第40話 自立
ところ変わって氷上家。
座敷では、氷上の母、瞳と、流々風が向かい合っていた。
「私の聞き間違いかしら?」
和服を着た瞳の威圧的な声音に気圧されそうになりながらも、流々風は気丈に、もう一度その言葉を口にする。
「お母様に何と言われようとも、文化祭でバンド、やります」
「認めません」
「なぜ認めてくださらないのですか?」
「以前も言いました。バンドなんて不良のやること。下品にやかましく騒ぎたて、周りに迷惑をかける……そんなこと、娘にさせるわけがありません」
「お母様の抱いているイメージは古いです。多くの高校では軽音楽部が設置されており、品行方正な生徒も所属していると聞きます。文化祭でバンド演奏することは一般化しつつあります」
「伝聞ばかりではありませんか」
「少なくとも、私のバンドメンバーは、有名私立、若葉高校に在籍していたり、バスケットボール部の主将であったり、私以上の成績をおさめる秀才であったりと、素晴らしい、誇れる人たちです」
その言葉で、ピクリと瞳の眉が動く。
「だとしてもです。私のように、バンドというものに悪い印象を持つ層は一定数存在します。イメージが大事なのです。氷上家の娘としてのイメージを崩すわけにはいきません」
そこで、正座していた流々風が、唐突に立ちあがった。
「私は、お母様の所有物じゃない。イメージが、他人から抱かれる印象が何だっていうのよ」
ふつふつと、声に感情が乗せられていく。その様子に瞳は全く取り合おうとはせず、淡々と
言葉を返していく。
「集団行動を送る上で周囲から良い印象を持たれることは重要です。私は、あなたに真っ当な人生を歩んで欲しい。そう心から思っています。私は、亡き夫のためにも、あなたを立派に育て上げなければならない」
「お母様の言う、立派な人間って?」
「一般常識、教養を持ち、多くの人間から慕われ、尊敬される人物のことです」
「そんな完璧な人間、いるはずがない」
「目標は常に高く。それを目指して研鑽することが大事なのです」
「そう。それが、お母様の言う立派な人間なのね。私の考えていた立派な人間とは違うみたい」
「聞かせなさい。あなたの思う、立派な人間の定義を」
立ち上がったまま、力のこもった目で流々風は瞳をねめつけた。
「自分で考え、行動できる人間。自分を幸福にさせる方法を自分で知っている人間。体裁ばかり気にして、お母様の言いなりになって、自分のやりたいことを押さえつけるのは、もうたくさんなのよ! 私、自分の意思で風間高校に進学して、良かったわ! だって、心の底からワクワクすることが見つかったのだもの! バンド仲間と、文化祭でライブをする。それが、今私が一番やりたいこと! ここでお母様に従って逃げたら、一生後悔する! その後悔をお母様のせいにしてしまう! そんな自分になりたくない! せっかくできた居場所を捨てたくない! 私は、私自身でいたい。それだけなの」
涙声。膝をつく。肩から長い黒髪が一束、二束とこぼれ落ちる。
瞳はそんな流々風を、静かに見つめる。
「まるで年端のゆかぬ子どもが駄々をこねているようですね。あれがやりたい、これがやりたいと、そればかり。……でも、それは私も同じだったのかもしれません。私のやりたい、をあなたに押し付けていただけなのしれません」
流々風は驚きのあまり、涙も拭かずに顔を上げた。
「お母様、それでは」
「正直、あなたの想いを聞いた今でも、自分の娘がバンド演奏をするということに抵抗感があります。嫌悪感さえ抱きます。しかし、仕方ないでしょう。あなたが、風間高校進学を押し通した時以上に、あなたの言葉に『真(まこと)』がこもっていたのですから。親に言われたからやめる。それで本当にやめてしまうようなことなら、それは些細なものということ。でも、あなたにとって、仲間たちとバンド演奏をする、ということは些細なことではないのでしょう?」
「はい。今の私にとって、最も重要なことです。未来でも過去でもなく、今の私にとって」
「……いけませんね。なまじ人生経験があると、失敗の対策が頭に浮かび、それを子に伝えたくなる。あまつさえ強要したくなる。今だからこそ得ることができるものがあると、忘れそうになる」
「……ありがとうございます、お母様」
「礼など不要です。私は認めたわけではありません。関与しないというだけです。あなたの行動の責任は、あなたがとりなさい」
「はい! 後悔しないように、私は今を生きます。それに、私はもう数か月前に、言ってしまったのです。バンドに加入すると。文化祭でライブを行うと。一度やると決めたことは途中で投げ出さず最後までやり抜きなさい。これは、お母様の言葉です」
