第9話 街のパガタと自然のパガタ
平日の午前中の公園ではリタイア後と思われる老人たちが集まって楽しそうに談笑している。
十人前後の仲良し老人グループは全員パガタだった。
ただの偶然かもしれない。けれど最近のアレックスは少し勘繰ってしまう。
あのくらいの年齢の人々はまだ若い頃にあからさまなパガタ差別があった世代だ。今でもメジャーとパガタの交ざった集団は形成されないのかもしれないのでは、と思ってしまう。
差別があるのはメジャーとパガタの間だけではない。
パガタ同士でも、街のパガタと自然のパガタの間には、大きな溝がある。
受け入れがたかったが、認めざるを得なかった。
自分自身もそうだったからだ。
街のパガタである自分もまた、自然のパガタであるナヴァより立場が上だと思っていたのだ。
メジャー化したパガタは父祖伝来の生活をするパガタに対して高慢な態度をとる。
恥ずかしかったし、悔しかったし、吐き気がする。
そんな状態で、ナヴァと二ヶ月近く暮らしてきたのか。
一番恐ろしいのはジェニファーの態度を見るまでそれに気づかなかったことだ。自分のことは分からないのである。
無自覚で、無批判で、無意識だった。
自分がとんでもない化け物のように思えてくる。自分はもっと理性的な人間だと思いたかった。
「アレックス」
不意に後ろから声を掛けられた。
立ち止まり、振り向く。
ナヴァが大きな紫の瞳でこちらをじっと見つめている。
「どこに行く? 家に帰るのか?」
この華奢で可愛らしい女性をずっと抑圧してきたのだろうか。
無言で彼女を眺めていた。
そのうち、彼女の方が頬を染めてうつむいた。
「私はどこでも構わないが……、少し、速足だから」
言われてから我に返った。アレックスはナヴァの手を握り締めていた。ここまで引っ張って、引きずってきてしまった。慌てて離して「ごめん」と言った。
公園の中央をくり抜くような歩行者専用道路の真ん中で、二人向き合う。
今日は快晴で、風もなく、通りを彩る黄葉が一枚ずつゆっくり舞い落ちてきていた。
「帰るか? 午後は仕事だろう」
アレックスは苦笑して首を横に振った。
「気分じゃない。今日はもう休む」
「いいのか?」
「月末ですることないし、また来週から月次決算で慌ただしくなるから今のうちに休んでおくよ」
「そうか」
ナヴァが微笑む。
「では、今日は一日中一緒にいられるのだなあ」
思わず腕を伸ばした。
彼女を強く抱き締めた。
長い銀髪に覆われた後頭部を撫でる。
「ナヴァは俺のこと嫌いにならないの?」
腕の中で「なぜ」と呟くように言う。
「むしろもっと好きになった」
彼女の手も、アレックスの背中を撫でる。
「お前と出会えてよかった」
「でもナヴァは俺のこと偉そうだと思ったことはない? 話していて嫌な思いを――自分が自然のパガタだから街のパガタである俺に嫌な思いをさせられていると思ったことはない?」
少しのあいだ、間が開いた。それが恐ろしかった。暗に肯定しているのではないかと思ったからだ。
「そうだな」
小さな、この至近距離だからこそ聞き取れる声で答える。
「なくはない」
そしてすぐに「でも」と続ける。
「お前は良くも悪くも素直だ。分かりやすく態度に出る、嘘はつけない。だから、わたしを騙そうとはしないと思えたし、わたしが正直にすべて話せば理解して共感してくれるだろうと信じられる。……今は、難しくても」
頬に側頭部を擦り寄せる。
「わたしが街のことを何も知らなかったのは事実だ。わたしは学ばねばならなかった。お前から多くのことを教わった。とても助けられた。言うなればお前はわたしにとって師であって、上に立ってわたしを導かねばならないのは道理だ」
安心させようとしてくれているのだろうか。
「それに、わたしも、山のことで話していないことがたくさんある。だから、仕方がない」
それから、「大丈夫だ」と言う。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
その声に安心して泣きそうになる。
「――結局、私は仕事を辞めることになってしまったな」
言いつつ、彼女は頭を持ち上げ、上半身を離した。
互いの顔を見る。
彼女はどことなく悲しそうな顔をしていた。
「金がない」
アレックスも彼女から離れながら「大丈夫だよ」と言った。
「これから弁護士を通じて請求するからね。貰っていない分の給料と慰謝料を多少取ろう」
「そんなにうまくいくのか?」
「録音した音声があるから、どちらに非があるかは分かるんじゃないかな」
「よく録音しようと思いついたな」
「職場でちょっと揉めた時にアシュリーがやってたんだよ。それの真似」
「そうか。アシュリーは賢いなあ」
うつむき、「アシュリーにも金を返す予定だったのに」と呟く。
「次の仕事もすぐには見つからないのではないだろうか」
胸が痛む。
自然のパガタには、街での仕事がない。
どうしてこの世界はこんな仕組みなのだろう。
「まあ……、ゆっくり探そう。今度こそいい職場に巡り合えるように、焦って決めないことにしよう」
「その間またお前に生活費を負担させることになってしまうのだな」
「家事をしてくれるじゃないか。対価として充分だと思うなあ」
「そうか」
やっと、彼女が笑った。
「わたしは妻としてお前の生活を守らなければならないから、当然のことだが」
街では夫婦共働きが普通で家計も家事も分担するものだ、とは、言わなかった。また堂々巡りになってしまう。それはもっと遠い未来の話でいい。
そう思ってから、自分と彼女には未来があるのか、と考えてしまった。
この生活はいつまで続くのだろうか。
ジェニファーの言葉が脳内に響く。
――あなたはナヴァの何なの? 父親でもあるまいし、そうやってナヴァの行動を監督する理由は何?
もっと考える必要がありそうだ。
「とりあえず、今日はどうする?」
ナヴァに問い掛けられて、アレックスは肩をすくめ、「まずはランチかな」と苦笑した。
「少し早いけど、何か食べようか。何がいい? 今日はお疲れ様会だから、ナヴァの好きなものを食べよう」
ナヴァがあどけなささえ感じる笑顔で「ベリーののったパンケーキ」と答えた。
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