第4話 たとえば、俺とナヴァの子供ができたとして

 スーザンを追い出し、玄関の扉に鍵を閉めてリビングに戻った。


 ナヴァはテーブルに戻ってマグカップで何かを飲んでいた。


「何飲んでるの? コーヒー?」


 首を大きく横に振る。


「ホットミルクに蜂蜜を垂らしたものだ。スーザンが作ってくれた」


 幼い頃の記憶がよみがえってきた。

 夜、夕飯の後、両親が二人でのんびりコーヒーを飲んでいるのを見て、アレックスも飲みたいと訴えたことがある。しかしいざ飲ませてもらうと当時の自分には苦くて一杯飲み切ることができなかった。母は笑ってハニーミルクを作ってくれた。

 以後、実家では夜はハニーミルクが出てくる。


「温かくて甘い。とても好きだ」


 クリスマスマーケットで手に入れた赤いマグカップに、ハニーミルクを入れて飲む。

 胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。


 ナヴァの向かい、先ほどまでスーザンが座っていた席に座った。


「ごめんね、ナヴァ。突然でびっくりしたでしょ」


 ナヴァが頷く。


「とても驚いたが、会えてよかった。これから一緒に過ごせると思うと嬉しい」


 彼女のポジティブな反応に安堵して心が緩む。


「昔からエネルギーが有り余ってる人でね。もともと突発的に何かを始める人だけど、今回はまさか上京してくるとは思わなかったよ」

「お前が悪いのだ。クリスマスの時に誠実な対応をするべきだった。あるいは最初からわたしを保護したことを説明しておくべきだったのだ」


 ぐうの音も出ない。ナヴァが正しい。


「子供が一人しかいないのでは心配するだろう。その子が死んでしまったらおしまいだ。様子を見に来て当然だ」

「おしまいって?」

「家が断絶する」


 彼女が街に出てきた理由を思い出した。彼女は山のパガタの族長の血筋を残すために子供を産むと言ってやって来たのだ。そういう価値観で育った人間にとってみれば、家系の維持は何よりものおおごとだろう。


「いや、うちの親が気にしているのはそういうことじゃないと思うけど。俺が進学して家を出ることを決めた時まったく止めなかったし、就職の時も何も言わなかった。実家の家と土地は父親が買ったもので先祖代々というものでもないから、将来的には売るんじゃないかな? 俺は帰る気はなくて、親も継いでほしいとは言わない」

「墓は? 墓はあるだろう。先祖の霊を供養しなければならない」

「祖父母はみんな教会の共同墓地だから、あえて俺が墓守をする必要はないと思う。親に言われたことはないなあ」


 ナヴァがうつむく。


「寂しいことだ。子供は――特に幼児は、先祖の霊に守られて生きるものなのに」


 彼女は連綿と続く山のパガタの族長の系譜に属している。代々の族長に守られてここまで大きくなったと思っているのだろう。その世界観は悪いものだとは思わないが、アレックスにとっては馴染みのないものだった。アレックスはスーザンが熱心に信仰するプロテスタントの教会で牧師の説教を聞いて育ったのである。


「ねえ、ナヴァ」


 苦笑して、問い掛けた。


「ナヴァは将来、山に帰るのかな」


 ナヴァが弾かれたように顔を上げた。


「たとえば、俺とナヴァの子供ができたとして。ナヴァはその子を連れて山に戻るの? 山のパガタとして育てて、将来は族長にしたいのかな」


 彼女はすぐには答えなかった。


「それ、俺にとったら、寂しいことだなあ。俺は、街生まれ街育ちで、これからも街で働くんだろうから」


 彼女の顔が泣きそうに歪んだ。マグカップを握る指に力がこもったのが見て取れた。


「……大丈夫だよ、すぐに答えを出さなくて。これからゆっくり考えていこう」


 そう言うと、彼女は唇を引き結んで頷いた。


「ナヴァは兄弟がたくさんいたんだっけ」

「ああ。全部で十一人いた」

「想像以上に多いな」

「成人する前に死ぬ子供が多いから、多めに産んでおくのだ。何人かは生き残って、うち一人は後を継いでくれる。わたしの兄弟も大勢死んだ。今は兄とわたししかいない」


 まるで発展途上国だ。同じ国の中のこととは思えない。


「ナヴァのお母さん、大変だっただろうね」


 ぎこちなく頷く。


「母親も末の弟を産んだ時に死んでしまった」


 アレックスは大きく溜息をついた。


 ハニーミルクを飲みながら、ナヴァが続ける。


 次の時飛び出した台詞に、アレックスは目を丸くした。


「大変だっただろうな。十四で結婚して、十五の時から二十年間、一年おきに妊娠していたのだから」


 一瞬聞き間違いかと思った。


「何だって?」

「ん?」

「お母さん、何歳で結婚して、何歳で最初の子を産んだって?」

「十四で結婚して、十五で最初の子を産んだ」


 この国での法律は男女ともに十八歳にならないと結婚できない。そしてその法律は少なくとも第二次世界大戦後くらいからあるものであり、ナヴァの母親が結婚する頃にはすでにあったはずだ。

 十五歳の少女に子供を産ませるなど、現代社会ではあってはならないことだ。それは児童婚という虐待だ。


 ぐっと堪えて、「すごく早く結婚したんだね」と言った。ナヴァは「そうか?」と首を傾げた。


「わたしは巫女で処女でなければならなかったからこの年まで結婚しなかった。普通の女だったら完全に行き遅れだ」


 メジャー女性の平均初婚年齢は確か二十八歳ぐらいだ。二十歳でも早い。


「……そっかあ」


 だが、今のアレックスには、一概に、それは野蛮な行ないだ、と断言することはできなくなっていた。

 ナヴァはそういう世界で生まれ育ったのだ。

 彼女を傷つけたくなかった。

 この溝はどうやって埋めればいいのだろう。




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