第13話 セッケンの藜

 軽バンで東京に戻った小熊は、山梨で買ったカブをコンテナ物置に運び入れた。

 積み下ろしを手伝った藜は、フレームとエンジンだけになった小熊のカブと、部品取り車を見比べている。

 中古バイク屋が見た目だけは綺麗にしていたこともあって、街を走っているカブと変わらない外見の部品取り車に触れながら言った。

「このカブを直すんですか?」

 小熊は部品取り車の前にしゃがみこみ、防風板で隠れたエンジンを覗き込みながら答える。

「違う。このカブを潰して私のカブを直す」

 藜は不可解な、というより間違った理解をした。小熊が今乗っているカブへの愛着ゆえ、わざわざ金と手間のかかる遠回りをしているのかと思った。

 

 小熊は今日買ってきたカブを指しながら言った。

「このカブは五体満足で服を着ているけど、もう死んでいる。私のカブは丸裸で手足が無いけど生きている。この違いはわかる?」

 藜は首を振った。大体バイクに命があるのかさえわからない。

「わからないです」

 小熊は死んだカブの横にしゃがみこみ、車体バランスを見ながら答える。

「わからなくても特に問題は無い。あなたの作業には関係の無いこと」

 小熊はカブの反対側に回り込み、絵師が描いた絵を裏から透かすようにチェックしている。

「僕はわかりたいです」

 藜はバイクに詳しくなりたいわけじゃない。ただ、目の前の小熊のように、ひとつひとつの行動を理由と確信を以って行えるようになりたい。そう思った。

「わたしはこれから大学に行く。あなたも連れて行くからシャワーを浴びて着替えなさい」

 小熊は藜にセッケンから貰ったフラフープ型のビニールカーテンとシャワーヘッド、それからセッケンがその名の通り食用廃油から自作している石鹸を渡した。


 ユニットバスでシャワーを浴び、デニムパンツとオリーブグリーンのTシャツを身につけた小熊は、教科書と筆記具の入った巾着袋を手に取り、夏が戻ってきそうな空模様を見て上着無しで外に出た。 

 コンテナ物置の前まで行くと、藜も準備を済ませていた。セッケンで貰ったどこかの高校の体育ジャージは少し丈が長いけど、ブリティシュグリーンの生地に黄色のラインと校章の刺繍が入った、少し身栄えのいい姿。

 藜の白い肌と褐色がかった髪は石鹸で洗っただけで、手で触れたら吸い付きそうなくらい瑞々しい。

 小熊は夏にカブで走り回り、だいぶ日焼けした自分の腕を見た。ふと藜もカブに乗ればこんなふうになるのかな、と思ったが、彼がまだ十五歳で免許すら持っていないことを思い出し、その考えを途中で打ち切った。

 相変わらずトランクを持った藜を助手席に乗せ、軽バンのエンジンを始動させる。車通学は自転車と違って労力が少ないのはいいが、労ではなく楽しみを感じながら学校に行けるカブには及ばない。

 途中のスタンドで軽バンに給油した小熊は、京王線の南大沢駅付近にある大学の職員通用口から車を乗り入れる。セッケンが所有する軽バンの定位置になっている焼却炉の裏に停め、セッケンの部室となっているプレハブ二階に向かった。


 「おかえり。遅かったね」「遅せーぞ」「遅いです」

 部室では三人の部員から三連の抗議を受けた。適当に受け流しつつセッケンの竹千代部長にカギを返す。

 鷹揚に受け取った竹千代の横で、ペイジがまだ文句を言い足りないような顔をしている。自分が整備した軽トラが一番で最高だと思っているペイジは、スーパーカブが最も実用的で楽しい乗り物と信じ、幾度もそれを実証している小熊に対していつもライバル心を剥き出しにしている。

 普段は小熊のことを白馬に乗った王子様のような目で見る春目も、今日はちょっとふくれっ面をしている。小熊が軽バンを返しに来るのが遅れたせいで、用意した茶菓子を竹千代に盗み食いされたらしい。

 ぷりぷりと怒った二人の部員が小熊に何か言おうするのを尻目に、小熊は部室の出入り口に向かって声をかけた。

「入ってきて」

 廃墟のようなプレハブの奥にある部室に入ることを躊躇している様子の藜が、恐る恐る戸口から顔を出した。

 ペイジと春目が息を呑む。竹千代は興味深げな様子で、藜のことを上から下まで眺め回した。


 三人の部員に注視された藜は、手にしていたトランクを握り締めた。

 小熊はきっとヘビとカエルがこの姿を見たら、竹千代に睨まれた藜という比喩表現を思いつくのではないかと思った。

 藜は咄嗟に小熊の背に隠れようとしたが、小熊が四人目の捕食者になってもおかしくはないと気付いたのか、距離を取って出口近くまで後ずさっている。

 藜を舐めまわすように眺めていた竹千代が、いつもより少し丁寧な口調で小熊に言った。

「それを売りに来たのかな?きっと私なら、どこよりも良い値をつけてあげられるだろう」

 部員のペイジがゴクリと唾を飲む音が聞こえてきた。同じく部員の春目は、小熊と一緒にいる男子を睨みつけているが、元より気弱そうな顔の子だけに、むーっとご機嫌斜めになっているような顔は迫力に欠ける。

