第3話 田舎のお母さん襲来
スーザンが立ち上がった。
「あんたって子は放っておいたら何にも連絡してこないんだから! うんともすんとも言わない、こんなに心配してやってるのに! 挙句の果てには部屋に女の子住まわせておきながら親にぜんぜん報告しないなんて! どうして息子っていうのはこんなに手がかかるんだろ!」
マシンガンのような喋り方だ。
身長はアレックスより二十センチ以上低いはずだが、とてつもなく強大に見えた。横幅があるから、だけではないだろう。オーラが威圧的なのである。
「どうして母さんが急にうちに……」
ようやく一言を捻り出すと、スーザンはさらに続けた。
「急じゃないよ、クリスマスの時さんざんあんたが忙しいならこっちから行こうかって言ったじゃないか」
はっとした。確かにそんなメッセージも来ていた。ナヴァにかまけていて、親に対しては適当にやめてほしいとだけ返して特にフォローしなかったのだ。ナヴァのいるところで母親と電話で喋るのが恥ずかしかったのもある。
「今朝だって何の返信もよこさない」
慌ててコートのポケットからスマートフォンを取り出した。急いでタップし、確認する。未受信のメッセージが一通あった。いまさら開いた。
『今日、今からそっちに行きます』
「なんで俺の返信を待ってくれなかったんだよ!」
「決算だから気がつかないなと思ったんだよ!」
さすが、分かっている。
「なに動揺してるの?」
スーザンがねめつけるように見てくる。
「この上まだ親に見られて困るもの隠してるわけじゃないでしょうね?」
ちらりと、スーザンの後方、ナヴァの顔を見た。
ナヴァはきょとんとした顔をしてマグカップで何かを飲んでいた。平和そうな様子だ。
「いや、もう、彼女のこと以上にまずい話題なんてないけど……、でも彼女の存在がすでにクリティカルだよね」
「分かってんならもっと早く言いなさい!」
まさかこんな強硬手段に出るとは思っていなかった。昔から活発で少々押しつけがましいところがあったが、この年になってもこういう行動に出られるとは予想していなかったのだ。
「あのね母さん、俺もう二十七だよ? 今年で二十八だよ。そんな大きい息子のプライバシーを侵害して何にも思わないの?」
スーザンは負けない。
「クリスマスだけはだめって約束だったでしょ。他は何でも自由にさせてやっているのに、正当な理由なく、きちんとした釈明もなく、クリスマスを無視したのはあんたでしょ。何度警察に連絡してやろうと思ったことか」
「過保護すぎる」
「年明けには決算があってまた帰宅が遅くなるんだろうから家事をしておいてやろうと思ったの。毎年荒れ果ててるって言ってたじゃない」
「そんなことのために家の鍵を渡したわけじゃない」
「じゃあ何のため?」
問われてから何だったのだろうと思って首を傾げた。親にはそうするものだという固定観念があったようだ。特に理由はない。
「別にいいだろう」
言ったのはナヴァだ。
「生きていて、特別な困難がないのなら、親子は会って話をした方がいい。親は祖先であり、祖先の霊をないがしろにするのは、パガタとしてあってはならない」
パガタの精霊信仰だけでなく、おそらく古今東西いろんな宗教がそう言っていることだろう。加えて彼女も無条件で親孝行すべきだとは言っていない。アレックスにはそこまで親との面会を拒否する理由はなかった。親が嫌いなわけではないのだ。
クリスマスは毎年スーザンの手料理を食べていた。それを人生で二十六回当たり前のものとして享受してきた。
「むしろ、なぜわたしに話さなかった? そういう事情があるのならばわたしは地元に帰れと言ったぞ」
ナヴァが冷静に問い掛けてくるので、アレックスは黙った。
代わってスーザンが答えた。
「この子昔からそう。女の子と会っているのを親に知られるのが恥ずかしいのよ。ばればれだけど。高校生の時からずっとそうだから分かるわよ」
「やめて! 恥ずかしすぎる!」
スーザンが一歩迫ってくる。
