第46話 藜のカブ

 小熊と藜は、結局のところ礼子の選んだ店で夕食を済ませた。

 一万円の予算を使い切るために礼子が向かったのはロブスターの店。生きたまま空輸されてきたという大きなロブスターを三人で食べる。

 生きていく力を何一つ持たず、ご飯の炊き方から教えた藜に、レストランでの食事の仕方を教えようとしたが、小熊も礼子もどう食べていいのか見当もつかない。

 ロブスター相手に格闘する二人を尻目に、藜は水のお替りを注ぎにきた店員に食べ方を聞いている。

 若い女性店員は、普通の客に応対するよりずっと丁寧な態度で、ロブスターの食べ方を手を取って教えていた。小熊と礼子もそれに習いながら、自分たちの許可も無く藜に触れる女子をどうやって引き剥がそうかと思った。

 藜がロブスターに添えられた、カリカリのベーコンとサワークリームがたっぷり挟まれたラグビーボールのようなジャガイモを食べ、とっても美味しいですと言ったところ、女性店員は上機嫌で藜の口の周りを拭いてあげていた。

 小熊も礼子も、今まで自らの知力と体力を頼みに生きてきたが、どうやら藜はそれ以外の武器も持っているらしい。

 背を丸めるようにシッポを引くとごっそり取れるロブスターの身や、専用の器具で甲殻を割って食べるハサミの肉、ミソや卵まで残さず食べた三人は幸せな気分で店を出た。藜はさっきの女性店員に割引券を何枚も押し付けられていた。

 

 夕食を終えた帰り道、礼子のハンターカブは小熊の家を通り過ぎていく。藜を後ろに乗せた小熊も自分のカブでついていくと。礼子は小熊の家から駅とは逆方向に少し行った先にある、総合斎場の前でハンターカブを止めた。

 礼子がスマホを取り出してどこかに電話をかけると、閉ざされた斎場の門が自動で開き始める。

 門を通って斎場の敷地内に入ってすぐのところに、広い駐車場があった。

 ハンターカブを降りた礼子は、ヘルメットを脱いで言う。

「少し練習してみよっか」

 藜の持っている原付免許では原付二種登録された小熊や礼子の礼子のカブには乗れない。ただしその法規は閉鎖された私有地には適用されない。


 礼子にしてはいい提案だと思った小熊も自分のカブを降りる。荷台から降りた藜は気が進まない様子。遠慮しているのではなく、乗るのをイヤがっている。

「はじめて乗るのは、自分のカブがいいです」

 小熊は藜に顔を近づけて言った。

「カブはお洋服やオモチャじゃない。その技術の無い人間が乗ったら、痛い目を見るように出来ている」

 礼子も自分のハンターカブをブーツの爪先でつつきながら言う。

「明日は公道を走って、途中で給油して、静岡までだからね。子供マンガのヒーローなら初めてでもロボットを動かせるけど、道路に出れば主人公なんてどこにも居ないわよ」

 藜は手を伸ばして小熊のカブに触れた。小熊の指示で自分が組んだカブ。明日になれば自分のものになるカブと同じバイク。明日まで待とうと思っていた藜も、誘惑には抗えないらしく、小熊のカブに跨った。


 街灯で照らされた斎場駐車場でのカブ講習。変速やブレーキの方法を小熊に教わった藜は、案外そつなくカブを操縦した。

 ただ駐車場をぐるぐる旋回するだけの走行から、急ブレーキやシフトダウン、敷地を端から端まで使った高速走行。礼子のハンターカブに乗り換えても、なかなか上手く走らせることが出来た。

 夜が更ける頃には、藜はまだまだ乗り足りないといった様子だったが、礼子とコネのある斎場の施設管理者が交代の時間を迎えたので、小熊のカブの後ろに乗って斎場を後にする。

 家に着き、小熊と礼子は自分のカブをコンテナ物置に乗り入れさせる。藜のカブも加えると三台で、だいぶ狭苦しくなったコンテナに藜も入ろうとするので、小熊は藜の腕を引きながら言う。

「今日はこっちでいい」

 丸一日の作業と外食、カブの練習で疲労しきった小熊は、先に藜を風呂に入れ、自分も風呂に入る。風呂の中で眠ってしまいそうになった

 そのままパジャマに着替えた小熊は、藜をベッドに寝かせ、自分もその横で眠った。礼子もハンターカブで持ち歩いている自分のシュラフを台所の床に広げ、もぐりこんで早々に寝息をたてている。

 夜中に何かが動く気配がしたので、小熊は目を覚ました。ベッドに倒れこんですぐに眠りに落ちた藜が、起き出して庭と繋がった大窓から外に出ていった。

 そのまま藜が戻って来ないので、小熊もベッドを出て大窓を開けると。開け放たれたコンテナ物置の中で、藜が自分のカブを抱きしめるように眠っているのが見えた。

 

 翌朝。三人でベーコンエッグとトースト、サラダの朝食を摂った後、藜は役所支所の窓口が開くのが待ちきれない様子で、自転車に乗ってカブの登録に行った。

 藜が出かけている間、小熊は昨日一日で組み上げた藜のカブを点検する。礼子は昨日組み上げたブレーキ回りをわざわざもう一度分解し、組み直して小熊を見て言う。

「何回いじっても変わんないわよ」

 小熊は礼子には取り合わずカブのあちこちを分解し組み立てた。割れた鏡面を風呂用の樹脂ミラーを接着し補修したバックミラーに触れた小熊は、いっそ自分のカブについている新品と交換しようかと思った。タイヤも、ブレーキも、エンジンも、

