第21話 部販

 バイクの修復作業は、部品を注文してから届くまでの待ち時間も見越して進めなくてはいけない。

 作業順序的にはエンジンか足回りを先に組み上げるほうが正しいが、新品に交換しなくてはいけない部品もある。

 小熊は部品取りカブを手早く剥き、必要な部品を自分のカブに使えるかどうか選別した。

 藜は作業をする二人の後ろに行儀良く座り、小熊や礼子が言った通りの工具を工具箱から探して差し出す。


 必要な部品をあらかたリストアップし終えた小熊は、コンテナ物置を出て自分の家に戻る。大学を自主休講して丸一日をカブの整備に費やすと決めたので、時間はまだ昼前。

 部屋のベッドに放り出していたスマホを開き、幾つかの大手ネット通販会社のサイトを開いた。部品リストを再確認していた礼子が、横からスマホを覗きこみながら口を出す。

「部販ならもっと早いわよ」

 本職の整備業者に部品を卸すメーカーの部販に行けば、カブのほとんどの部品は取寄せするまでもなくその場で買える。

「部販まで往復で二時間はかかるし、通販でもそんなに時間は変わらない」

 半分は言い訳。小熊は部販特有の素人お断りの空気が苦手だった。コンビニやファストフードの店員みたいな愛想も何もない発注窓口。書き写した部品番号に間違いがあると突き返される。たまにこっちの知識を試すように、専門的なことを聞いてきたりする。それに周りの客は現在礼子が着ているような作業ジャンパー姿の男性ばかり。そんな中に女子の自分が行くと、他人からの注目という、小熊が最も嫌うものを味わうことになる。

 逆にそういう他者からの奇異なものを見るような目線を楽しむタイプの礼子は、小熊が部販に行くのを渋っているのが理解できない様子。


 スマホを片手に部品のリストを見た小熊は、構わずこれからの予定を再確認する。通販で部品を注文し、翌日には届くであろう部品をカブに組み付ける。それまでは別の作業をしていればいい。特に無駄や空費の無いスケジュール。

 一方、部販に行けばそれだけで数時間が潰れ、その間はカブの修復作業が出来ない。部品は今日中に手に入ってもその利点は相殺される。

 理屈を重ねたところで、最大の理由は小熊が部販が、対面での買い物が苦手だから。

 後ろでは藜が工具箱の前で小熊の指示を待っている。もう工具を出すことに関しては概ねのことが出来るようになった。工具を出すことだけは出来るようになった。きっとこの少年はこれからも、人の命令をその通り実行することが上手い人間になるんだろう。

 小熊は通販サイトの注文画面が表示されていたスマホのブラウザを閉じた。ワードソフトを開き、手書きしたリストの部品番号をスマホに打ち込む。

 必要な全ての部品名と部品番号が書かれたリストを作った小熊は、後ろに居た藜にスマホを投げ渡した。

「ここに書いてあるものを買ってきて。店への行き方と買い方はこれから教える」

 藜の顔が強張ったように見えた。お使いを言い渡されたが、どうやら普通の買い物ではない。


 二人のやりとりを見ていた礼子が立ち上がって、わざとらしくオメガ・スピードマスターの腕時計を見ながら言った。

「お腹すいちゃったー。まずはお昼ご飯。それからね」

 一食抜いても死にはしない食事なんかより先に買い物に行かせる積もりだった小熊は、部販に行くという面倒事をうまく藜に押し付けられた安堵も手伝い、礼子の言う通りにした。

 藜は小熊たちが使った工具を拾い集め、以前に小熊から言われた通り雑巾で綺麗に拭いてから工具箱に戻している。

 手に持った工具が他の工具に触れ、微かにカチカチと音をたてていた。


 午前中の作業を終えた小熊は、昼食を取ることにした。

 礼子はさっきから空腹を訴えている。食事を作るなら二人分も三人分も一緒だと思った小熊は、藜も自分の家に入れて一緒に昼ごはんを食べようと思ったが、やっぱり面倒くさくなったので、礼子の背を押すようにしながらコンテナ物置を出る。

