第45話 ロブスター

 藜は修復を終えたカブを磨き上げた。

 隣には小熊のカブ。退色し傷もついていたが歪みの無かったフレームをそのまま使った小熊のカブより、損傷の修正のため塗装を剥いで塗り直した藜のカブのほうが綺麗に見える。

 中古バイク屋に値札を付けず並べて置いておけば、目が節穴な客は藜のカブに高値をつけるだろう。 

 一部の目ざとい人間は、藜のカブについた再塗装の塗膜と溶接痕、ブレーキやゴム部品、駆動部品等の経年劣化から、内部がボロボロであることに気付く。

 試乗でもすれば、エンジンにも不備があることが明白になるに違いない。

 見た目は綺麗でも中身はポンコツ。藜はここからスーパーカブを始める。


 作業を終え、疲労した体を引きずりながら工具を片付けている小熊の横で、藜が小熊のカブにはあって藜のカブに無い、もう一つの物に気付いた。

 テールランプの下。カブを公道で走らせるのに必要なナンバープレート。

 ブロック修正で排気量を上げ、原付二種として登録した小熊のカブには、山梨県北杜市の黄色いナンバープレートがついている。

 ナンバープレートの無いカブの後部に触れていた藜に。礼子が話しかける。

「明日の朝になったら登録に行くわよ。そうしたらこのカブにもナンバーが付くわ」

 藜は私物の入った巾着袋に手を突っ込んだ。中に入っていたカシオのデジタル時計を見る。時間の進みは焦れるほど遅い。

 翌朝までという長い長い時間を待ちきれぬ様子の藜が、いっそナンバー無しで走ってみようかいう誘惑に駆られた時。作業場の整頓を終えた小熊が肩を叩いた。

「私はまだ、このカブを修復した報酬を貰っていない」

 藜は我に返った様子で、慌てて巾着袋に手を突っ込み、中から取り出した真新しいガマ口財布を開いた。小熊が藜の働き先を下見に行った時に買ってきた物。

 小銭入れとしては大きめな財布に詰まった札を引っ張って伸ばした藜は、小銭まで残らず取り出した。途中で手が止まる。ここで有り金を全て差し出せば、明日の朝、カブにナンバーを付ける金も、ガソリンを入れる金さえ無くなることに気付く。手の中の現金をもう一度見た藜は、思い切ったように小熊に差し出す。 

「僕のカブを走れるようにしてくれてありがとうございました。これくらいでは見合わないかもしれませんが、受け取ってください」


 差し出された現金を手に取った小熊は、金額を数えることもなく、藜のオイルレザーのガマ口とよく似た自分の財布に詰め込みながら言う。

「私はこの金であんたのカブを、とりあえず走ることだけは出来るようにすることを請け負った。作業が終わった後のお祝いもその中に含まれている」

 小熊は一度自分の財布にしまった金から、一万円札を一枚引っこ抜き、藜に渡した。

「あんたはこの作業の責任者。これで私達を食事に招待しなさい」

 礼子も横から首を突っ込んできて言った。

「キミに将来、女が出来た時のために覚えておいたほうがいいわよ。それって大事なことよ」

 小熊が思っていたが、口に出したく無かったことを言われた。藜がいつか、誰かをデートに誘う。そんな女が居たらまず自分が面接して合否の判断を下したいと思った。無論竹千代は人格その他の部分で不合格。


 小熊から押し付けられた万札を見ていた藜は、顔を上げて言った。

「僕にはあまり良いお店を選べないかもしれませんが、お二人を喜んでエスコートさせて貰います」

 三人はお出かけの準備を始めた。とはいっても作業用ツナギを脱いでシャワーを浴びた礼子は、これしか着替えを持っていないブルーグレイの作業着上下、小熊はデニムパンツににライディングジャケット、藜はセッケンで貰った体育ジャージしか持っていないので、小熊の替えのデニムパンツの裾を折り返して履き、ジャージの上着を身につける。案外お洒落な感じ。

 とりあえず小熊と礼子の二台のカブで駅前に出ることにしたが、礼子が後ろに藜を乗せるため後部ボックスを外そうとしたのを見て、小熊は言った。


「わたしのカブはまだ重荷を積んだテスト走行をしていない」

 藜をどうしても後ろに乗せたい様子の礼子は、自分のカブが一一〇ccで小熊のカブよりパワーで勝っている、おまけにカッコいいという事を藜にアピールしたが、藜は自分のカブと同じ外見をしている小熊のカブに乗ることを選んだ。

 それで決まり。小熊は自分のカブのエンジンをかけ、藜に礼子が持っていた折り畳みヘルメットを被せて後部の荷台に乗せる。

 礼子が先導する積もりらしく、先に走り出す。きっと藜が招待するという建前を忘れ、自分で勝手に店を決めて藜にいいところを見せようとしているんだろう。

 カブの後部で少し緊張した様子の藜に、片手は後ろ手にキャリアを持ち、もう片方の手で操縦者のウエストを掴むことを教えた小熊は、後ろに藜を乗せて走り出した。

 藜がいつか誰かを選んだとして、それがカブの後ろに乗せられても文句を言わないような女なら、それでもいいだろうと思った。

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