第30話 セッケン鍋
卒業単位を得る目的以外に何の意味も無いような講義で、ただ座っているだけの時間を過ごしながら、小熊は自分のカブのことを考えていた。
残る作業はそう多くない。組み立て後の調整も、特に改造を施していない小熊のカブは、教科書通りに作業を行えば問題なく終わるだろう。
その後は作業の中で出た交換部品や不要なパーツを処分しなくてはいけない。例えば、作業に使ったけどもう用の無い工具とか。
小熊は藜をカブ修復の工具として家に置いた。その判断は概ね間違っていなかったらしく、彼は作業を進めるのに役立ってくれた。
藜が小熊の持っている他の工具類と違うのは、まともに稼動させるために幾つかの投資を要したこと。
食事を与え、寝泊りする場所を提供した。それも彼の働きによって得たものに比べれば、損失と言えるものでもなく、小熊の使っているドライバー1本より安い。
小熊が考えていたのは生身の人間を使う上での最大のコスト、もう用済みになった後の処分。
彼の事情がどうあれ、小熊は出来るだけの事をした。生きていくために飲まなくてはならない薬を教えてあげた。後は彼が苦さに耐えながら飲もうと、吐き出して野垂れ死のうと関係ない。
小熊の懸念は、大学に連れて来た藜の回りにセッケンの連中が群がっていること。
十五で親に逃げられた小熊に負けず劣らず複雑な環境で育ち、必ずしも真っ当な手段とは限らない方法を駆使して生きている三人は、藜に悪い影響しか与えないだろう。
今の藜は限られた時間の中で自分の行く末を決め、そのために必要な行動を始めなくてはいけない。怪しい連中と係わっている時間など無い。
カブのことを考えていた小熊の頭は、いつのまにか藜のことで一杯になっていた。何もすることが無いといつまでも鳴らない講義終了のチャイムがいつのまにか鳴った。
席を立ち学食に行こうとした小熊の前に、彼女の頭を悩ませている元凶の一つが現れた。
「君を我がセッケンの昼食に招待しに来た」
目の前に現れた竹千代を無視して学食に行こうとした小熊は、思いなおして仕草で了承を示した。昼食代を浮かせられるのならそうしたいし、何より小熊は今朝、竹千代が言った言葉の真意について聞きたかった。
「君が気にかけている藜君の進路について進展があったので、ぜひ君を交えて相談したい」
それだけ言ってさっさと教室を出ようとする竹千代を急かすように、小熊は彼女についていった。
和風の部室では、まだ昼だというのに中央の卓子で土鍋が湯気を発てていた。
既にセッケン部員のペイジは昼食を待ちきれないといった様子であぐらをかき、春目もちょこんと正座している。入り口から一番遠い上座の席には、藜があまり居心地良くなさそうな感じで座っている。小熊の顔を見て少し安心した様子。竹千代に葬祭場の名が入った分厚い座布団の一つを勧められた小熊は座り込む。出入り口前の末席だということは気にならない。この連中が気に入らない事を言えば、すぐに席を蹴って去ることが出来る。
正方形の卓子。春目とペイジが並んで座っている対面の座布団に、雅な仕草で座った竹千代が、藜に向かって言う。
「我ら自慢のセッケン鍋を召し上がれ」
その言葉でおあずけを解除されたペイジと春目、いただきますの言葉と同時に土鍋の蓋を開き、中身に襲いかかった。
藜は居住まいを正し、いただきますと言った後に箸を手に取る。小熊も一応形だけいただきますと言って、何が入っているかも知れぬ土鍋の中身を覗きこんだ。
竹千代と二人の部員が獲得した物によって具材が変わるというセッケン鍋。今日は小熊も時々作る、常夜鍋のようだった。
青菜を摘んでタレにつけ、口に運んだ小熊は、豚肉とホウレンソウを出汁と酒で煮込んだ常夜鍋とは少し異なることに気付いた。
このホウレンソウにとても近い味の野菜は、微かに赤みがかっている。続いて春目とペイジが目の前で争うように食いまくっている肉に箸を伸ばした。
こっちは豚肉より臭みのある得体の知れない肉だが、肉汁には独特の旨みがあって不味くは無い。
「これは何の肉で何の葉っぱなの?」
上品な食べ方ながら旺盛な食欲で鍋を食べていた竹千代が、愉快そうに答えた。
「本日の具材は斎場の裏で摘んだ野草と、丹沢の剥製業者から貰ったジビエ肉」
横に座っているペイジまでニヤニヤしている。野草採りをしたらしき春目も自慢げな顔をしている。竹千代が補足説明をした。
「藜と、熊さ」
一瞬、腹が立った。
次の瞬間、小熊は吹き出し、食事中には不作法なほどの声で笑い出した。
藜という野草はホウレンソウの原種で、独特の歯応えのある食味と栄養価は栽培されたホウレンソウを上回るらしい。小熊の向かいに座り、遠慮がちに箸を伸ばしている少年と同じ名前の野草で、日本中どこにでも生えている。
続いて肉に箸を伸ばす。こっちも臭みがあるが、肉の脂身をあまり好まない小熊にも美味しく食べられる。丹沢で撃ち獲られた熊の背肉。
タレは醤油と唐辛子、芝麻醤を合わせたらしき中華風のもので、具材によく合っていた。
小熊の右横では竹千代が上品な仕草で鍋の具を口に運んでいる。左横では並んで座った二人の部員が、争うように食いまくっていた。ペイジは分厚い熊肉を、小柄な体と細面な顔に似合わぬ丈夫そうな歯とアゴで旺盛に食らい、春目は何日ぶりかに食べる肉に感動しているらしく、飲み込むのも勿体無い様子で味わっている。
竹千代が箸を動かしながら小熊に話しかけた。仕草から食べながら聞けという意向のようなものを感じたが、とりあえずそれに異存は無いので小熊も鍋物を口に運びながら聞く。
「気に入って貰えたかい?今日のセッケン鍋は?」
小熊は肉を一口食べてから答えた。
「いい。早く話の本題に入ってくれるともっといい」
竹千代が箸を置いた。小熊は構わず青菜を摘み、頬張った。
「藜くんのこれからについて、彼がいかに考えたか、君に報告したいと思う」
小熊も箸を置いた。体を竹千代のほうに向ける。
竹千代は微笑みながら熊笹のお茶を一口飲み、藜とセッケンの三人が大学図書館で行った調べ物の結果について話し始めた。
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