第23話 食い逃げ

 エンジンの分解と部品の調達でその日の作業を終えた小熊は、礼子と共にコンテナ物置を出た。

 傾いた陽が沈みかけている。いつも秋は、いつまでも夏だと思っているうちにやってくる。

 礼子は腹が減ったとうるさい。小熊は炊飯器のスイッチを入れ、昨日スーパーに行った時に半額になっていたイワシの丸干しを焼く。

 ニンジンとジャガイモの味噌汁を作っているうちにご飯が炊けた。今日は押し麦を混ぜた麦飯。

 出来上がった夕飯をテーブルに並べた。麦飯、丸干し、味噌汁、納豆、漬物。

 礼子は出来上がった夕飯を見て開口一番「刑務所かよ!」

 口ではそう言いつつさっさと食べ始める礼子。小熊も丸干しを齧り、麦飯を頬張る。


 今頃、藜もレトルトの夕飯を食べているんだろう。もしかしたら自分と礼子の刑務所飯より豪華かもしれない、少なくとも充実感のある美味い飯だろうと思った。

 いつもならあれこれと喋りながら食事をする礼子が、その晩はなぜか口数少なく、急ぐような様子で飯をかきこんでいる。夜に何か用事があるのかと思ったら、食事を終えた礼子は、食後の風呂に入ってすぐにシュラフにもぐりこんで寝てしまった。

 この暑さの中、自転車で府中まで往復した藜はともかく、今日の作業を見る限り礼子のどこに疲れる要素があったのかと思ったが、礼子は昔から小熊にはよくわからないとこがあって、よくわからない事を始めた時は大概ロクなことにならない。

 余計な考え事をしてもしょうがないとった小熊も、礼子の残り湯に入り、早寝した。


 翌朝目覚めると、礼子の姿が消えていた。

 外に停めてあった礼子のハンターカブも無くなっている。今までの経験則に従い、小熊は台所の戸棚を見た。やっぱり食材がごっそり無くなっている。やられた。カブの修復を手伝うという約束で食事付きの泊まり部屋を提供したが、礼子は食うものだけ食ってトンズラした。

 小熊は何が原因なのか考えた。修復作業が辛かったとは思えない。今まで数え切れないくらいカブを壊している礼子にしてみれば朝飯前の仕事だろう。結局のところ、また放浪したくなったということかもしれない。

 どっちにせよ、途中でどんなトラブルがあろうとカブの修復作業は続行しなくてはいけない。既に失踪した母との再会という最大級のトラブルは経験している。それに比べれば大したことは無いと自分に言い聞かせつつ、小熊はコンテナ物置を開けた。


 藜もお茶漬けの朝食を終えたところだった。小熊が貸した飯盒がすっかり似合っている。

 朝食中に入ってきた小熊に、藜が何か言おうとした。それより先に小熊は、物置の中の異変に気付く。

 小熊が自分のエンジンから外した部品があらかた無くなっていた。

 他に盗られた物は無いものかとコンテナ内を見回した小熊の視線は部品取り車に注がれる。あちこちオイル漏れして始動すら出来ない部品取り車のエンジンが、綺麗に磨かれている。

 小熊は部品取り車のエンジンを取り外す。外見からはわからないが、消えた部品を見ればわかる。礼子はいつの間にか、小熊のカブのエンジンから外した部品を使って、この死んだエンジンを組み直した。

小熊はエンジン横のカバーに何か書かれていることに気付いた。油性マーカーの文字は間違いなく礼子のもの。


 ~クランクの芯がズレてる。ヘッドも歪んでる。バルブは曲がってシールも死んでる、始動、走行は出来るけど、持ってせいぜい千km~ 

 小熊が藜を見ると、彼は遠慮がちに説明し始めた。

「その、夜にあの人が来て、ちょっとうるさくするけど気にしないで寝てて、って言って、そのエンジンを」

 ますます礼子の意図がわからない。このエンジンをうまく直して予備にしようとしたというならわかる。でも礼子ならヘッドを開けた時点で、このエンジンがもう死んでいることに気付くだろう。何でわざわざ千kmも走らないようなエンジンを組んだのか。

 使い物にならないエンジンが一つ増えたところで作業内容は変わらない。そう思った小熊は、藜に今日の作業開始を告げる。


 小熊は藜と共にカブの組み立てを始めた。

 まだバラバラの部品は、それらが結合することでバイクになるようには見えない。少なくとも藜はそう思っているんだろうと思った。

 既に自分や他人のカブの分解整備を何度か行っている小熊さえも、心のどこかでこのまま自分のカブは、このまま一つ一つの部品となって消え去ってしまうのではないかと思えてくる。

 その原因の一つは、カブの修復を手伝うと約束しながらも姿を消した礼子。

 小熊は自分の整備技術が、礼子に比べれば経験不足であることはわかっていた。でも特殊な加工や改造を施すわけでもなく、ただ純正の部品を組むだけの作業が出来ないわけではない。

 事実、小熊は礼子が来るまでは、自分一人の力でカブを修復しようとしていた。後ろには藜という手伝い役も居るが、彼はまだ一人の作業者として数えるには到底足りない。


 小熊はとりあえずバイクらしい形を取り戻すところから始めることにした。背後に置かれた工具箱の前に座る藜に告げた。

「スイングアーム」 

 後ろから困ったような声が聞こえてくる。

「済みません。わかりません」

 ここ数日の作業で、覚えのいい藜が工具の名前をあらかた覚えたことで、小熊もつい勘違いしてしまったが、藜はバイクのことも、バイクの部品名もよく知らない。

 そのためにバイク雑誌を読ませて予習させた積もりだったが、用語や各部品の名称という基本的なことが載っている雑誌は少ない。

 小熊は立ち上がり、自分で部品を取りにいく。フレームの前に座り、スイングアームを当てた小熊は、それを止めるボルトを取りに行き忘れたことに気付き、もう一度立ち上がる。 どうも動きがよくない。カブじゃなく自分自身が効率的に動けていない。藜の声が聞こえた。

「あの、それ、スイングアームっていうんですね?覚えました」


 頻繁に使用する工具と違って、取り付ければお終いの部品名を覚えたところで、作業が終われば必要なくなる。そんな物に脳のリソースを浪費するよりも、もっと別のことを覚え、考えるべきだと小熊は思った。例えば、このカブの修復を終えた後の、自らの身の振り方とか。

「そう。そしてこれがスイングアームを装着するのに必要なボルトとベアリング」

 小熊自身の再確認のためにも、作業の内容は声に出したほうがいい。

「このグリスを塗って、スイングアームを付ける。動きを確認したら次はリアショックを付ける」

 それから小熊は、作業の内容を藜に話すようになった。

 彼の将来より、カブの明日のほうが大事。

 

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