「どうして内緒にするのよ。いい子じゃない。可愛い子。私ずっと娘が欲しかったのよ。ナヴァがお嫁さんに来てくれたらとっても嬉しいわ」
アレックスは溜息をついた。
「そういうことを言うからだよ。すぐ結婚するのかとか子供はどうするのかとか訊いてくるのが面倒臭いんだ。俺の人生なんだから干渉してこないでよ」
すると、後ろの方でナヴァが「えっ」と呟いた。
「結婚しないのか?」
慌てて「別問題だから!」と叫んだ。
「また改めて話をしよう! とりあえず今じゃないんだ」
今度はスーザンが「今じゃないならいつなのよ」と詰め寄ってくる。
最悪の展開だ。
ひとつ深呼吸をしてから、言った。
「もういいよ。母さんも満足したでしょ? ナヴァがいて、彼女が家事をしてくれるので、母さんは何もしなくていいんだ。だから帰って。勝手に俺の部屋に入らないでってもう二十年ぐらい言ってる。どうして分かってくれないんだ」
ナヴァが立ち上がった。
「親に向かってその言い草は何だ!」
スーザンが嬉しそうな猫撫で声で「ナヴァ!」と言う。
「いいではないか、わたしがスーザンといたい! スーザンからもっとお前が子供の頃の話を聞きたい」
「だから俺の子供の頃の話をされると恥ずかしいんだって」
「それにわたしはお前が仕事に行っている間孤独だ。家族がいるのならば一緒にいてほしい」
仕事のことを言われると反論できなかった。彼女の言うとおり、決算が終わらない限り彼女は放置しなければならないのだ。
「可愛いナヴァ! なんていい子なんでしょう」
スーザンはナヴァが気に入ったようだ。もともと女の子には甘いところがあったし、素直なナヴァは特にスーザンが好みそうなタイプだ。仲が悪いよりは良い方がいいに決まっているが、複雑な心境だった。
「スーザンはいつまでここにいる?」
ナヴァが訊ねた。スーザンが「そうねえ」と答える。
「とりあえず一週間くらいかな? せっかく上京したんだから美術館や都庁タワーに行きたいし、金曜日にザンザの舞台の千秋楽のチケット取っちゃった」
ちっとやそっとでは買えないはずの人気の舞台のチケットを取っている、ということは、だいぶ前からこっちに来ることを計画していたのではないだろうか。目眩がする。
「父さんはどうしてるの?」
「大丈夫よ、最近家に帰ってくるのが遅いからお互いがお互いを放置してるの。もういい年のおじさんなんだし適当にご飯食べるでしょ」
「帰ってくるのが遅いの? 何をしてるの?」
「ボランティアを始めたのよ。貧しい母子家庭の子に算数と理科を教えるボランティア。だから、自分も仕事が終わって、児童も学校が終わった後、つまり夕方から活動しているわけよ」
納得して頷いた。アレックスの父親は子供が好きで、前々からよく恵まれない子供への支援がどうたらこうたらと述べていた。
「物理的に、母さんがこの部屋に泊まるのは無理だよ。ベッドもソファも埋まってるし、寝袋がない」
「そう言うと思って、ここにナヴァがいることを知ってすぐ駅前のビジネスホテルの部屋を取ったわ。予約サイトを見たらたくさん空きがあったからスムーズに取れたわよ」
手配が早い。デキる女だ。そう言えば以前からインスタグラムなどをやっていると聞いた、いろんな情報に対して強いのかもしれない。すでに五十一歳のはずだが、そこは尊敬に値する。
「それにやっぱり若い二人の愛の巣に居座るのは気が引けるじゃない? そこまで気が利かない姑じゃないわ」
そういう物言いが恥ずかしいのだ。
アレックスは縮こまって、「そうしてください」と呟くように言った。
「じゃ、今夜はもうホテルに行くわね。明日の午前中のうちにまた来てナヴァと遊ぶから」
ナヴァが両手を握り締めガッツポーズをして「やったー」と言った。
「ちゃんと食べてとっとと寝なさいよ!」
ようやく出ていった。嵐は過ぎ去ったのだ。明日からも続くようだが、とりあえず今夜は解放された。
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