第10話 セッケン

 相変わらず内容が無く、それだけに記憶に残らぬ授業を終えた小熊は教室を出て構内を歩き、事務棟の裏手に回った。

 焼却炉とゴミ集積場の隣に錆びの回った二階建てのプレハブがある。一階の汚れた窓越しに机や椅子、段ボール箱などが見えた。

 見た目通り不用品倉庫となっているプレハブの外階段を登った小熊は、突き当たりのドア前に立った。

 スチールドアの横には、くたびれた看板がかかっている。

 節約研究会。


 通称セッケンと呼ばれている大学内サークルの一つで、生活における出費等のコスト削減について研究する部。

 要するにケチの集まり。その中でも金が無いからケチるんじゃなく、ケチが目的になってしまった厄介な連中。

 呼び鈴の電気代さえケチっているのか、ドア横にはホテルのフロント等で見かけるチャイムが架けられている。小熊が引っ張って鳴らすと、中から入室を許可する声が聞こえてきた。

 ドアを開けると、畳敷きのサークル部室に三人の部員が居た。小熊の記憶では、これで全員。 

「ようこそ。名誉部員の小熊くん」

 部屋の最奥に居た女子が、小熊に向かって微笑んだ。

「部員になった覚えは無い」

 節約研究会の部長、経済学部の四年生をしているという女性、竹千代は微笑みながら、座布団の一つを勧めた


 セッケンの部室は、老朽したプレハブの外見に似合わぬ落ち着いた和室だった。

 部屋の中心に置かれた結構高価そうな無垢材の卓子と座布団。アンティークなブラウン管テレビ、どこか温泉宿の一室を思わせる。

 初めて見た人には、これらが全てタダで手に入れた物だということが信じられないだろう。

 小熊が着席した卓を囲むように、セッケンの全構成員、三人の部員が居た。

 上座の席に鎮座しているのは、部長の竹千代。


 長い黒髪に切れ長の涼やかな瞳、漂白したような白い肌に雑誌モデルを思わせる体型。入学当初の彼女はミステリアスな美人と言われ、男子からのお誘いが絶えなかった。

 彼女に声をかけた男子は例外なく、外貌に似合いのハスキーな声と理知的な受け答えに魅了された。彼女が学食で他人の食べ残しを平気でヒョイと食べるところを見るまでは。

 他にもおよそ税金というものを一銭も払ったことが無いとか、それどころか着る物食べる物、住む場所までタダで手に入れている等の逸話が伝わり、今では竹千代さんといえば「あのケチな人」で通るようになっている。

 現在着ている秋桜の刺繍があしらわれた蒼いワンピースドレスも、他人の遺品整理の場に駆けつけてタダで貰った着物を仕立て直したもの。

 セッケンの中での役割は、その人を煙に巻く飄々とした弁舌を生かした交渉で、スーパーカブに乗っている小熊を見かけるたびセッケンに勧誘してくる。胡散臭いサークルなどと係わる気の無い小熊は、用はある時しかここに来ない。 


 竹千代の左側には金髪を二つ結びにした小柄な少女が居た。今時珍しいダメージジーンズ姿。既に何度かセッケンの部室に来た小熊とも顔見知りの少女はペイジという名を称している。

 工学部の一年生だが浪人しているので小熊より一つ年上のペイジは、ロックンローラーにして天才ギタリストを自称していて、今も彼女は自分で作ったというギターを弾き、アンプを繋いでないギター特有の耳障りな音を発てている。

 もっとも彼女は特にどこかのバンドに所属しているわけでもなく、ギターは素人が聞いてもヘタクソとわかる腕前。

 竹千代がペイジをスカウトしたのは、家電や機械製品の修理技術を認めたためだというが、小熊から見ればそっちも怪しい。小熊が入学して間もない頃にここで貰った二層式の洗濯機は、洗浄力は大したものだが、使うたび機関銃のような音を立てる。


