第2話 アレックスとしては大事件だが
翌朝、ひととおりの家事を済ませてすぐ午前中のうちにナヴァと出掛けた。
ナヴァは今日も民族衣装を着ている。革のベストとスカートをまとい、毛皮のショールのようなものを羽織っている。塗料が切れたらしく最初に会った時のような化粧はしていないが、服装だけでも充分に目立った。
区役所に行った際に彼女が注目を浴びてしまうことは理解していたつもりだったが、スーパーマーケットの中という民間施設の閉鎖空間に入ると、彼女の異様さがよりいっそう際立った。
すれ違う人たちが何かを囁き合う。ひとによっては指をさす者もいる。
挙句の果てには、ひとりの年配の女性には「写真を撮ってもいいですか」と言われた。
「よくあることだ」
ナヴァは冷静だ。スーパーの入り口、店名のロゴを背景にして女性と二人記念撮影をするはめになったが、彼女は不満は言わなかった。
「自然のパガタが珍しいのは悲しいことだが。昔はこの辺りの土地にも大勢いただろうにな」
「メジャーが入植する前は、ね。この辺りが自然のパガタの集落だったのはもう二百年くらい前の話だよ」
「先祖の話が口伝えで残っているぞ。巫女である伯母からパガタの歴史をたくさん教わったのだ」
食材のたくさん詰まったエコバッグを両手にぶら下げて歩く。スーパーから自宅までの間にある公園の真ん中を通過する。広葉樹の並木道はいつの間にか黄色くなっていた。
「嫌じゃない?」
「仕方があるまい、生き残った自然のパガタの務めだ」
彼女はつんと上を向いて、神妙な顔をしてそう語った。
「こうして自然のパガタの生き方を街の人間に知らしめるのもきっとわたしの宿命なのだろう。わたしは選ばれた巫女だからな。ひとに教え導くさだめがあるのだ」
どこまで真剣でどこからが冗談なのか分からず、アレックスは笑うことも頷くこともできなかった。ナヴァのことだからきっと真面目に考えているのだろうが、二十歳の彼女がすべての自然のパガタの代表者として振る舞うのが少し面白い。しかし茶化してはいけない、と思って前を向く。
彼女の言うとおりではある。二百年前なら、この辺りにも伝統的なパガタの生活をしている人々がたくさんいたはずだ。はるかかなた大昔のことだが、メジャーが奴隷化して虐待しなかったら、あるいはパガタがメジャー化を選ばなかったら、今もナヴァと似たような恰好の人々が歩いていたかもしれない。
川で魚を狩り、森で鳥を狩り、野原で動物を狩っていたかもしれない。
今は、エコバッグにいっぱいの精肉と野菜と冷凍食品を詰めている。
ノスタルジックでセンチメンタルだ。秋だからだろうか。
「早く帰って片づけようか」
だが、その時だった。
「アレックス?」
後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声だった。
振り向いた。
そこにアシュリーが立っていた。
今日の彼女はシルバーとピンクのランニングウェアを着ていた。耳にはイヤホンをつけており、手にはサングラスを持っている。
左手でサングラスを持ったまま、右手だけで器用に両耳のイヤホンを外した。
「あなたどうしたの?」
突然のことで驚いたが、そんなに不自然なことでもなかった。ここは会社から地下鉄で二十分のベッドタウンの駅の近くであり、この辺りでは最大級の公立公園である。同じ会社の人間も近所に結構住んでいて、この公園でばったり出くわしたことは一度や二度ではなかった。アシュリーの自宅の最寄り駅もここから二駅だ。休日に長距離走ろうと思ったら辿り着くだろう。社内ではランニングが大流行しており、彼女も市民マラソンに参加する意欲を見せている。
アレックスは何の気なしに「おはようございます」と応じた。
「天気がいいので絶好のランニング日和ですね」
「そんなことはいいのよ」
彼女は困惑した顔でアレックスの隣を見ていた。
彼女の視線の先を辿ってはっとした。
ナヴァだ。ナヴァがいる。
ナヴァは大きな紫の瞳を真ん丸にしてアシュリーとアレックスを交互に見ていた。
「知り合いか?」
ナヴァが言うと、アシュリーも「私も聞きたいわ」と言った。
アレックスは動揺した。
関係を変に勘繰られたくなくて、会社の人間にはナヴァの話をまったくしていなかったのだ。
それが、よりにもよって課長のアシュリーに知られてしまった。
上司というだけではない。彼女はアレックスが知る中でもっとも社会規範に厳格な人間だ。
自然のパガタの女の子を家に上げている。親族でも婚約者でもないのに、一緒に暮らしている。
まずい。
アレックスが言葉に悩んでいるうちに、ナヴァが口を開いた。
「わたしはナヴァだ。山のパガタの族長の娘で、山では巫女をしていた」
想像とは違って、冷静な、落ち着いた自己紹介だった。
「ある事情で山にいられなくなって里に出てきた。寝泊まりする場所がなくて野宿していたところをアレックスが善意でかくまってくれたのだ」
アシュリーの方が面食らったようだ。彼女はしばし呆然とした目でナヴァを見つめていたが、ややしてから、「そう」と頷いた。
「私はアシュリー。アシュリー・キャンベルよ。アレックスとは同じ会社に所属していて、私が上司なの」
「アシュリーは偉いのか」
「一緒に働く仲間よ。年長者ではあるけれど、主従関係のようなものではないわ」
ナヴァが「ふむ」と頷く。
「夫の仕事仲間で年長者ならわたしも敬意を払わねばなるまい」
思わず「わーっ」と叫んでしまった。
「どういうこと?」
アシュリーの表情が険しい。
「詳しく聞かせてくれる?」
逃げられそうになかった。アレックスは「はい」と頷き、アシュリーについていくほかなかった。
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