正座になおり、安堵のあまり口元が緩んでいる流々風は、かすれた声でそう言った。
「あら。これは一本取られましたね」
話し合いがはじまってからずっと無表情だった瞳が、この時だけは、僅かに笑顔を見せたのだった。
「さて、前回のスタジオから中々全員の予定が合わず、結局文化祭前日になってしまったわけだが。全員、仕上がってるか?」
それぞれが定位置についたことを確認し、翔はぐるりとバンドメンバーを見回した。
「オレぁばっちりだぜい!」
克己がスティックをくるくる回しながら余裕を感じさせるドラムロールをかます。
「一〇月入ってからほぼ毎日塾終わりにスタジオ入ってたもんな。この体力オバケめ」
「わたしも特に問題なし! 譜面全部覚えた!」
こちらも脳天気にトリルしながら軽やかに答えた。
「優子も技量面はよさそうだな」
「私は、新しいエフェクターを試してみるわ。ギリギリになっちゃって申し訳ないけど、ハマればすごく良くなりそうなの」
「氷上はもうすっかりエフェクターオタクになったな。今度は何だ? 前回はフェイザーを試してたけど」
「ワウよ」
「ソロ部分でブースターかけつつ使う気だな。それだけエフェクター多用するならスイッチャー使った方がいいかもしれない。間に合いそうなら購入を検討するように。さて諸君、今日は四時間という長丁場だ。前半二時間はコピー曲をひたすら合わせて、後半二時間はオリジナル曲に全力を注ぐ。気合い入れてくぞ!」
「「「おー!」」」
各々手慣れた様子でセッティングを終わらせ、克己の、スティックによるカウントが室内に響く。
本番前、最後の音合わせがはじまる。
モンパチの『ちいこい』、超細胞の『きみしら』は全員手慣れた様子でつつがなく練習を終える。
一〇分休憩を挟んでから、オリジナル曲へ。
「氷上、歌詞のことなんだが」
翔が氷上にそう尋ねた。
氷上に任せる、と決まってから、氷上からの進捗報告はなかった。歌詞のことにはこだわりたいだろうな、と予想した翔はあえて催促するようなことはしなかった。
「完成させてきたわよ。あの日の夜に一気に仕上げたわ」
「そ、そうか」
「お、ついにか! 楽しみだぜ!」
「わたしもずぅーっと楽しみにしてたんだよっ! 早く聞きたいな~」
「早く聞きたいなら、各自楽器をかまえなさい」
ニヤリと不敵そうに笑う。
氷上の珍しいその仕草に驚き、そんな顔を見せてくれたことに得も言われぬ喜びを感じつつ、各々楽器に手を沿わせる。
「……と偉そうにいったはいいものの、勢いで書き上げたし、百パーセント私の感性でできているから他人に見せないと評価は分からないし、もしかしたらものすごい駄作になってるかもしれないからあまり期待はしないでちょうだい」
不敵な笑みから一転、緊張からか顔面蒼白になる氷上。
「自信持てよ。あまりにひどかったら修正するから、初披露の時くらい胸張れ」
翔は小さく笑いながら、どぅるどぅると指弾きでベースを鳴らす。
ピック弾きだとどうしても音が鋭くなってしまう。それではこの曲に合わない。翔はオリジナル曲を少しでも良い状態にするため、指弾きを練習していたのだ。
「兄さ、翔の言うとおりだぜ! 今日はじめてオリジナル曲が完成するんだ。ブチ上がっていこう!」
ライド・シンバルを小刻みに叩きつつ、力強くペダルを踏み大きくバスドラを鳴らす克己。
「御託はいい。さっさとはじめようぜ。フッ。BY翔くん」
「だっせえ口上を勝手にねつ造するな」
グリスアップ、グリスダウンを繰り返しながらキザに言い放つ優子。
彼ら彼女らのおかげで緊張がほぐれた氷上は、場を整えるように、ジャカジャーン、と弦を弾く。
「克己、カウントちょうだい。優子、出遅れないように」
興奮からか、まくしたてるように言葉を吐く氷上。
その声に、呼ばれた二人が氷のように固まる。氷上は自覚していない。
ややあって、氷が溶けるように二人の表情が明るくなり、言われたとおりの行動をとりはじめた。
クルリと一周、右手に持ったスティックを回してから、スティック同士をぶつけてカウントをとる。
カッカッカッカ。
最後の音が終わってすぐに、優子が鍵盤を押し込む。
軽快なメロディ。明るい、春の訪れを知らせるような調べ。
イントロが終わり、優子以外のパートの面々が一斉に音を出す。
それと同時に、氷上がマイクに近づき、オリジナル曲の最後のピースをはめる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます