目立っている人間に集まる。『興味』を持った人間は、興味対象に思考時間を割く。好意を向けられやすいが、反対もまた然り。
極力、目立つことは避けるべきだ。出る杭は打たれる。影が薄いくらいがちょうどいい。
翔は克己のグループを観察しながら、自らのスタンスを再確認した。
本当はバンドなんてやって目立つべきじゃない。でも。
その続きの言葉は、脳内で再生された氷上の歌声がかき消した。
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