 元より小熊にとって竹千代は共有するような利益が無ければ係わりたくない類の人間だったが、小熊は今までより更に無愛想な、汚らしい物を見るような目をした。

「そういう面倒事の片棒を担ぐために来たわけじゃない」

 竹千代は小熊の視線を受け流すように笑いながら言う。

「私が買い取りたいのは、彼の持っているそのトランクのことだが」

 この食えない部長にからかわれた気分になった小熊は、用事を早々に終わらせるべく、半身になって背後に居る藜を振り返った。


 いつの間にか藜の横に這い寄ったペイジに「触るな」と釘を刺すと、ペイジは舌打ちしつつも藜の横を離れない。春目は小熊と藜を交互に見て歯噛みしている。

「昨日ここで拾ったガラクタをこの少年が使っている。だから礼を言わせに来た」

 藜がいま着ているジャージも、その下のシャツとブリーフも、セッケンがどこからか手に入れたもの。大学祭の手伝いという少々の報酬を払うのは小熊だが、形はどうあれ助けを受けた藜に、顔見せぐらいはさせておかない事には、自分が不義理で下劣な人間になってしまうのではないかと思った。例えばこの竹千代のような。

 竹千代は小熊より藜の体に視線を集中させながら答える。

「節制を旨とする者同士、共助共生するのは当然のことさ」

 竹千代は手を伸ばし、藜の褐色がかった髪に触れながら話し続ける。

「それに、私がささやかな助力をしたように、彼もまた私に、何かをしてくれることがあるんだろう」

 竹千代に髪を撫でられた藜の背がゾクゾクと震えていた。


 小熊は藜のジャージの襟を掴み、竹千代から引き剥がした。邪悪なる蛇は手に残った香りを嗅ぎながら言う。

「うん、我がセッケン謹製の石鹸は実にいい仕事をしている」

 そこで用を思い出したらしき藜が、竹千代に深く頭を下げた。

「あの、色々頂いて、ありがとうございました」

 竹千代は手を振りながら言う。

「礼には及ばないよ。君には我々がそうするだけの価値がある」

 これ以上ここに居ては危険な気がした小熊は、カシオのデジタル時計をワザとらしく見ながら言った。

「これから講義がある。また用がある時はこっちから連絡する」

 竹千代は小熊に軽く頷く、それから今まで見た中で最も愛想のいい笑顔を見せながら、藜に手を振った。

「ま、待て!」

 セッケンの部室を出ようとした小熊を呼び止めたのはペイジ。藜に中身の詰まったコンビニ袋を差し出す。

「こ、これもやる!」

 中身はふりかけ、お茶、コーヒー、砂糖とクリーム、調味料、入浴剤、粉末スープ、そういった物の小袋が一杯詰まっている。

 小熊が見た第一印象はゴミ。藜はペコリと頭を下げた。


 何か子供にお小遣いをあげたような、どちらかというと中年男が女の子にチップを弾んだような顔をしているペイジの横から、春目が顔を出した。

「あの、あのあの、あなたは、小熊ちゃんの、何なんですか?」

 春目は小熊と藜が一緒に部室に入ってきてからずっと敵意の篭った目で藜を睨んでいた。藜より背が低く小動物を思わせる顔の女の子が見せる精一杯の威嚇に、藜も怖がるというより困惑した様子。

 講義の時間が迫っていた。ただでさえ昨日サボったのに今日まで遅刻では、良好な成績を維持しなくてはいけない奨学金暮らしに差し障る。

 作り話をするのも面倒になった小熊は、藜の境遇をかいつまんで説明する。春目の表情がだんだん変わってきた。

 事情を話し終えた頃には、潤んだ目で藜を見つめていた春目は、小さな両手でしっかりと藜の手を掴んだ。

「大変だったんだね!でも大丈夫だから!きっといいことあるから!一緒に強く生きていこうね!」

 いよいよ時間が無くなってきたので、小熊は春目から藜を引っ剥がして部室を出る

 振り返ると。まだ何かあげられる物が無いかと隣の倉庫を漁っているペイジの横で、竹千代が謎めいた微笑を浮かべていた。   

  

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