第6話 兄弟
「翔! やる気になってくれてオレは嬉しい!」
「うっせえな。勉強してんだから邪魔すんな」
「べ、勉強してたのか。すまん。けど、嬉しくてさ。だって乗り気じゃなかったじゃん? ごり押しで承諾してもらったじゃん?」
姿月家にて。時刻は二〇時を回っており、翔たちの住むマンションは静かさをたたえていた。
「ごり押しって自覚あったんだな。お前が鈍感キャラじゃなくてよかったよ」
「んなこたぁどうでもいいんだよ。結果オーライってやつだ。んで、勧誘方法はどうすんだ?」
克己は翔の部屋に入ると決まってベッドを占領する。克己のベッドよりも大きいからだ。
「まだ考えてねぇ」
「ならよう、こんなのはどうだ? 俺はお前の歌声に惚れた! お前なしのバンドなんて考えられない! って教室で誘うとか!」
「アホか。今日言っただろ。目立つことはしたくないって」
「そういやそうだったなぁ。っくく、翔がそんなことしたら爆笑もんだな」
「ほら、お前だってそんなの現実的じゃないって分かって」
翔の発言はさえぎられた。
唐突に開いた、部屋のドアの音で。
そこに立っていたのは、翔と克己の母親、桃子だった。
在宅インストラクターとして辣腕を振るうキャリアウーマンの桃子は、自宅であろうとも仕事中はスーツ姿だ。
雰囲気もよく斬れるナイフのように鋭い。
「克己! 翔の勉強邪魔しちゃダメでしょ! あんたも少しは兄を見習って勉強しなさい! この前の中間の結果、聞いたわよ。平均点以下ですって? 言語道断。最低でも偏差値六〇台の大学に入るんでしょ? もう三年生になって二ヶ月も経ってるのよ? まったく、本当は部活も辞めさせて塾に通わせたいのに……教師の熱意に免じてそれはしないけれど。引退したらすぐ入塾できるよう手続きは済ませてあるから、それまでに模試判定でB以上は取っておくように。それと、同い年でもあんたは弟でしょ。きちんと兄さんと呼びなさい。以上。分かったらさっさと部屋に戻って問題集開く!」
角張った銀縁メガネのブリッジを抑えながらイライラを隠そうともしない声音でまくしたてる。
「……はい。兄さん、勉強の邪魔してすみませんでした」
克己は桃子から説教を受けている間、ずっと無表情だった。
翔に謝罪する時もそれは変わらない。九〇度の角度で頭を下げると、早足で部屋を出ていった。
「翔、うるさくしてゴメンね。生徒会、頑張ってるそうじゃない。中間も学年で二位。申し分ないわね。あなたなら推薦入学も十分狙えるでしょう。どうするつもり?」
「推薦でも一般入試でもどっちでも対応できるようにしてる。小論文、面接対策ももうはじめてる」
「そう。流石ね。そうだ、翔。あなたは私たち二人の出身大学、早慶大学を目指す必要はないのよ。翔ならそれよりもっと上だって」
「大丈夫。行きたい大学は自分で決めるから」
「塾はどうしましょう。あなたが望むならどんな高額なコースだって」
「今のところ必要は感じてないかな。自分でできる。参考書代だけ都合してくれないかな?」
「もちろんいいわよ。いくらでも必要額を言いなさい」
「うん。また新しいの欲しくなったら言うよ」
「ええ。それじゃあ私は仕事に戻るわ。そうだ、あなたからも克己に言ってやって。もっと勉強に身を入れるように」
「分かったよ。仕事頑張ってね」
翔の言葉にすっかり表情を緩ませた桃子は、機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら仕事部屋へ。
ドアが閉められたのを確認してから翔は浮かべていた微笑を引っ込めて、ため息をついた。
母さんは少し固すぎる。父さんもだけど。両親そろって学歴至上主義ってどうなのよ。
まあ俺も学歴はあるにこしたことはないと思っているが。
だって、目に見える数値や肩書きは信用できるから。裏切ることなんてあり得ない。プラスになってもマイナスにはならない。だから手に入れたいと思ってるだけだ。
バンドのことは一旦忘れ、机に向かう。
親の期待なんざどうでもいい。俺は自分のために研鑽を積むだけだ。
未だ鳴り止まない頭の中の歌声を強制的にシャットアウトし、数字の羅列に没入していく。
勉強はいい。余計なことを考えずに済む。悩みがある時は一旦目を逸らすことができる。
俺にとってのストレス発散法。それが肯定されるべきものなのは、ラッキーだ。
イヤホンで耳を塞ぐ。集中すれば聞こえなくなるが、導入剤として使っているから問題はない。
昨日はジャズだったから、今日はクラシック。明日はアニソンだな。
翔はそう決め、ウォークマンの再生ボタンを押した。
氷上を誘おうと決心した日から一週間が経ち。
ようやく翔は勧誘活動のために動いた。決心したものの、中々踏み出せなかったが、今日ついに。朝イチで学校に来て、下駄箱の中に手紙を投入した。昼休みに克己にそのことを報告したら鼻で笑われた。
克己:いつの時代だよ(笑)
翔:仕方ねぇだろ! 連絡先なんか聞けるか!
克己:んで、なんて書いたん?
翔:いいか、この世で下駄箱に投函される手紙は二種類しかないんだよ。ラブレターか果たし状だ
克己:やめろ笑わすな。周りに怪しまれる
翔:知るか
克己:で、内容は
翔:きちんと習字で『話がしたい。放課後、屋上に来られたし』って書いた
克己:習字である必要はない気が。ってかラブレターか果たし状、どっちにもとれるようにしたんだな。かしこい
翔:結果は追って知らせる。それまでしばし待たれよ
克己:御意
翔は横目で氷上をうかがう。
もう手紙を受け取っているはずだ。
氷上は変わらず外を眺めていた。
そんなに外見てて楽しいかね。好きな男子が昼練してるとかか?
と思っていたら、不意に視線を手元の本に移した。
歌を聴いてから度々氷上を観察していた翔だが、その中で得られた情報は極わずかなものだった。
氷上は外を眺めるのが好き。本(参考書)を読むのが好き。
隙がなかった。他人と必要以上に関わらない。そんな意志が透けて見えた。
翔は声だけじゃなく、人間性にも興味を持ち始めていた。
そんなこんなで色々期待しながら放課後を迎えた翔だったが。
小一時間、参考書を読み込みながら屋上のベンチに腰掛けていたが、一向に氷上が現れる気配はなく。
落ちゆく陽に目を細めながら、翔は思った。
あんな怪しげな手紙に従うやつなんていないよな、と。
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