第22話 お使い

 藜が自転車で部品を買いに行っている間、小熊はカブのエンジンに手をつけ始めた。

 小熊がこのカブを中古で買ってから二年少々。自分のカブの面倒を見たり、礼子のハンターカブの整備を手伝ったりして、カブだけはある程度いじれるようになった。 

 小熊の後ろで、藜の替わりに工具出しの役をしている礼子が後ろから聞いてくる。

「このまま手をつけないほうがいい気がするわ」

 小熊は比較的簡単に分解できるエンジンの上半分を外しながら答えた。

「インパクトドライバー」

 クランクケースのカバーに使われている、固く締められたネジを叩き外す特殊なドライバー。小熊はエンジン下部まで分解することに決めた。


 エンジンの内部にも幾つかの消耗部品があって、いずれ寿命が来る。その時に自分がカブを自由に整備できる時間や金があるかどうかなんてわからない。

 やれる事は今やる。それに、もう一つささやかな理由があった。理由未満の可能性と言ってもいいかもしれない。

 小熊は自分のカブから取り外した、まだ交換には少し早いように見える消耗部品と、ついさっき車体の部品を外し、エンジンとフレームだけになった部品取り車を交互に見た。

 損傷が進行して始動すら出来ぬ、死んだエンジン。万全を期して交換したけど、まだ生きていて捨てるに惜しい消耗部品。そこから何かしらの可能性が生まれるかもしれない。

 小熊はそう思いながら、腕時計を見た。

 藜はまだ戻らない。


 午後の作業を始めて三時間ほどの時間が経とうとしていた。

 藜が買い物に行った府中の部品屋は、礼子なら自転車で往復一時間。部品屋での買い物に三十分。その二倍の時間が過ぎている。

 さっき見た腕時計をもう一度見た小熊に、礼子が話しかける。

「心配?」

 小熊はカブからクラッチを外しながら答えた。このクラッチもまだ交換には早いけど、藜に新品のクラッチディスクとスプリングを買って来させる予定になっている。

「もちろん心配している。あれにはそれなりの金をかけているし、これから先の予定もあれが居ることを前提にしている。居なくなると私は大損をする」

 礼子が自分の後ろでニヤニヤ笑っているのがわかる。とりあえず作業の手を止めて振り返った。礼子は予想とは少し異なる、探るような目をしている。

「私にだって人情ってものはあるし、好んであれを不幸にしようとは思わない。損にならない事なら手を貸してもいいと思ってる。でも、あれがこれから会う人が皆そうだとは限らない」

 小熊はそれだけ言って作業に戻った。

 礼子は作業に適切な工具を差し出し。藜と違って指示をせずとも、作業を見て次に必要になる工具を出してくれる。その合間に言った。

「めんどくさいわね。ほんと」

 礼子が何について言ったのか、小熊にはわからなかった。とりあえず原付も大型バイクも変わらぬ手間のかかるエンジン整備作業のことだと思った。


 礼子の言葉に反し、消耗部品の取り外しは順調に進む。外した後は新しい部品を組み付けてエンジンを組むだけ。その部品がまだ来ない。少なくともそれは礼子の言う通り面倒臭い。

 いよいよやることが無くなった頃合で、藜が戻ってきた。駅前からここまでの坂道で息を切らした藜の着ているジャージは、上着に汗の染みが出来ている。

「すみません。遅くなって」

 小熊は一度置いた工具をもう一度手にしながら言った。

「別に遅くない。早く部品を見せて」

 藜がトランクに詰めて持ち帰ってきた部品は、小熊がリストアップした物が全て欠品無く揃っていた。小熊が始めて部販に行った時は、部品番号がわからず欲しい部品の半分も買えなかった気がする。

 小熊と共に部品をチェックしていた礼子が、藜の褐色がかった髪をクシャクシャ撫でながら言う。

「偉いわね。部販で何か言われなかった?」

 藜は少し口篭っていたが、遠慮がちに小熊のスマホを出した。

「これ、番号を間違ってました」

 小熊はスマホに表示されたリストを見た。自分自身気付かなかった写し間違いか、それとも、無意識に藜を試すような真似をしたのか。


 今まで藜をお使いをする賢い犬を見るような目で見ていた礼子が、それとは違った興味を持った様子で聞いた。

「じゃあ何で買えたの?部販はパーツナンバー間違えてるとまず無理よ」

 藜はさっきより言うのを躊躇っている様子だった。藜よりだいぶ背の高い礼子が腰を落とし、藜を正面から見ると、遠慮がちに話し始めた。

「その、僕、ウソをついたんです」

 部品の検品に集中していた小熊も藜を見た。もし不正や不誠実なことをしたなら、小熊は次からその部販を使えなくなる。

「ここに書いてある部品を買ってこないと、お姉ちゃんが僕をひどい目に遭わせるって言ったら、部販の人が皆で部品を探してくれて」

 しゃがみこんでいた礼子がその場に尻もちをつき、そのまま腹をかかえて笑い出した。

 小熊は何とも愉快でない気分だった。確かにあの部販には小熊が以前注文した時の顧客データが残っていて、小熊のカブの車種と形式名、車体番号まで記載されている。

 それらのデータとリストに書かれた部品名を照らし合わせれば、部品番号を間違えていたとしても必要な部品を探し出すことは可能だろう。もちろん部販は個人客にそんな事をしない。

「この子泣き落としの才能あるわよ!それってすっごい能力よ」

 礼子はまだ笑っているが、小熊は笑うどころじゃない。自分なりにいい結果と悪い結果を想定して藜を部販まで買い物に行く仕事をやらせたが、藜は予想した最良の結果を上回るだけの仕事を完遂しつつ、悪い結果より更にに上の事態を引き起こしてくれた。

 次から自分はその部販で買い物をする時にどんな顔をして行けばいいのか。

 鬼のような顔でもしていればいいんだろうか。

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