第44話 蘇生
セッケンの三人が去った後のコンテナ物置の中で、藜のカブを修復する作業が始まった。
藜が静岡で送ることとなる新生活の始まる日が近づき、小熊の大学サボりが積み重なる中で、そう作業を長引かせることは出来ない。
小熊がスマホの時計を見ながら、今夜はあとどれくらい作業できるかと考えていると、同じくカシオのデジタル時計を見ていた藜は、腕時計を外して巾着袋に放り込んだ。小熊もスマホを大窓越しにベッドあたりに放り投げる。
礼子はとっくに自分のオメガ・スピードマスターを外している。
どんなに時間が経とうと、力尽き倒れるまでは終わりは来ない。時計を捨てた三人は、これから昼も夜も無い時間を始める。
最初にフレームに手をつけた。塗装を剥離剤ですべて剥ぎ取る。
鉄板の地肌むき出しになったフレームに、小熊が試走の帰りに近くのホームセンターで買ってきていた探傷液を吹き付けて損傷位置を特定する。
予想通り、傷は重荷で負担のかかる車体後部に発生していた。小熊が以前作ったきり使う機会の無かった、自動車バッテリーを三つ繋いだ手製の溶接機を使い、礼子が溶接補修する。
ステアリング回転軸のステムに発生していた歪みは、礼子が鉄の棒を突っ込んで力任せに修正した。
エンジンは礼子が歪んだシリンダーヘッドに面研と言われる修正研磨を施し、クラッチやメタル、シフトチェンジ部分の消耗部品も、小熊のカブの部品を新品交換した時に外して捨てた物を取り付けて、多少の延命を施した。
足回りのアーム類は事故で歪んだ物を、ライター用のガスを使う小型バーナーで炙って曲げて修正した。強度、精度ともに難はあるがとりあえず走ることは出来る。藜はそれでいいと言った。
前後のホイールは、歪みは軽微だがスポークが幾つか折れた前輪に、完全に歪み潰れた後輪から外したスポークを組み合わせ、歪みを修正し使用した。後輪は小熊が以前バイク屋にパンク修理の練習用に貰った中古品を、錆びを磨き落として再利用した。
タイヤは小熊のカブのタイヤを新品交換した時に外したタイヤの中から状態のいい物を選んで取り付けた。後輪はそこそこ綺麗だが前輪はタイヤ溝の磨耗警告サインが出ている。
ブレーキ回りの部品も廃棄品の再利用。半分ほど減ったブレーキシューは良い感じに馴らされて、むしろ小熊のカブに付けた新品よろ利きが良さそうに見えた。ワイヤーは小熊は交換用に買い溜めていた新品に替える。
ダンパー機能が抜け始めたサスペンションはそのまま装着したが、取り付け部分のゴムブッシュとリンクの軸受けメタルは、ひどく磨耗し劣化していたので、礼子が部屋と物置をひっかきまわして、ゴムホースや鉄パイプを切ったり削ったりして自作したパーツを取り付ける。
いつの間にか夜が明けていたので、フレームの塗装を開始する。錆び止めの下地を塗った後で、色をどうするか話し合うために食事休憩の時間を設ける。
どこで手に入れたのか、ハンターカブの後部ボックスに大量に入っていた缶詰の自衛隊糧食を温めただけの朝食を食べながら、せっかく全塗装するなら礼子は軍用バイクのミリタリーグリーンか重機のカナリアイエローがいいと言い、藜が住み込みで働くことになるアンティーク・アウトドアグッズの店を想像した小熊は、暖色の照明が印象的だった店と調和した、昔の近鉄電車か食糧庁カブのような小豆色がいいと言ったが、藜はスマホに表示された色とりどりのカブのうちの一つを指し、この青がいいと言う。カブの色としては、小熊のカブの緑の次にありふれた色。
藜は自分が働く場に停められたカブだけでなく、学校の駐輪場や自分が暮らす沼津のある伊豆半島の街角や海沿い、あるいはワインディングロードを走るカブを想像し、どこにでもある普通のカブの色でないとダメだと言った。
カブのオーナーにして小熊たちの雇い主である藜には逆らえない。小熊と礼子は大学や付き合いのあるショップを回り、カブ純正ブルーの塗料と塗装機材を調達し、庭先で藜のカブを塗装した。
秋の乾燥した空気のまま、夏の暑さが戻った日は塗装日和で、屋外の日向に出しておくと手で触れられなくなるほど熱くなるカブのフレームには、天然の焼付け塗装が施された。
塗装の乾燥待ちの間に、小熊は竹千代が置き忘れていったハンモックで仮眠を取る。藜も疲労と睡魔で足元が覚束ない様子だったので、自分の部屋のベッドで寝かせる。
礼子は日差しが強いと耐え難いほど高温になるコンテナの中で、自分のハンターカブでダカールラリーに参加している夢を見ながら眠っていた。
夕方に小熊は目を覚ました。三時間にも満たぬ仮眠で疲れは取れていた。しばらくして藜が「十mmのレンチ!」と叫びながら跳ね起きる。夢の中でまでカブの車体を組み立てていたらしい。
小熊のカブを修復していた時は、小熊に指示された作業をするだけだった藜は、今では自分に出来る範囲の作業を担っていて、電気配線やワイヤーの取り回しなど、小熊や礼子を上回るセンスを見せることもある。
藜が塗装を終えたフレームの前にしゃがみこみ、必要な工具と部品を取り出す背中を見ながら、小熊はもしも自分と礼子がこのまま逃げ去ったら、藜はどうするんだろうかと思った。
きっと一人でカブの組み立てを完遂させるのではないかと思った。
秋の陽が沈んでいく中、三人が総出で取り掛かったおかげか、カブの部品取り付けは極めて早いスピードで進んだ。
昨日の夕食後に作業を始めて、ほぼ二四時間でカブの組み立ては終了した。
磨耗し老朽した廃棄部品を寄せ集めた、走り続けるにはこれから次々と寿命を迎える部品の費用を工面し、整備をし続けないといけないおんぼろのカブ。
これが藜のスーパーカブ。
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