第6話 居酒屋での話 1

 頭では分かっていたつもりだった。

 役者は演じる役ごとに雰囲気を変える。役作り、という言葉もある。作中人物と本人の実際の性格には乖離があって当然だ。


 しかし、実直で純朴なパガタの戦士や不憫な街のパガタの青年を演じてきたザンザが、横柄な態度でナヴァの肩を抱きながら喋っているのを見ると、サンタクロースの正体が自分の親であることを知った時の気持ちを思い出す。


「俺ジョニーウォーカーの黒。ロックで」


 後頭部をはたきたくなる。


「俺、コーラでいいな……」

「わたしはミルクにする……」

「なんだお前ら、ノリ悪いな。この俺様が払ってやるから好きなもの飲めよ」

「いや、アルコールという気分じゃないので……」


 まずアレックスが案内した店でこういう言動なのが理解しがたい。


 三人は駅の南側にある日本風の居酒屋に入った。障子で仕切られた個室があり、着物を着たウエイトレスが部屋の中まで酒や料理を運んでくれる。二、三年前当時の恋人と来たきりで馴染みの店というわけではなかったが、ある程度プライバシーが守られた空間で、となると、ここか自宅かしかなかったのだ。


「おっ、日本酒が飲める。俺このクボタってやつが好きなんだよな」


 ザンザがメニューを見てはしゃぐ。楽しそうだ。

 アレックスはますます疲れた。


「用件を言え、用件を」


 ナヴァがテーブルを叩く。


「我々はお前と飲み会をしたいわけではない。アレックスは明日も仕事だ」

「俺も明日も仕事だ」

「そうだ、お前の方がよほど忙しいではないか。こんなところでこんなことをしていていいのか」

「舞台をやってると比較的規則正しい生活になる。朝稽古して昼リハして午後本番であと解散だ」

「なるほど。……そうではない、わたしが言いたいのはそういうことではないのだ」


 珍しくナヴァの方がしっかりして見えた。ザンザの方が年上のはずだが、ナヴァがまるで姉のようだ。


 ウエイトレスがしずしずとやって来て、テーブルの上に飲み物を置いていく。プロフェッショナルはザンザの顔を見ても騒がない。彼女は「ごゆっくりお過ごしください」とだけ言って去っていった。


 やって来た酒を一口煽ってから、ザンザは言った。


「単刀直入に言う。ナヴァを俺に譲れ」


 アレックスが口を開く前に、ナヴァが「何を言う!」と怒った。


「さんざん言っただろう、わたしはアレックスの妻になりアレックスの子を産むのだ。お前ではない。何度言ったら分かる?」


 少し間を置いてからアレックスも彼女の援護射撃をする。


「彼女は物じゃないから譲るという言い方は妥当じゃないと思う。俺は束縛しているつもりはないし、結婚するかどうかも分からないけど、彼女自身がこう言っている以上は俺もイエスとは言わないよ」


 ナヴァが嬉しそうな顔をして「アレックス!」と飛びついてきたが、その彼女の服のフードをつかんでザンザが自分の方へ引き寄せた。


「そもそもどうして急にそんな話に? あんたほどのひとなら女性なんてより取り見取りでしょうよ」


 何せ今年の抱かれたい男ランキング第三位、とまでは言わなかった。今までの彼の言動からして図に乗ると思ったからだ。


 皮肉なもので、素のザンザこそ古いパガタの男の典型例のような性格をしているように思えた。ワイルドで自由奔放、と言えば聞こえはいいが、彼のような男がいるから自然のパガタは野蛮人呼ばわりされるのだ。

