第7話 パガタの野蛮人

 経理部のフロアの南西の角には、飲み物の自動販売機が三台横に並ぶ休憩スペースがある。四人掛けの丸いテーブルが二つ置かれていて、たまに小さなミーティングルームとして使われることもある空間だ。


 今そこにいるのはレベッカ一人だった。


 彼女は西の窓に沈む夕日に背を向けていた。椅子の上で膝を抱え、うつむいていた。前髪で隠れて表情は見えない。しかしひどく落ち込んでいるのは分かる。


 あの後の彼女の発表はさんざんだった。資料の誤字脱字から始まり、計算ミスが見つかり、情報システム部の言いなりになった結果ソフトウェア関連資産に謎の計上をして、挙句の果てにはCFOに叱責されてその場で涙を見せたのであった。


 アシュリーの顔に泥を塗ってしまった。それもこれも仕事の遅いレベッカが期日までにアシュリーのチェックに辿り着かなかったせいだが、それをやらせるのもマネージメントだと言うCFOがここでは大正義だ。結局レベッカはアシュリーに謝罪させたのだ。


 レベッカの評価は暴落するだろう。


 最後、アシュリーが溜息をついていたのが忘れられない。


 ――結局固定資産まで全部アレックスがやっていたようなものだったということね。


 針のむしろである。


 何と声を掛けたらいいのか分からない。

 無言で忍び寄った。


 レベッカの後ろにあるカップコーヒーの自販機の前に立った。

 カード読み取り機に自分の社員証をかざす。認証された音がした。


 レベッカが顔を上げた。目元が腫れている。


 アレックスは黙ってホットカフェオレのボタンを押した。ミルクと砂糖も追加する。彼女はとにかく甘いものが好きで、いつもこのメニューを選んでいた。女の子らしい、可愛らしい好みだった。

 完成すると、取り出して、テーブルの上、レベッカの目の前に置いた。


「どうぞ」

「なに……?」

「温かいものを飲んだら少しは休まるから」


 安心させたくて微笑んでみせた。


「これからのことはゆっくり考えよう。今はまず、お疲れ様」


 そして自分はそれにどこまでも付き合うつもりだった。彼女の力になりたかった。彼女のためなら力を惜しまない。役員会では火に油を注ぎかねないので沈黙を保っていたが、できることなら彼女を守ってあげたかった。


 彼女も頼ってきてくれると思っていた。


 この時までは、だ。


 彼女はその白く華奢な手を思い切り横に振った。

 テーブルの上のカフェオレが叩き落とされた。アレックスのスラックスの腿に中身がかかった。ホットだ。熱い。思わず「あっつ」と呟いたがこの場で脱ぐわけにもいかない。


「今気分がいいでしょ」


 声が震えている。泣きそう、というよりは、怒っているように見えた。目を怒らせ、アレックスを睨んでいる。


「あなたの人生こんなことそうそうないでしょうから。さぞかしいい気分なんでしょうね」

「どういうこと? 俺はレベッカのことが心配なだけだけど」

「ずいぶん余裕なのね!」


 次の時彼女の口から飛び出した言葉に、アレックスは、目を、丸くした。


「パガタの男のくせにメジャーの女の子にマウントを取るなんて」


 一瞬何を言われているのか分からなかった。


「わたしを引きずり下ろしたところであなたがパガタであることには変わりがないんだからね。どうせここまでよ。どれだけわたしより優秀アピールをしても出世できないんだから悪あがきはよしなさいよ!」

「レベッカ?」

「だいたい前々から気持ちが悪いと思っていたのよ」


 彼女はマシンガンのように話し続けた。


「パガタの野蛮人のくせにメジャーのわたしに馴れ馴れしくして! わたしは最初の移民の家系なのよ、未開の蛮族とは仲良くやれないの!」

「そう……」

「大嫌い! 黒い肌も白い髪も何もかも気持ち悪いわ、同じオフィスにいるってだけで虫唾が走る!」


 アレックスには何も言えなかった。


 ここまであからさまに差別的な暴言を受けたのは初めてだ。


 今まで二十七年間街のパガタとして生きてきたのだ。まったく嫌な思いをしたことはない、というわけではない。両親も祖父母も全員パガタで、容姿は完全にパガタであり、自分がメジャーとは違う見た目をしていることは分かっていた。


 しかし、アレックスは街のパガタが多い町に生まれ育った。小学校、中学校とパガタの方が圧倒的多数の学校で義務教育を終えたのだ。そして高校にもなると周りの人権意識が高まってきて直接そういうことを口に出す人間は激減していた。大学はなおさらだ。


 街を歩いていて知らない人間に心無い言葉を投げつけられた経験はある。

 だが、長い付き合いのある同僚に、というのは、微塵も予期していなかった。


「あなた知ってる?」


 レベッカが続ける。


「パガタを雇うと国から補助金が出るのよ。この会社は補助金目当てにあなたを入れたの」


 初めて知る話だった。


「この国にある企業は入社希望応募者が複数いた時レベルが同じくらいならパガタの方を採用するの。そういう法律だからよ。先住民差別解消法にあなたは守られているってワケ」


 絶句した。


「あなたにわたしより優位に立てるだけの実力があるわけじゃないの。国の施策なの。国がパガタの正規雇用を増やしたいの。分かる? だから身の程をわきまえて――」

「そこまで」


 急に第三者の声が割って入ってきた。

 振り向くと、そこにアシュリーが立っていた。


 彼女は左手に銀色の小さな箱のようなものを持っていた。アレックスとレベッカが彼女の方を向くと、その小さな機器についているボタンを押した。

 おそらくボイスレコーダーだ。

 つまり彼女はレベッカの発言を記録していたのだ。


「重大なモラルハラスメントね、レベッカ」


 アシュリーの声が冷たく響く。


 レベッカが蒼白い顔をしてうつむいた。


「人権侵害はコンプライアンス違反だわ。それなりのペナルティが課されるから、覚えておいて」

「わたしが悪いんですか」


 哀れっぽく声を震わせて「あなただってそう思うでしょう?」と言う。


「アシュリーだって思うことはあるでしょう? 金髪碧眼のあなたなら」

「小学校からやり直した方がよさそうね」

「パガタをひいきするのね。今に痛い目を見るわ。きっとからだを狙ってくるわよ、パガタは子だくさんなの」

「不愉快だわ。今のは裁判所に呼び出すことも可能な発言よ」


 訴えられることを恐れたのか、レベッカはそこで黙った。拳を握り締め、「クソ」と彼女らしからぬ汚い言葉を吐いて、うつむいた。


「移動しましょう、アレックス。少し話を」


 それまで呆然としていたアレックスは、アシュリーにそう言われて、我に返った。オフィスの奥、本物の会議室や応接室が並ぶ辺りに向かって歩き出した。




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