第44話 出陣

「氷上、力強くて苦しいんだが」


 翔がたまらず声をあげる。


「今はそんなことどうでもいいのよ!」

「お、おう。すまん」


 氷上が放つ熱に気圧される翔。

 氷上はうつむき、汗をたらしながら、感情に任せるままに言葉を紡いでいく。


「バンドリーダーの翔を差し置いて先に私が話させてもらうわ。いい? 私は、この日を、この中の誰よりも楽しみにしていた自信があるわ。異論は認めるけど後にして。私は、つまらない日常から抜け出すためにこの高校に入ったの。でも、何も変わらなかった。当たり前の話よね。つまらない日常は他ならない私自身が作ってたんだもの。このまま私は、中身スカスカな高校生活を送るのかと緩やかな絶望の中にいたわ。でもね、翔が声をかけてくれたおかげで、私は、変わることができた。ワクワクする日々を、作ることができた。ありがとう。感謝してる。翔にも、克己や優子にも。他人と音楽をやることが、こんなにも楽しかったなんて、知らなかった。親にやらされてた音楽は、このバンドでライブするためにあったんだって思えた。私は、私自身、変われた証明として、ライブを成功させたい。なんて、ゴタゴタ話してきたけど、結局、何が言いたいかって言うと、私は今最高にワクワクドキドキしてる! 早くギターかきならして、声の限り歌いたい! 以上!」


 はぁ、はぁ、と荒い息をつきながら、氷上は体重を両サイドの翔と克己に預ける。

 じゃあ次はわたしだね、と、氷上の対面の優子が、口を開く。


「わたしは、皆の真っ直ぐさに惹かれて、皆の言葉に背中を押された。すごいよ、みんな。自分が行きたいところが、自分自身で分かってる。漫然と生きてない。それが、眩しかった。わたしもそんな眩しさの中にいたかった。わたしが皆にできるお礼は、今日のライブを精一杯楽しんで、盛り上げること。このライブで解散じゃないからね。これからもまた集まって、音楽しよう! 以上!」


 優子は、終始笑顔だった。皆、お調子者な優子の笑顔に癒されてきた。


「うっし、この流れなら、次はオレだな! んまあ、あれだ。勢いのまま翔にバンドやろうぜ、って提案した過去のオレを褒めてやりたいよ。オレもさ、優子みたいに進路に迷ってて。や、違うな。迷ってたんじゃなくて、上手くいってなくて、が正しいな。別に勉強から逃げてたわけじゃないんだけどさ。成績伸びなくてさ。最初は只の鬱憤晴らしだったんだけどなぁ。なんか、本気でやってたバスケとは別に、でっけえ思い出作りてえってなって、実際にスタジオ入って音合わせたりさ、スタジオ終わりに店でだべったりさ、練習して叩ける曲増えたりさ、なんか、そういうのがすっげえ楽しかったんよ。楽しかったなぁ。あとはもうライブするだけだから、なんか寂しいわ、うん。優子が、ライブ終わっても解散しない、って言ってたけど、それでもやっぱり一区切りつく。一つの終わりを迎える。終わるために、ライブする。楽しかった日々を終わらせたくないのに、終わるために練習してきて……あーもう全っ然上手く言えねえよ! オレ、八方美人なとこあって、友達多いけどやっぱどっかで無理してて、でもこん中にいると、すっげえ自然体でいられたんだ。そんな時間がなくなるなんて嫌だ。でも、これまでの日々を無駄にしたくない。だから、やるんだ。ライブ、成功させっぞ!」


