第9話 魔法の弁当箱

 木造平屋の自分の部屋からコンテナ物置に戻った小熊は、少年の前に一抱えの荷物を置く。

 夕べ小熊の母が使った薄いシュラフ、ガソリンコンロ、シェラカップ、スプーンとフォーク、箸。中身が半分ほどになった五kgの米袋、買い貯めたレトルト食、アルミの角型飯盒。

 少年は小熊が出した食料とキャンプ道具を黙って眺めている。自分の命を繋ぐ物資を見ても、子供がプレゼントを貰ったような顔をしていない。どちらかというと地球上に存在しない未知の物体でも見るような目。

 食料は家にあった買い置き、道具類は小熊がスーパーカブで泊りがけのツーリングに行くため、少しずつ買い揃えたものだった。そのカブがこんな状態なら使いようが無い。


 少年は荷物の山の一番上に置かれていた角型飯盒に手を触れた。四角い大型のアルマイト弁当箱に折り畳みのハンドルがついたような感じの、二合炊き飯盒。

 小熊は高校二年の冬にこの角型飯盒を買って以来、ずっと弁当箱として使っていた。米と水を入れて火にかければご飯が炊けて、そのまま弁当箱として持っていける調理器具兼弁当箱は、小熊にとってただの米を自分の腹を満たすホカホカのご飯にする魔法の弁当箱だった。

 高校でほぼ毎日使い、カブでのツーリングにも愛用してあちこちに傷やへこみのついた角型飯盒を手に取った小熊は、少年に告げた。

「使い方を教える。一回で覚えて」

 

 小熊は少年を物置の前にある屋外水道に連れて行った。

「水はこれを使ってもいい」 

 手元を注視する藜に説明しながら、小熊は角型飯盒で米を研ぎ、本体に打たれたリベットを目印に水量を調節した。

 コンロにカブから抜き取ったガソリンを入れ、タンクに燃料噴出に必要な圧力をかけるポンピングを行い、コンロ基部のツマミを回して工具箱から出したライターで火をつける。

 コンロが出すオレンジの不安定な炎を見た少年が少し後ずさりする。燃料供給のパイプが熱せられたことで、炎はガスコンロと同じ青い色になる。

 飯盒をコンロにかけた小熊は、もう一度少年を外に連れていき、小熊の暮らす家に隣接した公園の端にある建物を指差した。

「トイレはあれを使って」

 小熊はスーパーカブ修復の道具として受け入れた少年を、自分の生活空間に侵入させる気は無かった。ようやく涼しくなった初秋の気温。シュラフさえあれば物置で寝かせても問題ないだろう


「寝るのはここ、直に寝るより段ボールを敷いたほうがいい」

 少年は小熊が物置の床を指差しても特に文句を言うことは無かった。飯盒の中身が沸騰し始め、吹きこぼれてきたので火を弱める。

 あとは十五分ほど待っていれば米は炊ける。小熊はレトルトフードの入った箱を少年に見せて言った。

「何がいい?」

 少年は特に考えることなく、一番手前のカレーを指差した。小熊はパックを手に取って、説明では湯煎するように書いてあるレトルトパックを飯盒の上に置いた。

 物置の中を片付け、生活スペースを開けているうちに時間が経ち、米が炊けた。コンロの火を消し、テーブル替わりの木箱に飯盒を置いた小熊は、後は自分でやらせても問題ないと判断した。やらなければ飢えて死ぬ。

「私は大学に行く。ご飯を食べ終わったらこれを読んで、帰るまでに出来るだけ覚えておくように。

 小熊は、まだ飯盒が熱くて触れられぬ少年に、物置の中にあった工具カタログを渡し、物置を出た。

 自分の部屋に戻る間、小熊はこれで大丈夫なんだろうかと少し思った。どれほどの栄養が入っているもわからぬレトルトフードと米。小熊は、大丈夫じゃなかったとしてもどうせ他人の体だと割り切り、意識を大学の授業に切り替えた。 

 小熊自身も高校の時の昼食は、時に夕食までもが飯盒で炊いた米とレトルトだった。カブで遠出した時は数日に渡ってそれだけだった事もある。

「私はこうして生きている」


 部屋に戻った小熊は、大学に行く準備を始めた。デニムパンツの上に、近隣にある米軍基地の交流イベントでまとめ買いしたオリーブグリーンのTシャツを身につけ、空模様を見て赤い薄手のスイングトップに袖を通す。

 窓からは開け放ったコンテナ物置と、その中で恐る恐る飯盒の蓋を開けている少年が見える。

 たちのぼる湯気と共に香る炊き立てのご飯の香りを吸い込んだ少年は、ただの米と水に火を加えたものを注視している。

 彼は母と行動を共にしている間、外食やテイクアウト、ホテルのルームサービス等の食事で生きてきたらしい。

 きっとあの無計画な母のことだから無駄に豪華なものを食べていたんだろう。今、彼の目の前にあるのは、飯盒飯とレトルトのカレー。


 少年は夕べ宅配寿司を食べた時には無かった目の輝きを見せている。レトルトの封を切ってカレーをかけた少年は、スプーンを手に凄い勢いでカレーを食べ始めた。

 小熊は少年の様子を見物しながら、高校の時に自分で作った帆布の巾着袋に、高校よりだいぶ薄い教科書とファイル、筆記用具を放り込んで、巾着をたすき掛けに背負う。

 玄関ドアを開けて自転車を出していると、少年はもうカレーを食べ終え、飯盒の底に張り付いた米をスプーンでこそぎ落としていた。

「水に漬けておくと取れる」

 それだけ言った小熊は、何度乗っても自分には馴染まない自転車に乗って大学へと向かった。

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