第34話 カブに教えてもらったこと

 小熊は午後の講義に出席するために教室へと向かった。

 特に愛着も興味も無いまま専攻した国文学のノートを機械的に取りながらも小熊は退屈を覚えていた。

 きっと藜は今頃、大学内外に伝手とコネを持つセッケンの助けを得つつ、膨大な情報を選別する作業をしていることだろう。偽の情報を掴まされ鵜呑みにすれば命取りになる。

 小熊は自分のノートを見ながら思った。こんなノルマ消化の時間よりずっと充実した時を過ごしているに違いない。


 講義を終えた小熊は図書館に向かった。館内を一通り見回すが、藜の姿は無い。

 探し物をするとなると広い図書館。小熊は自分が徒歩であることがもどかしくなる。もしも今の自分がカブに乗っていたなら、すぐに藜を見つけ出せるだろうと思った。 

 この静寂な図書館の中を自分がカブで走り回る姿を思い浮かべた小熊は、思わず笑みを洩らす。心にも幾らかの余裕が生まれたのか、あまり気の進まなかった対処策を実行しようという気になる。

 

 スマホを取り出した小熊は一端図書館の外に出て、着信履歴には入っているが電話帳登録はしていない、出来ればしたくもない番号に電話をかけた。

「やぁ。我が子が迷子になったような顔をしているね」

 スマホを叩きつけたくなる気持ちを抑えつつ、小熊は竹千代に一言だけ告げる。

「どこに居る?」

 言いながら小熊は周囲を見回した。

「そこではないよ、現在我々は教務課に居る。ご足労願えるだろうか」

 小熊は返答することなくスマホを切り、早歩きし始める。竹千代に遠隔操縦されてるような気分は腹立たしいが、小熊はこれから藜にこういうことをさせようとしている。 

 教務課に入った小熊が、職員に藜とセッケン部員の居場所を聞こうとしたところ、職員は渋面で事務室の奥を指差す。藜が必要とする進路資料が数多くある教務課で、図書館にあるものよりだいぶ高性能なPCの前を、セッケンの三人と藜が占拠していた。


 時間有限な中での調べ物は一区切りつき、小熊と藜は帰路もセッケンの軽バンで送って貰った。

 藜は運転席のペイジと、後部荷室の竹千代、そして後席の春目に順繰りに頭を下げている。

 小熊は開け放った後席の窓から顔を突っ込み、竹千代に声をかけた。

「大学祭の間だけ部に入る約束は、とりあえず今のところは守る積もりで居る」

 竹千代は軽バンの荷室で寛ぎながら言った。

「そう思うのなら、友人たる藜君の進路決定について、私達にも係わらせてくれないか」

 後席の春目が両手を握り締め、鼻息を荒くしながらながら言う。

「私が藜クンのために、働きながら行ける学校を探してあげます」

 小熊の知る限り、春目が張り切ってる時には大体ろくなことにはならない。でも、それをフォローする役目を果たしてくれる人間も居るらしい。

 運転席のペイジは小熊を見もせず、コンテナ物置のドアを開けようとしている藜の背と尻を目で追いながら言う。

「昔のバンド仲間のコネで幾つか心当たりがあるから、それを当たってみるわ」


 竹千代が合図で軽バンは発進し、学校とは反対方向の山道へと走り去った。

 部屋に入り、デニムとTシャツを脱いで水のシャワーを浴びた小熊は、今日はもうカブ修復の作業には手をつけず、晩御飯を食べて早寝しようかとも思った。

 今日は大学の講義も、それ以外の用もさほど肉体を疲労させるものではなかったが、情報の入力が多い一日だった。藜はもっと気疲れしているだろう。

 これからの作業は今までと違った内容になる。でも今のままではベストコンディションで動けない。一晩寝て明日の朝から始れば、最も理想的な状態で作業をすることが出来るだろう。

 小熊は手にしていた部屋着をベッドに放り投げ。壁にかけてあった作業用ツナギに袖を通した。

 そのまま部屋を出た小熊は、コンテナ物置の戸を開けて言った。

「これから作業をする」

 既に外水道でシャワーを浴び終え、作業着のジャージ上下を身につけた藜が、小熊を待っていた。

「はい、始めましょう」

 小熊は正しいことをするためにカブに乗っているわけじゃない。今までずっと、カブで楽しいこと、今やりたい事を求めてきた。

 飢えを満たすのが優先というなら、私はずっとカブに飢えている。

 

 夕刻のコンテナ物置で、小熊と藜はこれまで行っていたカブ修復を再開した。

  藜は小熊を真似るように、小熊が作業をする時に椅子替りに使っているビールケースに腰掛ける。小熊も昨日まで藜の定位置だったオイル缶の上に座る。

 作業位置についてはみたものの、藜は何をすればいいのかわからない様子。目の前にはフレームにエンジンと前後の足回りを取り付けたカブがあるが、バイク整備の経験など無い藜には、次の作業が見えない。

 今までなら助けを求めるように小熊を見ていた藜が、小熊に背を向けたまま未完成のカブを眺めている。小熊は作業内容については教えると約束した。それを信じ、ただ自分の仕事が来るのを待っているようにも、全く信用せず、自分で考えているようにも見える。それでも、彼はまだ動かない

 自分の足を置く位置が不明なまま踏み出したりしない。とりあえず作業の第一歩についてはそこそこの合格点をつけた小熊は、横に置かれた工具箱に腕を置きつつ、後ろから話しかけた。

「それ、何に見える?」

 指示というより問いかけといったほうがいい小熊の言葉に、藜は返答した。

「なんだか自転車みたいです」

 外装部品を剥いだカブは、バイクというより自転車に似ている。前輪の支持軸となるステムと。プレス鉄板の壷のような車体を、鉄パイプのメインフレームが斜めに繋いでいる。


 この乗り物は運輸省の区分では原動機付き自転車。その中でもスーパーカブは元々、自転車に小型エンジンを付けた物に端を発するためか、他の原付より自転車に近い。

 小熊は続いて問いかけた。

「それが自転車だとして、何が足りない?」

 昨日乗った自転車の感触を思い出すように俯いた藜は、顔を上げて答えた。

「ハンドルですか?」

 小熊は立ち上がり、コンテナ物置の隅に並べられた部品を手に取りながら言った。

「そう。まずはハンドルを取り付ける」


 事故の時に車体の正位置を保ったまま落下したためか、ハンドル回りの損傷はほぼ無かったので、部品取り車ではなく、元からついていた物を使うことにした。

 藜にハンドルと、取り外した時に部位ごとに分けて保管していたボルト類を渡した小熊は、ソケットレンチを差し出しながら言った。

「この部品をここに、このボルトを締めて固定する」

 藜は慎重な手つきで部品を当て、ボルトをボルト穴に差し込んだ。指で回し、それからレンチを当てて回し始める。昨日までの小熊をうまく模倣している。

 ボルトの締め具合という難しい手順をどう教えるのか、小熊は迷ったが、手を伸ばして藜の手に自分の手を重ねて締める。四箇所のボルト。残りの三つは藜に自分でやらせた。

 以降の作業も小熊が指示し、藜が行うといった感じで進めた。

 小熊は彼に機械いじりの類の経験が乏しいことがわかったが、教えた事は一度で覚えることも知った。

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