 右側に居るのは春目という女の子。法学部の三年生。 

 髪は淡い色のセミロングで、捨てられたテーブルクロスから作ったという白麻のエプロンドレス姿。

 大学生で成人なのに、電車やバスに子供料金で乗っても何一つ疑われない体格の春目は、小熊に卓の上に乗った賞味期限の怪しい茶菓子を「ど、どうぞ!」押しやっている。

 入学して間もない頃に詐欺に遭って無一文になり、竹千代に拾われて以来ずっと在籍している春目は、拾い物に関しては独特の嗅覚を持ち、暇な時はいつもゴミ捨て場や不法投棄の多発している場所を徘徊している。

 この他の動物にいじめられないように物陰に隠れて木の実を齧る小動物のような少女は、世の多くの人たちが勤労し賃金を得て必要な物を購う農耕の暮らしをしている中で、自分が生きていくための糧を狩猟している。 

 小熊がセッケンと繋がりを持ったのは、春目がどこかから拾ってきた重そうな冷蔵庫を、小さな台車でうんしょうんしょと運んでいる様を見かねた小熊が助けてあげてたことがきっかけ。

 荷台に五十kgの冷蔵庫、前カゴに体重三十kgを少し超える春目という、スーパーカブなら朝飯前程度の荷物を運んであげて以来、春目は小熊がここに来るたび、騎士か王子様を見るような目をしている。


「隣、漁らせてもらう」

 小熊の言葉に竹千代は、手で隣室を示しながら答える。

「ご自由に。君も我々の仲間だ」

 後半の言葉を無視した小熊は、和室の襖を開けて隣室に入る。中はガラクタで埋め尽くされていた。

 ケチだから物が無いかといえばその逆。そういう人間は往々にして不要な物を溜め込む。おそらく春目が大学内外のあちこちで集めてきて、ペイジによる修理を待っているゴミの山は、竹千代によれば部の資産だという。


 ゴミ山をかきわけて、何とか使える物を選んだ小熊は畳敷きの部屋に戻り、竹千代にここに来た用件の本題をぶつけた。

「手に入れてほしいものがある」

 興味を惹かれた様子の竹千代に、小熊が必要なものを告げると、彼女は少し眉を動かした。

「あれは難しいぞ」

 難しいものだからここに来た。小熊は食い下がる。

「タダとは言わない。秋の大学祭の時だけ、この部のヘルプに入る」

 大学内でも公認と非公認の曖昧な位置にあるセッケンにとって、活動の実績作りに重要な大学祭の展示。部に必要な人数が揃い、活動実績の存在するサークルであるか否かの調査も大学祭の前に行われる。

 しばらく小熊をミステリアスな目で見つめていた竹千代は、頷きながら言った。

「承知した。夕刻に取りに来てくれ」

 ガラクタを抱えた小熊は部室を出た。近くのスーパーで買い物をしているうちに夕方になったので、再び部室に足を運ぶ。


 竹千代は既に小熊の頼んだ物を揃えていた。

「これでいいかな?結構苦労させられたんだよ」

 実際に入手のため奔走させられたらしきペイジは卓に突っ伏してぐったりしている。春目もかなり疲れたらしく座布団を枕にすぅすぅと眠っていた。

 紙包みを差し出された小熊は中身を確かめる。品物も数量も間違いない。頷く小熊に竹千代は言った。

「うちの車を使うんだろ?明日の朝に戻しておいてくれ」

 小熊は竹千代が投げた鍵を受け取る。自動車免許は高校三年の時に取っていた。車には興味など無いが、借金だけ増え続ける奨学金暮らし、仕事の口を少しでも広げられるならと思い、夏休みのバイトで稼いだ金を注ぎこんだ。

「そうする、これ、ありがとう」

 竹千代は煮ても焼いても食えないといった感じの微笑みを浮かべながら言った。

「礼には及ばないよ。また何かあったらいつでも助力させてくれ」

 タダほど高いものは無い。無償で貰ったようでいて、何かぼったくられたような気分になった小熊は、セッケンの部室を早々に退去し、焼却炉の裏に停めてあったホンダの軽バンに荷物を積み込んだ。

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