第6話 小さな不正も立派な不正なので

 天井にある蛍光灯の明かりは消してあり、部屋の正面のスクリーンだけが光を放っている。


「――以上です。何かご質問があればお受けします」


 レーザーポインターの赤い点を消しつつ、アレックスは言った。


 見渡せば部屋の中には会社の取締役たちがずらりと並んでいる。

 彼ら彼女らの表情は真剣そのもので、ともすれば怒っているようにも見える。スクリーンに映し出された決算書の表の中の数字を睨んでいるような気がするのだ。杞憂だといい。


 アレックスは破裂しそうな心臓を想像の中だけで押さえつけながら澄ました顔をしていた。今年度に入ってから四半期ごとに役員会で喋らされているが、三回目の今になっても慣れない。怖くて足がすくんでしまいそうになる。自分は冷静なふりができているのだろうか。


 部屋の後方を見やる。アシュリーが部屋の後ろの壁際に折りたたみ椅子を持ってきて座っている。

 目が合うと、彼女は、右手を持ち上げ、人差し指と親指で丸を作った。OKのサインだ。

 ほっと胸を撫で下ろした。


「では、アレックス」


 男の低い声で名を呼ばれた。

 心臓が爆発するかと思った。

 声のした方を見ると、経理部の部長、つまりCFO最高財務責任者が右手を挙げていた。


「ひとつ君に聞きたいことがある」

「はい、何でしょう」


 声が裏返っていなくてよかった。緊張でどうにかなりそうなのが伝わらないといい。アレックスは本当は人前で喋るのが苦手なのだ。まして相手は取締役、上司の上司の上司である。


 CFOが言った。


「風の噂で聞いたのだが、君、先週営業本部で営業企画課の課長と喧嘩したそうだな」


 アレックスは一瞬頭が真っ白になった。こんな質問は想定していなかった。それと決算書に何の関係があるのかと質問に質問で返しそうになってしまった。


「本当かね?」


 遠くでアシュリーが顔を伏せている。肩が小刻みに震えている。おそらく笑っているのだろう。助け船は期待できなさそうだ。


「半分嘘で半分本当です。喧嘩というほどのものではないんです、ただ話し合わなければならないことがあって」

「相当険悪なムードだったと聞いた。これでまた我らが経理部と営業部の仲がこじれたようだ。もともと仲良しではなかったが」


 目が泳いでしまった。平気なふりの演技が下手すぎる。


「具体的に何について話し合っていたのか聞かせていただけるかな」


 CFOの鉄面皮は崩れない。特別怒っている様子でもないが、怖い。


「あの……、第三四半期の営業成績の報奨金についてだったんですけど……、話に聞いていたより使っていたようだったので」


 しどろもどろで答えた。


 CFOはあくまで冷静だ。


「もっと具体的に聞きたい」


 唾を飲み、覚悟を決めて言う。


「成績優秀者トップスリーに報奨金を二重に払っていたようです。三百ドル、二百ドル、百ドルのところを、六百ドル、四百ドル、二百ドル振り込んでいました」


 CFOの後ろで、営業部の部長と総務部の部長が密かに耳打ちし合った。


「二回に分けて。営業企画課の事務担当のミスで、一回振り込んだことを忘れたんだか連絡が漏れていたんだか、もう一回支払ったようです。しかも一回目は給料扱いで二回目は福利厚生費扱いで」

「悲しい事故だ。ダブルチェックが機能していないようだ」

「そこまではよかったんです、返金してもらって振替伝票を起こせばいいんですから。誰しもミスはあるものですしね」

「それで?」

「営業企画課としては返金したくないんだそうです。最初から六百ドル、四百ドル、二百ドルでよかったのではないかと。会社の売上に貢献した営業部のメンバーに対して金を返せとは言えないと」

「ふむ」


 自らのこめかみを押さえて、「なるほど」と呟く。


「話し合いの結果、どうなったかね」

「一ドルを笑う者は一ドルに泣くぞと言って返金させるよう要請した結果納得していただきました。が、まだ対応していただけていないようなので、私の方で先手を打って従業員立替金で伝票を起こして営業企画課にツケとして計上してあります」


 そこまで説明すると、CFOの表情が変わった。

 破顔一笑した。


「すみません、やはり先方の課長の言うとおり千二百ドルでこういうことをするのは紳士的ではないでしょうか?」


 縮こまって問い掛けると、彼は「逆だアレックス」と答えた。


「これも立派な不正だ。君が正しい。君の言うとおり、一ドルを笑う者は一ドルに泣くのだ」


 やっと安堵して息を吐いた。


「謎の従業員立替金の正体が知りたかったのだ。そういう経緯ならば仕方がない。しつこく取り立てて年度末決算までに解決するように」

「はい!」


 そして首だけで後ろを振り返り、後ろの席にいる営業部の部長に何かを囁く。営業部の部長が申し訳なさそうな顔をする。


「アシュリー」


 名を呼ばれて、アシュリーが後ろの方で「はい」と答えた。


「彼のこのたびの活躍について何らかの形で報いたい。後で私とミーティングを」

「承知しました」


 今度は舞い上がりそうになるのを抑えた。ボーナスが増えるのか、昇給か。

 当たり前の職務をこなしただけの、本当に小さなことだと思っていた。しかも営業企画課には煙たがられてどうしようかとずっと不安だった。

 しかしとりあえずCFOのおぼえはめでたく、めでたしめでたしになりそうだ。


「以上ですか? これで私の発表を終わらせていただいてもよろしいですか?」


 誰も何も言わなかったので、アレックスは「では失礼します」と言って、涼しい顔で壁際に移動した。


 代わりに出てきたのはレベッカだ。


 彼女は硬い表情をしていた。普段オフィスで見せる天使のように明るく可愛い笑顔を封印して、うつむいて斜め下を見ていた。彼女の場合役員会では毎回こんな感じだ。彼女もアレックス同様今年からこの仕事をしているが、彼女はアレックスと違ってうまく乗り切れたためしがない。


 スクリーンに新しい表が映る。レベッカが話し始める。声が震えている。心配で見ていられない気持ちだったが、とりあえず、アレックスはアシュリーの隣に座った。




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