第32話 重荷
十五歳の少年というのは、時にその少年をよく知る人間をも驚かせるほどの速さで成長する。
小熊は自分を正面から見据え、自らの意思を伝えようとしている藜を見て気付かされた。
「僕は最初、小熊さんがカブに乗っていること、カブを直そうとしている理由が理解できませんでした」
小熊自身時々考えさせられる。カブに乗るのは生活に必要だから。果たしてそれは本当か。少なくとも現状を見るに通学と買い物は自転車で間に合っている。それでも小熊はもう一度カブで走りたいと思い、既に中古の原付バイクや電動アシスト自転車が買えるくらいの金をつぎ込み、それが生活の中心になるほどの時間と手間をかけている。
「スーパーカーでも何でもない、仕事をする人が乗る原付バイク。タンスや茶碗と変わらない生活の道具にあんなに夢中になって、この人は馬鹿なんじゃないかと思いました」
横で竹千代がプっと吹き出したので小熊は睨みつけたが、たぶんそれが今の自分を客観的に見た感想なんだろうと思った。事実それに似たことは既に何度も言われている。
「それは今もあまり変わりません。でも小熊さんを見ていて一つわかったことがあります。小熊さんはカブに関しては決して妥協しない」
バイクが他の趣味道楽と違うのは、扱い方を間違えれば怪我をしたり命を失ったり、あるいは人を殺したりすること。だから小熊はカブを万全の状態で走らせられるよう常に気を配っていた。カブの整備状態だけでなく自分自身の身体的コンディションを出来る限り整え、服や靴、小物も小熊自身がカブで走行する時や、もしもの転倒、人跡未踏の地でカブが動かなくなったことまで考えて、厳選した物のみを身につけている。
「小熊さんが大事にしているのは、カブというお金を払えば買える機械じゃない。カブに乗ることで今の自分を作り、カブに乗れるような自分を持ち続けることで、明日を生きていこうとしている」
小熊はカブの無かった頃の自分自身を思い出そうとしたが、記憶にすら残らないくらい無為で空虚だった。
「僕には、僕のカブが必要なんです。生きていくのに必要なお金や身の保証じゃない、何もかも失っても生きていこうという理由が無いと、僕はどこに行ってもダメになります」
小熊はもし、あの十六の夏にカブに出会わなかったら、自分がどうなっていたかを考えた、たぶん、生きているか死んでいるかわからないような日々を過ごしていただろう。とりあえず藜の言葉に返答した。
「あのカブはあげないよ」
藜は、少し話し疲れた様子で箸を手に取り、鍋に残った熊の肉を摘み取った。丈夫そうな歯とアゴで噛み、飲み下してから笑った。
「カブが欲しくなったら自分で買います。誰にも貰わず、自分で働いた金で」
小熊も青菜を一口食べたくなって鍋の中で箸を泳がせたが、既に鍋は空っぽ。
「働くこと、それがあなたのカブになるの?」
頷く藜の横で、小熊と藜のやりとりを聞きながら鍋物を食べていた春目が、出汁の抜け切った昆布を噛みながら言った。
「大変ですよそれ。とっても重い荷物になります」
春目の隣でまだ食い足りないような顔をしているペイジもちょっかいを出してきた。
「小熊ちゃんのカブも重荷だけどな。普通の原付よりずっと面倒くさい」
藜は自分の後ろに置いていた巾着袋を引き寄せ、中から朝に炊いたご飯の入った飯盒を出しながら言った。
「雑炊にしませんか?」
春目とペイジが目を輝かせる。竹千代は藜の肩に手を置いて言った。
「名案だ。少なくともここでの君は施しを受ける立場じゃない、対等な仲間だ」
飯盒を受け取った春目が手際よく雑炊を作る。さっきまでご飯の詰まった飯盒の入っていた巾着袋を見ながら、藜は言った。
「承知で担ぐ荷物は重くない」
竹千代が藜を見た。小熊にはこの得体の知れぬ女の目が、一瞬赤ん坊に戻ったように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます