第31話 短期的充足
その性格に似合わず説明は明瞭で簡明直截な竹千代の話を纏めると、親に捨てられ何も持たぬ藜が高校生としての生活を始められるような扶助や育英の組織は世に幾つもあり、彼はそれらを選べる立場にあるという。
藜は児童相談所に行くことを拒んでいたが、それも方法次第でジャンプできるらしい。
彼と父親の本籍を管轄する公機関で父の失踪が正式に認められれば、児童相談所の保護を求めるのも最善ではあるが強制というわけでもなく、奨学金を得るための選別と交渉、手続きを独力で行うことも可能だという。
無論そのような事をする子供は稀だが、居なくもないし少数ながら前例もある。少なくとも藜と共に情報を漁ったというセッケンの連中はそこまで調べ上げたと称している。
こういう時によく、ネットを検索しただけで出てくる、虚実入り乱れた体験談や建前的なプレスリリースを鵜呑みにして、必ずしもその通りになるとは限らない実際の実務運用を前に身動きが取れなくなることがある。
恵まれない子供を支援するという組織や法人は数多くあるが、それらの幾つかは対外的な体面や企業の社会貢献アピール、あるいは税金対策や資金洗浄のために作られたもので、都合いい条件を掲げていながら給付の実態は存在しない。そんな物を小熊は随分見てきた。
払うと言っている物を払うために必要な物を全て揃えているにも係わらず、実際には難癖つけられ払い渋りをされるとなると、崖っぷちに追い詰められるのは親無しの子も融資を求める経営者も変わらない。
最初のうち、小熊はこの三人と藜がそういうインチキに騙されているのかと思ったが、藜が受けられる支援のうちの幾つかは、竹千代自身が担当者に連絡を取り、規定が満たされていれば給付を行うという、責任者名付きの確約を取り付けている。
小熊は卓に並ぶ面々の顔を見た。小熊も十五歳の時に母に逃げられて以来、普通の高校生より曲がりくねった道を色々経験していたが、目の前の三人もまた、人生のワインディングロードを通って来ている。
竹千代は小熊が親に逃げられたのと同じ頃に実家との縁を自ら絶ち、それ以来他人を騙しちょろまかすことで暮らしている。震災で両親を失った春目は今まで何度も人に騙され、飢えて死にそうになった経験など今さら数えようにも数えられない。ペイジはそういう家庭の事情は不明だが、好んで自らをそういう知恵と行動力を駆使しなくては生きられない環境に置いている。
小熊は藜を見た。セッケン鍋の昼食が始まって以来、ずっと遠慮がちに鍋物を食していた藜が、視線を感じて顔を上げる。箸を置いた藜は口を開いた。
「僕は、働いて高校に行きたいです。何も貰わずに生きていきたいです」
今まで小熊の指示するとおりに動き、それ以前は小熊の母の言いなりだった藜が、自分の生き方を決断しようとしてる。
「それはやめなさい」
藜は言葉を詰まらせた。
竹千代が横から話しかけてくる。
「彼の決断に不満でもあるのかい?」
竹千代の干渉に苛立った小熊は音たてて箸を置きながら言った。
「支援を受けず働きながら学校に行く。それがとても素晴らしいことだと思ってるのなら、あんたもこの少年も何も知らない」
今度は逆側に座るペイジからちょっかいを出された。
「そらどーいうことだよ?レイちゃんはあたしらが行きたくもない学校に行きたがって、イヤでイヤでしょうがない仕事をしようって言ってんだぞ?」
卓子の上に身を乗り出したペイジは、小熊が一睨みしただけで怯えたように目をそらす。替わりに春目が口を挟んだ。
「小熊さんはいつも自分が分かっていることを分からないのは、分からない馬鹿が悪いと言う話し方をします。人はそんなに賢くないんです。言ってくれなきゃわからないんです」
小熊は一つ息を吐き、それから話し始めた。
「まず、どんなに言い訳をしたところで、親の居ない彼は人並みの暮らしをするための状況が、人より不利だということを認めないといけない」
最近ではドラマやアニメでもシングルマザーや両親を失った子が出てくるが、それらの子供たちの精神的な不幸については、そういう気持ちとは無縁だった小熊が見るとウンザリするくらい繰り返される。そのくせ保護者が居ない社会的な不利や不便についてはほとんど語られることが無い。
小熊自身親が居ないことで、進学や住まいの賃貸、クレジットカード一つにさえ散々不自由な思いをさせられてきたし、それはこれからも続くものだと思っている。
小熊は藜の目を見て言った。視線をそらさない事だけは立派だと思った。目の前の困難に立ち向かう顔。立派で、そしてとても危うい。
「誰の助けも受けず自分で働く。確かにそれは満足感を味わえる。目の前に居る人の役に立って、給料とか仕事の成果とか、目に見える形ですぐに満足できる。でもそれだけだよ。仕事と高校の両立をして、体でも壊したらどうするの?」
藜は俯く。小熊は構わず自分なりの経験で学んだことを伝えた。
「一つ言っておく、今のあなたには何も出来ない。このまま働きながら高校に通う生活をしたら、どんなに楽なとこを選んでも一年と持たず生活は破綻する。ダメになった時にダメでしたごめんなさいじゃ済まない。あなたの人並みの人生はそこで終わる」
何か言おうとしたペイジが黙る。春目も自分自身の経験を思い返して複雑な表情をしている。
「あなたが普通の暮らしをしたいなら、今は世の中にたくさん転がってる、そのためにある金で学校に行き、今、自己満足のために働くんじゃなく将来働くため自分自身を築く。そうすることも出来ないようでは、あなたはこれから先、一生目の前の餌だけを食べ続ける家畜になる」
歯を食いしばり黙っている藜の横、さっきから何を考えているのかわからない表情だった竹千代が口を開いた。
「それも彼の人生だ」
小熊は竹千代を睨みつけた。小熊としてはせっかくの美味い鍋を台無しにするちょっと不機嫌な気分を伝えた積もりだったが、横顔を見ただけのペイジがヒッ!と言って飛び上がる。
「あんたには関係ない」
小熊は自分を見返す竹千代の中に、今までの自分が知らない彼女が居ることに気付いた。それが何なのかはまだわからない。
「では君は、藜君とどれほどの関係だというのかな?少なくとも私は藜君の友人だ」
小熊は竹千代が視線だけで窺わせた何らかの感情に少し戸惑いながらも答える。
「彼はわたしのカブを修復する要訣。来年の今頃には野垂れ死ぬような奴には、私のカブを触らせたくない」
藜が顔を上げた。決意の篭った目を小熊と竹千代に向ける。
「僕が働きながら高校に行こうとしたのは、小熊さんとスーパーカブに出会ったからです」
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