第10話 毬谷優子

 定期券を使い、新宿からお台場まで電車で移動すること四〇分あまり。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。児童たちへの連絡事項伝達の後、紹介させていただきますので一言ずつお願いします」


 児童会会長から一日の流れの説明があり、その後屋外へ移動。

 集まったのは、氷上や翔が在籍する公立風間高校から四人、千代田区にある進学校、市立若葉高校から六人の計一〇人。

 始まる前に時間があったのに、翔はぎりぎりで現場に到着したせいで氷上と一言も話せなかった。


「おはようございます。今日の草刈りですが、高校生のおにいさんおねえさんがお手伝いに来てくれました。はい、拍手! みんなの力じゃ刈れない草があったり、怪我して困ったりした時はまず近くの児童会員かおにいさんおねえさんに声をかけるように。それでは自己紹介お願いします」


 市立若葉高校の生徒から順に出身校と名前を告げていく。意識高い奴は児童たちに自分の名前を覚えてもらえるよう自らあだ名を用意してきていた。

 翔は風間高校の一番手。若葉高校の最後の生徒が自己紹介しているうちに心の準備をしておかなければ。


「若葉高校から来ました、毬谷優子と言いますっ。まりちゃんって呼んでね~」


 翔はその名前、声を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

 人はあまりに予想外のことが起こると何も考えられなくなり、時間跳躍を経験することになるらしい。

 隣にいた氷上に小突かれ、ようやく翔は現実世界に帰還した。

 不安そうに自分を見つめる児童たちに急かされるように、口早に自己紹介を終わらせた。

 それから氷上、下級生と続き、いよいよ活動へ。


「では、これより草刈りを開始します。今日一日頑張りましょう」


 は~い! という元気一杯な児童たちに押されるように歩き出す。


「ね、キミ、かーくんでしょ」


 先ほどの自己紹介でまりちゃんと名乗った若葉高校の女生徒が、唐突に翔に話しかけた。


「優子、だよな」

「昔みたいにゆうちゃんって呼んでもいいのに」

「そんなのできるかよ」

「それにはわたしも同意かな。わたしの知ってるかーくんなのか確認しただけ。久しぶりだね、翔くん」


 毬谷優子。小学校、中学校と翔と同じ学校だった翔の同級生。

 生まれつきの茶髪。いわゆる、ゆるふわボブと呼ばれる髪型。柔らかな印象を与えるたれ目。

 高校生になってから一度も会ってなかったが、翔の記憶に残っている優子そのままだった。


「ひ、久しぶり」


 翔、克己、優子の三人が知り合ったのは幼稚園の頃。公園で遊ぶ仲だった。

 小学生の頃までは仲良くつき合うことができた三人だが、中学へ入ると、段々と疎遠になっていった。理由は、この年代の男女によくあること。お互いを異性と意識することによる気恥ずかしさだ。


 それでも翔と優子は中学の一年次と二年次に同じクラスだったことから、たまに世間話くらいはする関係性だった。

 要は、翔にとって優子は、若干気まずさはあるものの、それなりに親しい、異性の知り合い、ということになる。そんな微妙な関係性だからこそ、昔みたいに、かーくん、ゆうちゃんと呼び合うことはできない。


「そんなに緊張しなくてもいいのに。それにしてもこんなところで偶然会うなんて。かっくんは元気?」

「あいつは相変わらず元気一杯だよ。バスケ部のエースで夏のインターハイにも出るんだってさ」

「インターハイって各県の代表が試合するやつでしょ? 東京からは確か三校出れるんだよね」

「らしいな。すげぇよほんと」

「いや~久しぶりに会ったら色々思い出しちゃった。ね、今日ボランティア終わったらどっかでお茶しない? 積もる話もあることだしさ」


 翔は逡巡した。

 断る理由はない、が、クラスの連中に見られると厄介だ。学校から離れた場所とはいえ油断はできない。マスク持ってきてたよな。それつければ大丈夫か。しかし二人きりというのは気まずい。克己も誘ってみようか。