 物置に残った藜は物置の端に置いていたトランクから取り出した飯盒に、蓋で計った二合の米を入れ、表の水道で米を研ぎ始めている。 幾つかのレトルトの中から親子丼を選んでいる藜は、既に生活の一部となった作業をして自分を落ち着かせているようにも見えた。

 小熊は買い置きのパスタを茹でて昼食の準備を始めた。パスタソースが作れるくらいの食材はあるが。外のコンテナをチラっと見た小熊は、戸棚からレトルトのパックを取り出す。


 礼子は大皿に盛られたミートソースパスタを凄い勢いで食べ始める。小熊が自分の前に置いたカルボナーラのフォークを手に取ると、パスタをすすりこんだ礼子は言った。

「あの少年に行かせるの?」

 小熊はパスタを一口食べる。やっぱり自分で作ったものより味が落ちる、ケミカルな味のパスタを飲み下してから言った。

「そのために家に置いている」

 パスタを無糖の炭酸水で流し込んだ礼子は言った。

「府中の部販でしょ?私のハンターカブを使ってもいいわよ」

 小熊も炭酸水を飲んでから答える。

「免許を持ってない。それに自転車がある」

 小熊はパスタをフォークに巻き取る作業を止め、礼子に聞いた。

「前にカブが壊れて自転車で行ったことあったよね?どれくらいかかった」

 今まで数え切れないほどカブを壊している礼子は、記憶を掘り出すように答えた。

「片道で三十分くらいね」

 頷いた小熊は、パスタを食べ終えて皿を片付けた。先に食べ終わってふらりと出て行った礼子の皿と共に流しに持って行く。

 昼食を終えた小熊が、自転車を取りに行くため家の裏に回ると、そこには礼子が居た。小熊の自転車をいじっている。

「チェーンとブレーキワイヤーが緩んでたから少し張っといたわよ。あとタイヤの空気圧も上げといた」

 人のやろうとする事を先回りする。礼子のこういうところが時々憎らしい。


 小熊と礼子が自転車を押してコンテナ物置に行くと、藜も昼食を終えた様子。

 小熊は藜に自分のスマホと紙の地図を渡した。府中四谷にある部品屋までの道順が赤いサインペンで書かれている。

「ここに行って、これを買ってくればいいんですね?」

 小熊は以前に部品を買った時の納品書を渡す。

「わたしの名前を出して。そうすれば月末締めのツケ払いにしてくれるから」

 頷いた藜は小熊から受け取った物を大事そうに仕舞おうとしたが、着ているのは貰い物のジャージ。すぐに中身を落としそうなポケットしか無い。

 藜は小熊から預かった物を、いつも肌身離さず持ち歩いている仔牛革のトランクに仕舞い、自転車の前カゴに入れる。、


 小熊は家から取ってきた物を藜に差し出した。ペットボトル入りのお茶と、ベッドサイドの机に置いているビタミン入りのキャンディー。

「昼はまだ暑いから、これを持って行くように」

 藜は小熊から受け取ったお茶と飴玉に、慣れぬ施しを受けたかのような困惑した表情を浮かべたが、お礼を言ってからキャンディーはジャージズボンのポケットに、お茶は自転車の前カゴに入れた。

「あなたが部品を買って帰るのが遅れると、それだけ作業が止まる。それを忘れないように」

 いつもの小熊の口調に少し安心した様子の藜の肩を、礼子がポンと叩きながら言った。

「事故起こしちゃダメよ。疑わしき時は行かない、何かあったら迷わず止まる、引き返す」

 小熊は自分が始めてカブで長距離を走ろうとした時、礼子が同じことを言ったのを思い出した。

 頷いた藜は、小熊と礼子に「行ってきます」と言って自転車のペダルを漕ぎ出した

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