 よくここまで出世したものである。今時のおとなしくて物静かなメジャーの男に飽きた女性たちにはもてはやされるのだろうか。


 彼は「よくそんなこと言えるな」と笑った。


「お前、自然のパガタの序列を分かってねぇからこういうこと言うんだろ」

「序列?」


 目をしばたかせる。


 ナヴァが「やめろ」と比較的大きな声で言った。


「アレックスは知らなくていい。わたしはあえて説明しなかったのだ」

「どうしてだ?」


 問われてうつむく。


 ザンザがたたみかける。


「ひょっとしてお前、山の掟から逃げようってんじゃないよな。お前ほどの立場のある人間が一人の男に惚れて世界を敵に回そうとしているのか?」


 ナヴァは答えない。


「どういうこと?」


 アレックスが訊ねると、ザンザが答えた。


「山のパガタ、というのは。パガタを守るすべての精霊の長、精霊王の加護のある一族で、すべての自然のパガタを統べる民だ」

「それは、何となく聞いたことがあるけど。そんなスピリチュアルな話?」

「お前らにとっては非現実的な話であっても俺たちにとっては目の前の現実でな」


 グラスを揺らしながら口元を歪める。


「山とは権威の象徴だ。山のパガタは宗教的権威として自然のパガタの上に君臨する存在なんだ。その中でも、族長の娘で巫女、といえば、カトリックの教皇と同じ存在で、宗教的指導者として最高の地位にある。巫女はパガタの掟に則って、言うなれば合法的に、自然のパガタを支配することを認められている」


 思わず目を見開いてしまった。


「俺たちにとっては、女王様だ」


 ナヴァを見た。


「ナヴァが一声掛ければ、この国にいる何万という自然のパガタが一斉蜂起して政府相手にテロを起こすぐらい何でもないぜ」


 彼女は唇を引き結んで斜め下を見ていた。長い銀髪のかかる肩は華奢で、どこにでもいる普通のパガタの若い女性だった。


「どこまで本当?」


 問い掛けると、ナヴァは小声で答えた。


「全部本当だ」


 その表情は少し悲しそうだった。


「だが自然のパガタは街の人間に対してそうとは説明しない。なぜなら巫女は神聖で何物も侵してはならない存在だからだ。街では――穢れた俗世では、わたしの名を口にすることすら許されない。したがって街のパガタであるお前が知らないのも無理からぬことだ」


 そして「ザンザが今説明したのもルール違反だ」と呟くように言う。


「街の人間に話した。お前の一族は呪われるぞ」


 ザンザは不敵に笑った。


「俺はクソ田舎の実家が嫌いなんでこれをきっかけに滅んでも痛くも痒くもない。そんなことより女王を背負う覚悟のない男が女王の婿になって好き勝手することの方がもっと重大な問題だ。全パガタの未来に関わることだぞ」


 どうやら理屈ではナヴァの方が分が悪いようだ。彼女はザンザの目を見ずにぼそぼそと話した。


「アレックスに知られたくなかった。そんな重い女だと思われたくなかった」


 少し大きめのパーカーの袖から、細い手首が見えている。


「それに、そんなことを知ったら、恐ろしくなって種をつけようとは思わなくなるのではないか。わたしは子供を作れなくなることが一番怖い」


 ザンザはさらに強気に出た。


「だから、俺が抱いてやるって言ってんだろ。俺は金もステータスもある。前代未聞の巫女の婿ってやつをやる覚悟もあるぜ。山で原始的な産婆介助のお産をしなくても街の有名な産院で産ませてやる」


 その言葉が引っ掛かって、アレックスは「ちょっと待って」と遮った。


「前代未聞の巫女の婿、って何?」

「それも聞いてねぇのかよ」


 ザンザも少し驚いたようだった。


「巫女は処女じゃなきゃできないから普通は死ぬまで独身だ。結婚するなんて前例はない」

「えっ、じゃあナヴァはなんでこんなこと言ってるの?」

「山のパガタの長の一族が滅びそうだからだ」


 不愉快そうに眉根を寄せ、「そんなことも俺が説明すんのかよ」と吐き捨てる。


「山のパガタは今絶滅の危機に瀕してて、巫女でも何でもとにかく若い女が子供を産んで人口を増やす必要があるんだ」


 自然のパガタでももっともレアな部族だと聞いていた。


「そんなに数が少なかったの?」

「いや? 俺がガキの頃はもっといた。それが――何年前だ?」


 ナヴァが小声で「三年前」と補足する。


「伝染病で次々と死んでいって半分以下になっちまった」


 衝撃のあまり、アレックスは自分の口元を押さえた。


「病気で?」

「正確にはインフルエンザで」


 ショックだった。そんな一般的な病気で死ぬ人間がいるとは思っていなかったのだ。



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