 そこまで言い終えた克己は、まるで全力疾走した後みたいに息が上がっていて、顔はこれ以上ないほど紅潮していた。

 皆の視線が自然と翔に集まる。

 翔は、各々の言葉を噛みしめていた。宝もののように、自分の大事な部分に刻み込もうと、何度も何度も反芻する。

 翔は、全員の顔を見渡した後、すう、と大きく息を吸った。


「時間がないから俺のは割愛する」


 それはないだろ、という無言の重圧が翔にかかる。

 しかし、ライブの成功を一番に考えているからこそ、長くは話せない。


「俺の言いたいこと、お前らに全部言われちまったんだよ。だから、俺から言うことは一つだけだ。楽しかった。そして、今までで一番楽しいことを、しにいこう!」

「「「おー!!!」」」


 示し合わせたわけではなかったが、かけ声とともに、全員が右足で円陣の真ん中へ踏み出す。


「スタンバイお願いします」


 タイミングを見計らったように、文化祭実行委委員が控え室に声がけをしてきた。

 各々楽器を持って、ステージに上がる。

 克己の知り合いがセッティングを手伝ってくれるため、克己が先行する。続いて、狐のお面を被った優子。次に氷上。


「どうした氷上? 早く準備しに行けよ」

「あなたは?」

「PAいないかんな。ほら、そこのステージ手前んとこにあるミキサー使って全体の音量調節しなきゃいけないんだ。ちなみにチャラ男、あー、加藤にベースの音出し頼んである」

「そう。……ねえ、最後のスタジオの時みたいに、皆と同じように……いや、なんでもないわ。音の調節、よろしくね」


 どこか寂しそうな表情を浮かべながら、翔に背を向けた氷上。

 最後のスタジオ? 皆と同じように?

 こんな時に、氷上は何を俺に伝えたかったんだろう。何をしてほしかったんだろう。


 頭をフル回転させて、考えを巡らせる。

 氷上がステージに上がる直前に、翔は答えにたどり着き、とっさに氷上の腕をつかもうとして、狙いがずれてその下の、手をつかんでしまった。

 偶然手を握ってしまったことにテンパりつつ、言うべきことを言うために、翔は、手をつかまれて驚き、振り返った氷上の目を見据えて力強くこう言った。


「流々風。お前はバンドの顔だ。流々風が楽しく演奏、歌えるかどうかでライブの善し悪しは大きく左右される。だから、思いっきり楽しめ!」


 噛まずに、言えた。

 流々風は、信じられない、と言わんばかりに目を大きく見開き、口を半開きにしていた。

 数秒後、頭を振り、ニッと、奔放な子がするような笑顔を浮かべて、握った手に力を込めてきた。


「ええ! 皆で楽しみ尽くすわよ!」

「おう!」


 流々風をステージに送りだしてから、翔はミキサーに向き直る。沢山並んでいるこのツマミ一つ一つの調節次第で、ライブの質が大きく変わる。

 翔以外の全員が音を出せる状態になったのを見計らって翔はマイクを握った。


「それでは、ワンコーラスお願いします」


 翔の指示で、『ちいこい』のサビ部分だけ演奏が始まる。

 サビで何の曲か分かった観客が、おぉ、と声を上げる。よし、知ってる人は多そうだ。

 ボーカルはハイをやや削る。バスドラ若干抑えめ。ベースはロー上げ、シンセは全体的に上げ目で。

 限られた時間の中で最大限調節する。


「返しどうですか」


 翔の問いかけに、流々風と優子は特に無し、とジェスチャーを送ってきた。


「ベースもっとください」


 そんな中、克己だけがベースの返し音量をもっと上げるよう要求してきた。

 俺のリズムをあてにしたいってか。

 克己が自分を頼ってくれたことを、どこか誇りに感じながら翔はツマミをいじる。

 これで音響は良し。あとは、演るだけだ。

 翔の代わりにベースの音出しをしていた加藤がベースをアンプに立てかけ、ステージを降りる。


 いよいよだ。

 翔はステージに上がり、ベースのストラップを肩にかけ、ベース側のボリュームノブをグイッっと回す。

 体育館内の照明が落ちる。

 ざわめきが徐々におさまっていき、張りつめた空気が満ちていく。


「それでは、Blue Springsのみなさん、お願いします!」


 アナウンスとともに暖色照明が翔たちに降り注ぐ。

 流々風がステージに背を向け、メンバー一人一人と目を合わせ、頷き合っていく。

 ステージに向き直り、深呼吸。

 克己がスティックでカウントをとる。

 木と木が打ち合わさる乾いた音。

 直後、流々風の鮮烈な歌が、観客の鼓膜を震わせた。

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