「そだ、かっくんも誘おうよ!」


 翔が思っていたことを優子の方から提案してきた。これはラッキーだ。


「だな。あいつ午後は予定空いてるって言ってたから多分来れる。連絡してみるわ」

「お願いねー。さあ、終わった後の楽しみもできたし、草刈りがんばろ~! 児童たちと刈りまくるぞ~!」


 優子はぐるぐる腕を回しながら小走りで児童たちの元へ向かい、おしゃべりしながら草を刈りはじめた。

 翔も優子と同じく昔を思い出し、懐かしい気持ちに浸る。優子と一番仲が良かった時期が、ちょうどこの児童たちと重なるせいで、小学四、五年生くらいの時が思い起こされる。


 あの頃は無邪気だった。余計なことなど何も考えず、興味のあることに真っ直ぐ向かっていって。

 っといけないいけない。高校の名前を背負って参加しているのだから、しっかり活動しないと。

 氷上と接触するという当初の目的を優子との出会いによってかき消された翔には、ただ児童会の手伝いが残されただけだった。


 三時間後。


 翔は普段得られることのできない類の達成感、充実感に包まれていた。

 身体を動かし、純粋な児童たちと触れ合いながら環境整備。悪くない。

 タオルで汗を拭いながらゴミ袋を運搬する。

 普通に有意義な休日を過ごしてしまった。


 しかもこの後は昔なじみとお茶会だ。たまに休日に早起きするの、いいかもしれない。

 何か重要なことを忘れているような気がするけど、気分良いし今は細かいこと気にするより撤収作業に集中しよう。

 翔が忘れていた本来の目的を思い出したのは、優子と一緒にヨネダ珈琲に入店したときだったという。


「どしたの翔くん、そんな落ち込んだ顔して。ボランティアで何かあった?」

「何もなかった、いや、しなかったのが問題と言うべきか……。はぁ、詳しいことは克己が来てから話すよ。今日俺がボランティアに参加した理由もそれに関係してるんだよ」

「へー。てっきりこの時期だから内申点稼ぎにきてるのかと思った」

「んまぁそう思うよなぁ。俺は生徒会やってるし内申点も希望校のボーダー以上キープしてるからそこら辺は心配してないんだ」

「そっか。翔くん昔から勉強熱心だったもんね。中学の時も生徒会入ってたけど、高校でもそうなんだね。志望校はもう決まってる?」

「第五希望までな。もう高一の頃から決めてある」

「はえー。将来のことしっかり考えてるんだね。すごい」

「そういう優子はどうなんだよ」

「んー、わたしはねぇ……と、その前に注文、先に済ませちゃおうよ」

「そうだな」


 話し始めてみれば、意外とすんなり、自然に接することができるようになっていた。

 二年以上話していなかったとしても、共に過ごした時間は消えない。

 それに優子は、中学三年生の時のあの事件を知らない。だからこその気安さだろう。

 翔がメロンソーダ、優子がカフェオレ。


「なっつかし~。翔くん、昔からメロンソーダ好きだよね」

「そうだったか? 言われてみると確かにメロンソーダばっかり頼んでる気がする」

「いやぁ、本当、懐かしいなぁ。元気にしてた?」


 優子は、翔の対面で人好きのしそうな柔和な笑顔を浮かべながら気さくに話しかける。


「それなりに。優子こそどうなんだ。いつものグループの連中とは相変わらず仲良くやってるのか?」

「それはもう! だけど、みんな受験を意識しだして、多少ギスギスしはじめてはいるかな。勉強に集中したい時と、何もかも忘れて遊びたい時、それぞれあるでしょ? 全員のタイミングが合うこと、中々ないんだよねー」

「あー、なるほど。お前等っていつも一緒に行動してたもんな。遊びたいやつと勉強したいやつが衝突して、ちりぢりに行動してるって感じか」

「まさにそれ! 人間関係って難しいよねぇ」

「お前は相当上手くやれてると思うけどな」


 俺なんかよりよっぽど、という台詞は、場の空気が悪くなると判断したため、呑み込む。

 それからも雑談を続けようとしたところ。


「おっす! ゆうちゃん久しぶりー! 懐かしいな! 何も変わってなくて安心した!」


 克己だ。挨拶しつつ、どっかりと優子の隣に腰をおろした。


「かっくんだ! 克己くん、おひさ! そういう克己くんも変わってないねぇ」

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