第4章 ザンザの場合

第1話 山のパガタに訪れた変革の時

 十二月に入ったある日のことだ。


 ナヴァはいつもアレックスが帰宅すると玄関まで走ってきて飛びついてくる。アレックスもそれにすっかり慣れて最近は当たり前のように受け止めていた。


 今日も彼女は玄関まで出てきた。

 だが飛びついてはこなかった。


「おかえり」

「なに、どうかした? 何かあった?」

「お前に見てほしいものがあってな」


 見ると、彼女は両手の親指と人差し指でつまむようにして一枚の紙を持っていた。


 紙を受け取る。


 どうやらリングノートのページを引きちぎったもののようだ。A5版だと思われるサイズの白い紙にグレーの罫線が引かれている。そしてその罫線を無視する形で数行にわたってボールペンで文字が書かれている。


「都立大学パガタ文化研究室?」


 ナヴァが頷く。


「何これ」

「公園で貰った」

「どういう経緯で?」

「今日の午前中のことなのだが――」


 彼女の話を総合すると、こうである。


 区立公園では、平日の午前中は毎日、仕事をリタイアしたパガタの老人たちが子供の頃に流行っていた遊びをしたり一族に伝わる昔話を語ったりパガタ料理を作ってきて交換して食べたりなどしている。


 その老人たちが、数日前、ナヴァに目をつけた。

 彼らは、以前民族衣装でこの付近をうろついていた、今も尻を覆うほど長い銀の髪のところどころを編み込んだ伝統的な髪形をしている、明らかに自然のパガタであるナヴァを、仲間に引き入れようとしたのである。

 曰く、彼らは年老いて自分のルーツを強く意識するようになった。街のパガタである孫たちに聞かせられるパガタの歴史や文化の話を聞きたい。


 これにナヴァは乗った。

 彼女は山のパガタの族長の娘で高位の巫女であることに誇りを持っている。彼らに山のパガタの伝承を語り聞かせることに使命感を覚えたのだ。


 利用者の多い大きくてきれいな公園の真ん中で、レジャーシートを敷いて持参した菓子を食べながら喋るだけだ。特に危ないことはない。


 ナヴァは毎日老人たちに菓子を与えられて孫のように可愛がられながら過ごしていた。


 今日はそのうちの一人の孫娘が仲間を連れてやって来た。大学でパガタの文化を研究しているという彼女たちは、自然のパガタの古き良き伝統を継承しているナヴァに話を聞きたいと言ってきたのだ。


 その流れで何となく、ナヴァは公園の噴水の傍で巫女の奉納舞を披露することになった。

 舞を見た彼女たちは感動して涙を流し、もっといろいろなことをインタビューさせてほしいから、自分たちの研究室に来てほしい、と言い出した。


「わたしの舞を見て、わたしが特殊なパガタなのだと気づいたようだ。山のパガタは珍しいし、わたしは巫女だからなおのこと特別だ」

「ナヴァの舞を見て他の自然のパガタとは違うって気づいたということは、本当に熱心に研究していそうだね」


 アレックスはその舞を見たことはなかった。興味が湧いたが、見せてもらうとしたら、いつどこでどうやって、と思うと簡単には口に出せなかった。公園で大勢の前で披露したのならさほど特別なことではないのだろうが、家の中では難しそうである。


「山のパガタってそんなに珍しいんだ」


 普段は、自然のパガタ、とひとくくりにしてしまうが、自然のパガタにもいくつかの部族がいる。

 一番有名なのは海のパガタで、海岸線の居留地で漁をして暮らしている。それから創作作品によく取り上げられて最近は映画にもなった西部の平原に住む草原のパガタ、この近辺で言うと大きな川の岸辺にいる川のパガタなどが存在する。


 言われてみれば、山のパガタの話はあまり聞いたことがなかった。

 平原の中央にあるパガタのパワースポットの火山に住んでいて、閉鎖的で神秘的な生活をしている、という情報は広く一般に知られている。

 だが、火山そのもののほかに特別な施設もなく、山のパガタ出身者という有名人もおらず、謎のヴェールに包まれている。

 一種のオカルト的な存在でもあり、アレックスも最初は実在するのかと思ったものだ。


「数が少ないからな。山を守る務めがあるし、山のじじばばは街との交流を嫌っている」


 キッチンで夕飯の支度を始めつつ、ナヴァが語る。


「何せ山は精霊王の住む地で、すべてのパガタの生まれ故郷だ。わたしたちはパガタの代表者、すべてのパガタを統べる者として、高貴な存在でいなければならなかった。だからあまり一般人とは交わらない。メジャーはもちろん、他のパガタとも、だ」


 ナヴァが電子レンジに入れたものが温まり、チン、という音がした。アレックスはそれを取り出してトレーに乗せ、リビングの方へ運んだ。


「といっても最近はそれでは成り立たないという考えが広まりつつある。頭の固い、山を下りてはならないと言い張るじじばばどもと、山を開かれたものにしたい、他のパガタと連帯するべきだと考えるわたしたち若い衆とで、それなりの喧嘩をしていた」

「そりゃ大変だ」

「わたしの両親は、わたしたち兄弟の時代は街との交流が始まるものと考えて、わたしたちを学校に行かせ、英語を学ばせた。わたしたちは英語が話せるが、祖母の代はパガタ語しか話せない」

「山のパガタにも変革の時が訪れたってことだね」

「まあ、そんな感じだ。とにかく、いろいろある」


 二人でテーブルに向かい、フォークを手に取る。


「じゃあ、ナヴァは街との交流を考えて山を下りてきたってこと?」


 問い掛けると、彼女は「うーん」と唸った。


「そうとも言える」

「どうとも言えるって?」

「山の秘密を街の人間に明かすのは気が引ける」

「ここまで喋っておいてそんな」


 話題を変えたかったのか、彼女は皿をフォークの先端で突きながら力強く「とにかく」と言った。


「わたしは街の人間が山のパガタのことを知りたいのならば語る心づもりがある。だからこの誘いを受けようかと思う。だがお前はどう思う?」


 アレックスはあっさり「いいんじゃないかな」と頷いた。


「都立大学は公的機関だからね。後で検索して確認しようと思うけど、たぶん実在の研究室だと思う。民間の施設に呼び出されるのは詐欺とかが怖いから反対するよ。でも、都立大学は信頼できると思うなあ」

「そうか」

「平日の昼間は特にすることないんでしょう? なんなら大学に潜り込んで学生のふりをしていろいろしてみるのもいい経験なんじゃない?」


 ナヴァが頷く。


「そう、仕事がないからな。わたしはひまなのだ」


 それはちょっと胸が痛むが、その時間を潰すあてを見つけたのはいいことだ。しかも彼女の巫女としてのキャリアを生かせる。


「ナヴァは自由なんだよ。何をしてもいい。ただ、ジェーンみたいな悪い奴もいるから、遠出をする時や何かの契約をする時は相談してほしいな。出掛ける前にスマホで一言どこに行くか連絡してくれる?」

「分かった」




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