第43話 円陣
「ようこそ、美容院マリーヤへっ」
「遅かったわね」
控室に来た翔と克己を出迎えたのは、優子と氷上。
「何が起きるんです?」
入ってすぐ、白い大きな布を携えた優子が、カチカチとハサミを鳴らして翔の前に立ちはだかる。
「何が起こるかって? それは決まりきってるぜい! 翔くんのそのうっとおしい前髪を切るんだよっ!」
ハサミを拳銃のように構える優子。
「勘弁してくださいこれは俺のアイデンティティであり外界の障気を遮断する防護壁であり」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ観念しやがれってんだオラオラオラァ!」
「キャー! 汚されるー!」
と、茶番を繰り広げながら翔はしぶしぶ優子に髪を切られた。
ここで抵抗しても最終的に首を縦に振らされることは分かり切っている。時間も惜しい。なら素直に従うしかないのだ。
アイデンティティとか言ったけど実は前髪なんてどうでもいいしな。なんとなく伸ばしてただけだし、と翔は強がってみせる。
「って優子!? 流石に切りすぎじゃない!? うわぁデコがこんなに見えてるよ……」
「うんうん、やっぱりかっくんと一緒で頭の形がイイネ! 似合ってる似合ってる!」
「そ、そっか?」
違和感しか感じない翔の後ろに音もなく忍び寄る影。
「おし、翔! オレがワックスで整えちゃる!」
「え、ちょ、勝手に」
問答無用で翔の髪に指を突っ込んでわしゃわしゃやる克己。
そんな二人から視線を外した氷上は、先ほどまで翔が座っていたイスに腰をおろし、優子にハサミを差し出した。
「美容院マリーヤの店員さん。私の髪も切ってくれない?」
「え!? いきなりどうしたの!?」
「髪、短くしたくなったの。そうね、肩にかからないくらいかしら」
「……本当にいいの? そこまでの長さにするまですごく時間がかかったんじゃない?」
優子は心配そうに氷上の長く艶やかな髪を手に取った。
丁寧に手入れされた髪だ。
「いいのよ。この髪型、母が指定したものだから。今までは律儀に守ってきたけど、もう、いいの。私ね、私、ずっと憧れてたのよね。優子みたいな髪型」
尻すぼみになっていく言葉。
「分かった。そこまで言うなら、このわたし、鞠谷優子が流々風ちゃんのその絹のように美しい髪を切らせていただきます!」
カッ、っと目を見開いた優子が、氷上から差し出されたハサミを、片膝をついて捧げ持つように受け取った。
時間が無いためか、それとも手際が良すぎるのか、散髪は翔の時と同じくものの五分程度で終わった。
「優子にこんな特技があったなんて。すごいわ。上手く切りそろえられてる」
「へっへーん! わたしのおばあちゃんが有名な美容師さんで、帰省するたび技術をたたき込まれてきたからね! ほら、わたしの完璧な腕前のおかげで男子二人もイメチェンした流々風ちゃんにメロメロだよ!」
小さい頃は翔や克己もよく優子のカットモデルになっていたものだ。そのせいで最初の頃はひどい髪型になって結局後で美容院に行くことになっていた。
「なっ、おい優子、適当なこと言うな! お、俺はただ、あまりに見た目が変わったものだから珍しくて」
「言い訳すんな翔。短い髪型も似合ってるぜ流々風! こりゃまた人気出るなぁ」
「どうも」
氷上は特に表情を動かすことなく応える。ただ、頻繁に毛先をいじっていた。
「まあ、いいんじゃね。根暗そうなイメージ払拭できて」
「その言葉、そのままあなたにお返しするわ」
なあんか、ツンデレ猫同士のやり取り見てるみたいだなぁと優子は呟き、うんうんとうなずく克己が隣で同意を示していた。
「すみませ~ん、バンド出演者の方たちですよね? 前のステージ発表でトラブルが発生しまして、開始が一五分ほど遅れます。すみません~」
文化祭実行委員の腕章をつけた生徒が控え室に入ってきて、それだけ告げると慌ただしく部屋を飛び出していく。
「これは逆にありがたいな。俺、まだ何も準備できてないし」
「そうそう! わたしたちまだステージ衣装に着替えてもないしね~」
「い、しょう……?」
「おっけー、忘れたんだね~。時間ないし皆制服にする?」
優子は出演者として学校に入り込むため、氷上から予備の制服を借りて着用している。