 礼子が小熊の手から工具を取り上げた。

「大丈夫よ、きっと」

 礼子の手から工具を奪い返した小熊は、床に放り出して言った。

「それもそうか」


 藜が自転車に乗って帰って来た。手には薬師池とカワセミがあしらわれた、町田のご当地原付ナンバープレートを持っている。

 自賠責保険のステッカーが貼られたナンバープレートを装着し、藜のカブが完成した。

 自分のカブに跨った藜は言った。

「僕はもう行かなくてはいけません。働くことになっているお店の人が、出来るだけ早く来てくれと言ってるそうなので」

 小熊は藜との別れの時が来たことを知った。人に対してそんな感傷らしき物を抱いた経験の無い小熊の中に、初めての喪失感が湧いてくる。

 藜を引きとめようかとも思った、いっそこのカブを壊してしまえば、彼をもう少し自分の元に留め置くことも出来るだろう。その間に藜がここで生きていく方法を探せばいい。

 そう思った小熊は、藜が自分のカブのキックレバーを蹴り下ろし、エンジンをかけた音で我に帰った。

 カブの音。小熊のカブからも発するエンジンの音。カブに乗っている限り、藜と自分は繋がっている。カブならば東京と静岡の距離さえ、さほどの物でも無いだろう。


 藜の旅立ちを引き止めようとしていた小熊は、外に軽バンが停まったのを見た瞬間、もう少し早く送り出していれば良かったと後悔した。

 軽バンから出てきたのは、竹千代と春目、ペイジの三人。

「約束通り見送りに来たよ。それから友人の門出のため餞別を持ってきた」

 竹千代部長がスマホタイプの携帯電話を渡す。未使用の最新機種らしい。

「SIMカードは自分で用意してくれたまえ。それですぐに使える」

 藜によこしまな劣情を抱いているらしき竹千代が、どんな仕掛けを施した携帯なのか。小熊は奪い取って叩き返そうとしたが、スマホを胸に抱いた藜が、竹千代の両手を取り、顔を思い切り近づけて感謝を述べているのを見て、まぁいいかと思った。

 息が触れるか触れないかの距離にある顔を見た竹千代が、小熊が今まで見たことの無いような狼狽をしているのを見ただけでも儲けもの、それに、藜は竹千代の気持ちにはとっくに気付いていて、その上でちゃっかりと利用している。


 続いてペイジがタッパーの箱を差し出す。中身はペイジ自身が何度も危機を乗り越えたという七つ道具。塩、ナイフ、方位磁石、マグネシウム製マッチ、パラシュートロープ、針と糸。

 見た目と機能はハーモニカを偽装し、持ち物を検査されても絶対にナイフだとバレないというペイジの自信作の隠しスイッチを押した藜は、飛び出してきた刃に驚いてペイジに返そうとしたが、半ば強引に押し付けられる。

 春目は彼女自身がスケッチして纏めたという食べられる野草のノート。小熊はこれこそいらないと思ったが、綺麗なスケッチノートとして鑑賞している藜に、もらっとけと言っておいた。

 ほぼ手ブラで来た礼子は、藜ではなく藜のカブを見て言った。

「箱が無いのは物足りないわね」

 それから自分のカブの後部に付けられた郵政カブ用のボックスを外し、藜のカブに取り付けた。赤と青で意外と色の調和が取れている。


 小熊は自分から藜に、何かあげられる物が無いかと考えてたが、藜に手を出して言った。

「財布」

 藜は昨日小熊に貰ったガマ口財布を差し出す。藜がこれから働くことになるアンティークショップの手作り品。空っぽの財布を手に取った小熊は、昨日藜から受け取った金の詰まった自分のガマ口財布を取り出し、藜に投げつける。

 現金とは我ながら即物的すぎるとは思ったが、みんな見栄えのいいプレゼントを渡すだけで、藜がこれから生きていくのに最も必要となるものをわかっていない。

 藜は現金の詰まった財布を小熊に返そうとしたが、小熊は藜の胸倉を掴みながら言った。

「自分を過信するな。世の中はあなたが思うほど甘くない」

 藜は自らの無力を噛み締めるように財布を握りしめていたが、大事そうにポケットにしまった。

 巾着袋や飯盒、シュラフ。全部藜にあげようとしたが、それを持っている限り、藜は小熊の保護下の藜のまま。

 案外藜なら買うまでもなく、働き先のアンティーク・アウトドアショップで、小熊からの借り物より上等な代物を要領よく貰えるかもしれない。 


 皆の見送りを受けた藜は、最後にもう一度深々と頭を下げて礼を述べ、カブに跨ってギアを入れる、アクセルを回し、少しよたよたとした感じで走り出した。これからも藜のことを困らせるに違いない、おんぼろのカブが藜を乗せて走っていく。

 小熊は藜の背を見送りながら、初めて会った頃のことを思い出していた。母が一方的に置いていった、生きる力を何も持たない、一人ぼっちの真っ白な少年。

 これから小熊が手を貸したり道を教えてやらずとも、かつて小熊がそうしたように、彼の乗るスーパーカブが生きる術を教えてくれるに違いない。

 走ろうとする意志が潰えない限り、ゴミの山からだって蘇る、望みを失わなければ、この世のどんなものにも負けない力を手に入れることだって出来る。それがスーパーカブ。

 小熊は遠くに消えていく藜の背を見ながら思った。

 男なら、スーパーカブみたいに生きてみろ。


(終)

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