第2章 アシュリーの場合

第1話 ナヴァの日常生活

 ナヴァがアレックスの家で居候を始めてから、かれこれ二週間が過ぎた。


 なんだかんだ言って馴染んでしまったのが恐ろしい。彼女は驚くほど自然にアレックスの生活の中に居座った。


 帰宅してすぐ子作りをせがんでくるのだけは厄介だが、逆に言えばこの半月でそれ以外の問題はなくなってしまったということだ。それもなんとか言いくるめて毎日逃れているので、結局つつがなく一緒に過ごしている。アレックスが学生時代シェアハウスで暮らしていたこともあるかもしれない。もともと他人が同じ部屋の中にいることにそれほどの抵抗感がないのだ。


 平日の昼間彼女は家にひとりきりになる。けれど勝手にアレックスの私物をひっくり返すことはなく、テレビを見たり、本を読んだりしているらしい。また、毎日三、四時間かけて散歩しているらしく、この辺りの地理はおおよそ把握したという。


 その上彼女は家事までやってくれる。

 最初のうちこそアレックスは彼女に家内労働をさせることに抵抗があった。歴史の授業で学んだ二百年前のメジャーによるパガタの奴隷化を連想したからだ。無賃労働を強いるのは人権侵害である。

 ただ、彼女もこの家で生活しているのに変わりはないので、協力してもらうのは間違いではないと思った。家事の分担は同居の基本だ。洗濯機やガスコンロの使い方は教えた。

 結果彼女は何でもやってしまうようになった。アレックスが仕事でいない間に全部片づけてしまうのだ。

 曰く、「せっかく仕事から帰ってきたのにお前が家事で忙しいと寂しいから」だそうだ。


「これが専業主婦というやつだろう!」

「ポジティブだね」

「あとは夜の夫婦生活があれば百点満点だ!」

「俺たち夫婦でも何でもないからね、一時保護で、シェルター代わりに使ってもらっているんであって、ナヴァのIDナンバーカードができるまでの期間限定の同居生活だからね」


 口ではそう言いながらも、正直なところ、この生活はアレックスにとって楽だ。はたしてどうしたものか。自分が堕落してしまう気がする。早く彼女を追い出して真人間としての生活を取り戻さないといけない。


 ここ数日、毎晩二十時頃から二人でパソコンをテレビにつないで動画配信サイトの映画を見ている。彼女がアクションが好きなので、昨日は中国の武侠映画を見た。これが一緒になって夢中に見てしまうものだからまずい。


「きっと月末にはナンバーカードが届くはずだからね。区役所まで受け取りに行くのは一緒に行ってあげるから、その後は区役所で生活支援金を受け取ってシェルターに行くなり山に帰るなりしようね」


 そう言うと、彼女は口を尖らせて「それまでに仕込まねばならない」と呟いた。


「何をだ」

「分かっているくせに!」


 とはいえまだ半月近くあるのには違いない。

 その間彼女にどうやって時間を潰してもらうか、と考えた結果、アレックスは彼女に買い物を覚えさせることにした。


 今まで彼女に金銭を持たせたことはなかった。貨幣経済に馴染みがないらしいので、金銭を使わせるのは不安だったのだ。食事はアレックスが食材をまとめ買いするなり仕事の後に出来合いのものを買ってくるなりすれば間に合ったし、彼女も物品を欲しがったことはなかったため、これで生活が成立していたのである。


 だが、彼女は料理が好きだ。街中での狩りを禁じたため、またガスコンロの使い方を覚えたため、あくまで街の食材でパガタ料理を作るようになった。この調子で彼女に食材の買い出しもやらせてみて一から食事の支度をしてもらうのはどうか。


 ともすれば少し卑怯な話で良心の呵責はあるが、話してみると彼女は乗り気である。


「じゃあ、明日は二人でスーパーまで行こうか」

「すーぱーとは?」

「食材や日用品を売っている店だよ。屋内型の市場というか」

「山の麓にある商店なら行ったことがあるぞ。学校の課外授業で買い物をした」

「小学校だよね? それって十年くらい前じゃない?」


 個人商店だろうか。脳裏に昔ながらのおばあちゃんの店が浮かぶ。


「レジって使ったことある?」

「何だ、それは」

「一緒に買い物に行こうね!」


 今は金曜日の夜だ。明日は土曜日、仕事は休みである。二人で出掛けるのも悪くない。といっても行き先は駅前のスーパーなので片道徒歩二十分程度だが、思えば二人で外出するのは区役所の先住民生活支援課以来だった。


 夜、「おやすみ」を言って、ナヴァは寝室に入り、アレックスはリビングのソファの上に寝転がる。


 電気を消す直前、サイズの大きなアレックスのスウェットを着た彼女の華奢な背中を見送る。


 半月も一人で行動していたのか、と思うと罪悪感が込み上げてくる。もっと連れて歩いてやった方がいいのかもしれない――とまで思ってから、彼女はもう二十歳であり、血縁でも、ましてや夫でもない自分が彼女の保護者として彼女の生活に責任を持つ必要はないのではないかと考える。


 自分は彼女に何も強要していない。すべては彼女の自由意思だ。彼女が望めば不便のない生活を提供する意思もあったし、なんなら出ていってくれて構わないのである。


 冷たいだろうか。


 どうするのが双方にとってベストなのだろうか。


 アレックスは目を閉じた。





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