第45話 MC
翔は、じっとりと湿ったシャツの感触に今更気づきながら、足下に置いておいたペットボトルの蓋を開け、中の水をのどに押し込む。
「こんにちは。Blue Springsです。よろしくどうぞ」
額から汗を垂らしながら、流々風がマイクに声をあてる。
一般のお客さんからはまばらな拍手が、生徒からは歓声が上がった。
流々風が克己その他とバンドをやる、という情報は文化祭の数日前、ステージ発表一覧が全生徒に配布されてからすぐ広まったため、流々風目当てでライブに来た生徒が数多くいる。それと同じくらい、克己目当ての生徒もいるが。
そうした、メンバー個人の人気に加え、『ちいこい』『きみしら』という選曲も上手くハマったおかげでサクラの仕込みなんて必要ないくらい、ライブは盛り上がりを見せていた。演奏面は拙い部分が多いが、流々風の歌唱力でなんとかカバーできている状態だ。
体育館から漏れ出るドラムやベースの重低音、観客の歓声に引き寄せられ、現在進行形でぞくぞくと体育館内に人が入ってきている。
残すところ一曲。俺と流々風で作ったオリジナル曲。
「次の曲やる前にメンバー紹介します。まず、キーボード、狐仮面!」
タララララン、と軽快に鍵盤を叩く狐仮面もとい優子。
誰だー、あの中身美少女っぽいのは誰だー克己ー後で紹介しろーというチャラ男の声が聞こえてくるが誰も取り合おうとはしなかった。
「続いて、ドラム、克己!」
シンバル系をやかましく鳴らしてから、ドラムセットの近くに設置してあったマイクを引き寄せる。
「ただいま紹介に預かりました、みなさんご存じ克己でぇーす! 一年生! はじめての文化祭、楽しんでるかー!」
「お、おー」
「二年生! 今が一番遊べる時期だぜ! 最後まで祭りを楽しみつくせー!」
「おー!」
「三年生! 野暮なこたぁ言わねぇ。今だけは、何もかも忘れて遊び狂おうぜーい!」
「おおおおぉぉぉぉおおおお!!!」
ステージの最前列に陣取っていた集団が腕を天に突き上げながら雄叫びをあげた。受験のストレスをここぞとばかりに発散させている。
「いいぞその調子だ! んじゃ次は、ギターボーカル、るぅーるぅかぁ!」
会場のテンションをブチ上げて流々風にバトンタッチする克己。
「こんにちは。ギターボーカルを務めさせてさせていただきます三年六組の氷上流々風です。本日はよろしくお願いいたします」
ギターを抱えながら慇懃に礼。
マジメかっ! という加藤の突っ込みが入る。
克己の上げたテンションが継続している観客から大きな笑いが漏れた。
顔を上げた流々風はなぜか怒ったような顔をしていた。
「誰がマジメちゃんですって? そんなお高く止まってバンドなんてできないわよっ! ていうかねあなたたち、さっきまでで二曲やってきたけど、私、まだまだ盛り上がれると思うのよ。つ、つか、こ、こんなもんじゃねえだろおみゃえらぁ! 死ぬ気でついてこいやぁ!」
「……う、うおぉぉぉぉおおおお!」
流々風の慣れない煽りに、一生懸命さを感じたのか、やや過剰気味にノってくれた生徒たち。
「ふぅ。これ一回言ってみたかったのよね。あっ」
しまった、と口を押さえる流々風。心の声ダダ漏れで、その声をマイクがきっちりと拾っていた。
後で分かることなのだが、この時の赤面顔を見て流々風ファンが劇的に増えたそうな。
克己が熾した火は順調に育っていき、場は十二分に暖まっていた。
「こほん。では、最後に、ベース、そしてこのバンドのリーダー、翔!」
何度も練習した、自己紹介の時用のソロを奏でる。
優子は他校の生徒ということがバレないように話さないようにしてもらっているから自己紹介は無かった。その他の三人は軽く話す予定になっている。
マイクの前に立ち、観客たちの顔を見た途端、頭が真っ白になった。
ライブは平気だったのに。この静けさの中、大勢の視線が集中し、翔は極度の緊張状態に陥った。
言葉が出ない。
静寂を裂いたのは、加藤の脳天気な声だった。
「翔っち~緊張してんのか~何かしゃべれ~語れ~」
体育館内にクスクスと何人かの笑い声が響く。
翔は思わず脱力して、ひざから崩れ落ちそうになった。
加藤のおかげで、緊張状態から脱する。
翔は、かねてから考えていたセリフをマイクにぶつけていく。
「どうも。三年六組の姿月翔です。ベースやらせてもらってます。加藤くんが語れと言ってくれたので、この場をお借りして少しだけ。俺は、弟の克己のような人気者じゃありません。なるべく周りに迷惑をかけないように、目立たないように過ごしてきました。けど、克己が、文化祭でバンドやろうって誘ってくれて。実は、ワクワクしてしまったんです。だってそうでしょう? 文化祭でライブするなんて、最高に青春してると思いませんか? ここ数ヶ月間、胸を張って言えます。今までの人生で一番楽しい時間だったって。そんなきっかけをくれた克己には感謝しかありません。次に、狐仮面。昔は克己と俺と三人で仲良く遊べていましたが、疎遠になっていきました。でも、こうやってもう一度、繋がることができた。これって、すごいことだと思うんです。いつも場を和ませてくれて、ありがとう」
翔は、メンバーの方を見ず、前だけを見つめている。
体育館内は静寂に包まれていて、立ち見が出るほど人がいるのに、物音一つしなかった。
「そして、流々風。俺の、バンドをやりたいという気持ちを後押ししてくれたのは、あなたの歌声でした。衝撃だった。二曲、聴いてくださった皆さんなら分かってくれると思います。彼女の歌声はずば抜けている。誰かに披露しないともったいないと思っていました。彼女の歌声に自分の音を添えることができる喜びに浸っています。バンドに入ってくれて、ありがとう。メンバーの三人には、感謝しかありません。干からびた水槽に水を入れてくれた。皆のおかげで俺は息ができる。泳げる。行きたいところに行ける。改めて、バンドメンバーに、心からの感謝を」
翔は横を向き、メンバーに向かって頭を下げた。
克己は終始うつむいていて、優子はコクコクと何度も何度も頷いている。
流々風はただひたすら、真っ直ぐに翔を見つめていた。
克己、流々風が煽って高めた観客の熱はすっかり冷めてしまったが、代わりに、観客の意識はバンドに集中し、研ぎ澄まされていた。
全員じゃなくていい。俺のこの赤裸々な告白が、誰か一人に、何かしらを残すことができたら。
いや、それは詭弁か。俺が単に、今のテンションじゃないと言えないことを、言いたかっただけだ。伝えたかっただけだ。
「最後に、曲を聴きに来てくださった皆さん。本当に、ありがとうございます。あなたたちのおかげで、最高のライブが、思い出が作れそうです。次の曲で終わりです。魂込めて作ったオリジナル曲です。それでは、聴いてください」
そこではじめて、翔が全員に目配せする。
「――――」
流々風がタイトルコールし、克己がカウントをとる。
克己のバスドラと、優子の奏でるキーボード。イントロはそのシンプルな二つの音のみ。
イントロは曲の顔だ。どんな雰囲気の曲なのか、メロディが明朗に語る。
軽快で、跳ねるようなリズム。明るめのコードの多用。キャッチーだと思ってもらえるように苦心して作った。
そして、氷上の口が、開く。
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