優子の提案に、克己は渋い顔をした。
「え~。せっかく用意したのにぃ! 楽しみにしてたんだけどな~」
反対に氷上は当然だとばかりにうんうんと頷いていた。
「統一感は必要だし、全員制服でいいんじゃないかしら」
「と、流々風ちゃんは申しておりますが、実は一時のテンションで用意したちょっとエッチな衣装を持ってきたはいいものの改めて見るとこれはやっぱり恥ずかしいと感じていたところその衣装を着る機会がなくなりそうになり、ここぞとばかりに便乗したと、そういうことで合ってますでしょうか?」
「合ってない!」
今まで聞いたことがないくらい、それこそ歌う時くらいにしか聞かない大きな声で否定した氷上。
一同の、これは絶対嘘だろ、という視線をものともせず否定の姿勢を貫いている。
「んまあ、流々風ちゃんがそう言うのならそうなんだろうね~流々風ちゃんの中ではね~。っと、そんなこと言ってる場合じゃな~い! せっかく時間できたんだし、みんな、最後のチェック、心の準備を!」
珍しくまともなことを言う優子に、翔も賛同する。
「だな。あと一〇分くらいか」
優子はイヤホンで曲の確認。克己は壁によりかかりながら目をつむり、精神統一。
氷上はギターをひたすら磨き、翔は何度もチューニング。チューナーの電源を入れ、一弦ずつ合ってるか慎重に確認し、電源を消し、しばらく自由に弦を弾いた後、また電源を入れてチューニング。翔なりの心の準備の仕方なのだろう。
体育館ステージから、演目の終了を知らせるアナウンスが聞こえてきた。
今からステージ片づけを経て、翔たちの出番となる。
克己が目を開け、ステージの方をうかがいに行った。翔たちもそれに追随する。
「片づけ終了の後、バンド演奏がはじまりますのでしばしお待ちください」
先ほどのステージ演目目当ての人たちが席を立ち、かわりに翔たちのバンド目当てだと思われる人たちがぞくぞくと入ってくる。
「あっ」
克己が不意に声を上げた。翔は気になって克己の視線を追うと、そこには見慣れた人物の姿が。
「父さんと母さん、来たんだな」
「……珍しいな。普段土曜日のこの時間だと二人とも死んだように寝てるのに」
「翔を見に来たんだろうなぁ」
その横顔は、ショーウィンドウの向こう側を見ているかのように、憧れで煤けている。
翔は黙って、克己の頭をつかんで強引に視線を移動させた。
「いてっ! 何すんだ!」
「見ろ。あいつら、お前を見に来た連中だろ。サクラ要員じゃなくて、純粋にお前を見に来てるやつらだ」
克己の目に、いつも教室でつるんでるメンバー、部活の仲間、中学校の時の同級生、塾でできた友人、数多の縁有る人間たちが飛び込んできた。
克己、克己と、彼らの口から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
「はは、あいつら、オレが知らないうちに仲良くなってら。いつの間に知り合ったんだか」
「そりゃ今日この場でだろ。お前っていう共通言語でな」
「あいつらのためにも、ライブ、成功させなきゃな」
「一番は、俺たちのためだ。少なくとも、俺は、自分自身のために、ついでに克己、優子、氷上のために、最高のライブにしたいと思ってる」
「カッコつけんな」
「なっ、おま、そういうこと言う!?」
「はっはっは」
克己の表情が和らいだのを確認した翔は、つられて控えめに笑う。
「おやおやぁ、お二人さん、なにやらエモい話をしておりますなぁ。そういうのにわたしも混ぜてほしいですなぁ」
翔と克己の肩に腕をまわしながら、優子が乱入してくる。
「翔、克己、優子がさっきから、円陣組みたい円陣組みたいってうるさいのよ」
「ライブ前に円陣組むのは必須でしょーう! さあさあ」
優子に引っ張られ、舞台袖から控え室へ移動。優子が既に翔と克己と肩を組んでいるため、後は氷上が組むのみとなっている。
「どうした? 早く来いよ」
翔はなんでもない風にそう言う。
氷上の胸中には様々な想いが渦巻いていた。
それらが感慨という清流になって、思考を支配する。
氷上はゆっくりと足を踏み出し、三人に近づくと、ガッと力強く翔と克己と肩を組み、円陣を完成させた。
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