第12話 北杜市
小熊はいつもより二時間早くセットしたスマホの目覚ましに起こされた。
ラジオを点け、流れてくるFMから早朝四時であることを告げられた小熊はベッドから体を起こす。
パジャマとして着ているオリーブグリーンの米軍用Tシャツと同色のショートパンツを脱ぎ、水のシャワーを浴びる。
パジャマとは別の米軍用Tシャツとデニムパンツをを着けた小熊はカーテンを開ける。窓越しに藜がコンテナ倉庫のドアを開けているところが見えた。
五時に出るから、小熊がそう指示しただけで四時には起きている。生活管理の基本中の基本となる起床時間についてはとりあえず合格点をつけた。藜は小熊の視線に気付かず、ジャージのズボンだけを身につけた姿で外の水道から水を出し、顔と頭を洗っている。
藜が飯盒で米を研ぎ始めたのを見た小熊は、自分も朝食の支度を始めた。
ボロニアソーセージとチーズ、ピクルスとタマネギのみじん切りを挟んだホットサンドイッチを作った小熊は、アップルジュースと共にサンドイッチを食べながら、窓の外を見る。
開け放ったコンテナの中で、藜は飯盒飯とレトルト牛丼の朝食を摂っていた。木箱をテーブルに、空っぽのトランクを椅子に、横にはシェラカップを置いている。
小熊がサンドイッチを食べ終わり、インスタントコーヒーのカフェオレを飲んでいると、牛丼を食べ終わった藜が膨れた腹をさすっている。。朝から牛丼と米はこの少年にとってボリュームがありすぎたらしい。
藜は食べ終わったメスティンを洗おうとはせず、小熊が与えたレトルトフードの中から中華丼を手に取り、蓋を閉じて折りたたんだ角型飯盒のワイヤーハンドルにレトルトパックを挟んだ。
二合炊きの飯盒飯。一合を今食べて、残りの一合は次の食事のために取っておく。小熊がカブでツーリングした時にもよくやった事。
藜は一合の米を残した飯盒とレトルトパックを、シェラカップと共にジャージが入っていた体操着袋に入れ、座っていたトランクの中に大事そうにしまった。
カフェオレを飲んだ小熊はひとつ頷いた。藜は小熊に恩義や敬意に似た気持ちは抱いていたが、決して信頼はしていない。だから自らの仕事を真摯に実行しながらも、いつ裏切られ、放り出されいぇもいいように、あるいは逃げ出せるように食べる物だけは身につけている。
生きる力があまりにも希薄な少年が、飢えることで心に宿した、小さな芽のような生き延びる意志。
この拾い物は案外外れじゃないかもしれないと思った小熊は鍵や財布、スマホをポケットに詰め、ドアを開けた。
小熊がセッケンから借りた軽バンで、東京から山梨、長野を結ぶ甲州街道を走って抱いた感想は、カブで走りたいという気持ちを再確認させるものだった。
幹線道路にしてはワインディングが多く、紅葉には早いが夏の木々特有の濃厚な緑がまだ残る初秋の季節、残暑の東京に比べ風の涼しい山間部は快適なものだったが、だからこそカブならもっと心地いいという気持ちは、そのカブが無いからこそ高まっていく。
助手席の藜とは会話らしい会話はしなかった。トランク一つを持って助手席に座った藜は、小熊よりは幾分興味深げな様子で窓の外を眺めている。
早朝に出て混雑が始まる前に都内を抜けたおかげで渋滞に捕まることもなく、三時間ほどで小熊が高校時代を過ごした北杜市のあたりに着いた。
半年少し前に卒業した母校の前を通った時も、小熊の心中には感傷らしきものは湧かなかった。ただ、高校へと向かう緩い上り坂を走っている時、以前は自転車で、後にスーパーカブで通っていた道を車で走るのは複雑な気持ちだった。出来ればカブで来たかった。カブならば胸を張って走れる道も、今は正直なところ顔を隠したい気分。
高校から二kmほど走った先にある青い建物の前で、小熊は軽バンを停めた。
小熊が高校二年の時にカブを買い、以後も整備や部品注文で世話になった中古バイク店。開店する八時に合わせて家を出た小熊は少し早く着いてしまったが、店長はもう店を開けていた。
小熊の姿を認めた禿頭の店長は、手を振ることも愛想笑いをすることもなく、店の中から一台のカブを押してきた。
「来たな、相変わらず店の儲けにならない客が」
「早速見せてもらえますか」
中古バイク屋の店主が、近隣の信用金庫から引き取ってきたという廃車を、小熊は店先で点検し始めた。
見た目には年数相応のくたびれはあれど概ね問題ないように見えたカブは、店長の言う通りエンジンとフレームが終わっていた。
信金の営業回りという重荷には縁のない用途で使われていたカブだが、一度事故を起こした時にいい加減な修理をして乗り続けたらしく、フレームが歪み、エンジンも損傷が内部深くまで進行していた。
とりあえず現在必要としている外装部品に概ね欠品が無いことを確かめた小熊は、このカブの購入を決め、一万円の代金を払った。
軽バンのテールゲートを開け、店長から借りたアルミの板を、道路と軽バンの荷室の間に架けた小熊は、助手席に座っていた藜を呼ぶ。
傾斜したアルミ板の上で、原付としてはかなり重いカブを、二人がかりで車内に運び入れる様を見た店長が言った。
「カブ、直すのか?」
車内で倒れぬようカブをロープで縛りつけながら、小熊は答えた。
「新しいのを買うわけにもいきませんから」
小熊と廃車のカブ、それから黙って手伝う藜をしばらく見ていた店長が言った。
「大変だぞ」
カブの固定を確認して軽バンから降りた小熊は、テールゲートを閉めながら答える。
「出来ないくらい大変じゃありません」
店長に礼を言って軽バンをターンさせ、来た道を戻った小熊は、途中で母校に寄った。そのまま職員室に行き、ある物を貰ってきた。
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