第5話 同情から安請負をしがち
区役所から自宅までは徒歩で二十分少々だ。
途中に公園がある。この辺りが宅地として開発された時の都市計画の一環で作られたらしい、そこそこ大きくて有名な公園だ。道路の東西にまたがっていて、歩道を行く時は必ず中を通過するようになっていた。
平日の午後だが、乳幼児のいる家族連れが歩いている。遠くに見えるアスレチックの遊具には、三歳前後と思われる子供三、四人ほどが代わる代わる登って遊んでいた。
ナヴァがその子供たちを眺めて「いいな」と呟いた。
「わたしも早く子供が欲しい。あのくらいの子供はきっと可愛いだろう。毎日張り合いがあるだろうな」
まだ二十歳のナヴァが何を言っているのだろう。メジャー女性の平均初産年齢は確か三十手前くらいだ。
「居留地に帰って地元の男と結婚して子供を作れば?」
アレックスがそう漏らすと、ナヴァが駆け寄ってきて「何を言っているのだ」と口を尖らせた。
「わたしはお前の子を身ごもるまで帰らないぞ」
「だから作らないってば」
アレックスの腕に腕を絡ませる。距離が近い。ナヴァの胸が、控えめな大きさであるにもかかわらずその柔らかさを感じられるくらい、強く押し付けられる。彼女の頭を押さえて「離れなさい」と言ったが聞かない。
「お前は子がなくて寂しくないのか?」
「特には。今は仕事が面白いし、三十までは独身でもいいかなって」
「子供を作らなくては先祖の霊に申し訳が立たないと思わないのか」
「先祖の霊なんて意識したことなかったな、うちはプロテスタントでパガタの精霊信仰はぴんと来ないし。田舎の両親も特に何も言わないし」
「親不孝だ。妻のわたしがお前の親の世話をする」
「うちの親もまだ五十代だからね?」
「五十歳を超えたら老人だ」
「失礼すぎる」
二の腕に頬をすり寄せつつ、「お前に似た可愛い子が欲しい」と言う。アレックスは周囲の人の視線を気にしながら首を横に振った。
「それより、ナヴァ?」
「何だ」
「ナヴァは中学校には行かなかったの?」
問い掛けると、彼女は何のためらいもなく肯定した。
「今時英語の読み書きができないと不便だろうと母が小学校に行かせてくれたが、中学はもう必要ないと判断した」
だがこの国では中学までは義務教育だ。中学を卒業した後も高校なり専門学校なりに通うのが普通である。アレックスは大学も出ているので、今のナヴァくらいの年の頃は毎日勉強とバスケットボールを交互にやっていた。
「お母さん、中学にも行けとは言わなかったの?」
「うちでは祖母が絶対だからな」
そういえば、先ほど区役所の職員に対して、祖母が学校教育に反対した、と言っていた。それは教育の義務の放棄であり、児童虐待で告発される可能性のあることだ。
しかしナヴァはあっけらかんとしている。
「わたし自身早く巫女になりたかったので修行の道に入れるならよいと思った。伯母――母の姉で祖母からすると長女だが、彼女がとても優秀な巫女で、私は彼女のようになりたかったのだ」
「巫女って何をする人?」
「そんなことも知らないのか! 街のパガタはだめだな」
むっとして「さっきも言ったけどうちはプロテスタントだからね」と言う。パガタの精霊信仰は遠い昔の話で、観光地で見るもので、絵本の中に書かれるものだ。興味がないわけではなかったが、実践したり、ましてや入信したりということは考えられなかった。
「毎日火を焚く。聖なる火を絶やさないよう毎朝新しい薪をくべて各家に配る」
「それはロマンチックだね」
「それから祭壇に生け贄を捧げる」
アレックスは顔をしかめた。
「生け贄って何?」
「主に鳥だ。本当は鹿がいいのだが、鹿はそんなに頻繁に狩れない」
「狩るの? 弓矢で獲るの?」
「そうだ。何かおかしいか?」
昨日台所で野鳥の羽根をむしっていたのを思い出した。
「今は銃で狩りをするパガタも多いが、祭壇に捧げるものに火薬を使うのはよくないだろう?」
「俺が同意するの前提の言い方やめてくれ」
「そして病人が出た時には祈祷をする」
頭を殴られたような衝撃だった。
「いや、医者にかかりなよ……! 死ぬよ?」
「死ぬのは巫女の力が弱いからだ。衰弱した病人の魂を呼び戻せなかったわけだからな。今のところ私の代でそういうことはない、私は優秀な巫女なのだ」
何百年も前の話だと思っていた。科学の発展したこの時代でまだそんなことをしている現役の人間がいるとは思わなかった。それもこんなに身近に――とまで思ってからナヴァは身近でも何でもないあかの他人であることを思い出した。
「十二の時から鍛錬した。実際に巫女として活動を始めたのは伯母が死んだ五年前からだが」
その年頃は、メジャーや街のパガタの女の子なら中学生か高校生だ。
「……街でのびのび暮らしたら?」
うっかり言ってしまった。
ナヴァが大きな瞳を輝かせて「お前と街で暮らすのか?」と言ってきた。
ここで逃げるのも可哀想な気がして、アレックスは、大きな溜息をついた。
「とりあえず、IDナンバーのカードができるまでね……」
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