第3話 自然のパガタフレンドリー

「うち、自然のパガタの子を積極的に採用してるの」


 言いつつ、ジェニファーがテーブルの上に数枚のチラシを広げた。どれも自然のパガタ関連の情報ペーパーだった。あるものは自然のパガタの伝統工芸を販売するショップ、あるものは自然のパガタの文化を紹介する資料館、あるものは自然のパガタに伝わる楽器の演奏会――いずれもカフェのチラシ置き場に置かれているものらしい。アレックスは気がついていなかった。


「活動家、というほどでもないんだけど、私、自称自然のパガタフレンドリーで。自然のパガタと街の間の窓口になりたい、と言ったらいいかな。交流支援活動に携わっているのね」

「知らなかった……」


 一応、時々閉店後に店内を利用してワークショップやら何やらイベントをしている、というのは知っていた。店の出入り口付近に小さな黒板が設置されていて、スケジュールや簡単な内容の説明が書かれているのだ。だがアレックスは注目していなかった。ナヴァと出会うまでまったく興味がなかったのである。


「自然のパガタが街に溶け込むのって大変だから」


 ジェニファーが苦笑する。


「彼らにもいろいろあって、仕事や結婚で街に来ることがあるの。でも、彼らの多くは今でも街とは違う価値観、世界観で生きてる。最近はだいぶオープンになってきたけど、ナヴァのようにクローズな文化で生活してきた人もまだたくさんいるのね。そういう人たちは街でトラブルに巻き込まれやすくて、せっかくここまで来たのに貧困に陥ることがある。私はそこをフォローする仕事がしたかったんだ」


 ただ漫然とメジャー化した生活を送っているアレックスにはない、崇高な志だった。


「先月までうちにはバイトが三人いて、全員元は自然のパガタだったの。一人は草原のパガタで、残り二人は海のパガタ。このうち海のパガタの子が一人メジャーの旦那さんの国外赴任についていくことになって辞めたのね。その穴埋めで新しいバイトを探してたというわけ」

「なるほど。じゃあナヴァはちょうどいいんだ」

「そういうこと。まあ、そこまですごく自然のパガタにこだわってるわけでもないから貼り紙してたんだけどさ。どうせなら自然のパガタに来てほしかったから、私としてもちょっとほっとしてるよ」


 ナヴァがチラシを手に取る。海岸にある自然のパガタの生活を体験できるレジャーランドのチラシだ。海のパガタはかなり観光に力を入れている。


「山のパガタというのは初めてだけどね。自然のパガタの中でもとびきりレアな部族だよ」

「そうなのか……俺ぜんぜん気にしてなかったな」

「みんな話を聞きたがると思う。客寄せみたいになっちゃってちょっと申し訳ないけど」


 顔を上げ、「語り部ならできるぞ、巫女だからな」と言う。ジェニファーが「嬉しい、ありがとう」と答える。


「平日の昼間、ということでいいのかな」

「そうだ。夕方には帰って家事をしたい」

「条件はぴったりね、前に辞めた子もそんな感じだったから。それに他の二人は、一人が学生でもう一人は平日別の仕事をしてるダブルワーカーだから、基本的に土日なの。だから平日のランチタイムからティータイムにかけていてくれると助かる。月曜日から金曜日までなんだけど木曜定休日だから週四日、一日につき午前十一時から午後五時までの実働五時間かな」

「大丈夫だ」


 そこでジェニファーもナヴァもアレックスの顔を見た。草原のパガタの刺繍を教えるイベントの案内チラシを見ていたアレックスは、視線に気づいて顔を上げ、「俺は何でもいい」と答えた。


「お給料は週払い、日曜日締めの水曜日払い、現金手渡しよ。チップは各自随時ポケットにしまって」

「分かった!」


 話がトントン拍子で進む。特に危ういところはない。これならついてくる必要はなかったのではないかと思うほどだ。


「他に質問はある?」

「ない」

「ダーリンは?」

「いや違うんで。まあ、ないです」

「そう」


 ジェニファーが微笑む。


「じゃあさっそくだけど、次の月曜日から来てもらえるかな」

「おう!」


 話がまとまった。


「よかった。ありがとうジェーン」

「どういたしまして。仕事中もフォローするから安心して」


 彼女の笑顔は頼もしく、任せておけば何でもどうにかなる気がした。自分より少し年上の女性が一人でここまでやっているのだ、と思うと、あまりの立派さに目眩がしてくる。彼女こそ、人格者、というやつだ。


「ジェーン、訊いてもいい?」

「なに?」

「ジェーンはいつからこういう仕事をしようと思った?」


 一人腕組みをしつつ、「そうだね」と呟く。


「私も街のパガタだけど、最初期にメジャー化した家系で、生きている親族に祖先と同じ暮らしをしてる人が一人もいなかったんだよね。それに、学校では周りがメジャーばかりだったから、余計に自分のルーツが気になって」


 アレックスとはまるで違う生い立ちだった。街のパガタにもいろいろいるのだ。


「こういう活動に携わろうって決意したのは、中学の社会科見学で海のパガタの国立民族博物館に行った時。うちももともとは海岸線に住んでたって聞いたから、すごく、シンパシー、というのかな? インスパイアされたんだ」


 納得して頷いた。


「この店も最初からカフェをやるつもりでテナントに入ったわけじゃないのね。本当はイベントの方がメインで、カフェも、自然のパガタの働く場所にしつつ、パガタ料理を出しつつ、興味のあるお客様にはパガタの店員と交流してもらいつつ、みたいな感じ」

「へえ……」


 逆に「アレックスは?」と訊かれた。


「あなたもパガタとして何か感じたり考えたりしたことはない?」


 アレックスは「うーん」と唸った。


「俺は三世で、母方の祖父が森のパガタだったんだけど」


 隣にいたナヴァが「そうだったのか!」と声を上げた。


「あれ、言わなかったっけ」

「どうして話してくれなかったんだ?」

「俺自身が興味がなかったから、としか言いようがないな」


 ジェニファーが身を乗り出して「もっと聞きたい」と言う。


 しかし、祖父とは大した思い出はない。

 祖父は寡黙な人だった。その上自然のパガタの平均寿命は短く、アレックスが幼稚園の時、五十代の若さでこの世を去った。祖父のプロフィールはやはり街のパガタである祖父の妻、つまり祖母からの伝聞でしか知らない。


「俺自身はパガタらしいことをした記憶はないから、民族意識とか、パガタとしてのアイデンティティみたいなものはないんだ。親もクリスチャンで街での生活しか知らないみたいだし」


 ジェニファーが「うーん」と苦笑する。


「親御さんがあまりパガタにいい印象がなかったのかもしれないね。私たちの親世代だとまだパガタ差別が色濃かった時代だから、息子はメジャー化するのが幸福なんだと思ってたのかも」


 言われてから気づいた。


「その可能性は高いな……今度会った時に聞いてみようかな」

「それがいいよ」


 ナヴァがアレックスをしげしげと眺めて「森のパガタだったのか」と呟く。アレックスは「本当に森の暮らしは何にも知らないよ」と念押しした。


「あ、でも、祖母から聞いた話で、一個だけすごく印象に残ってるのが」


 ナヴァもジェニファーも「なになに?」「聞きたい」と突っ込んできた。


 二人の輝く紫の瞳を見てから、アレックスは、余計なことを言おうとしているのではないかと不安になり、目を逸らした。


「あまり楽しい思い出じゃないから、気を悪くしたら申し訳ないんだけど」

「いいよ、それでも聞きたい。話してみて」

「森のパガタは芋虫を食べると聞いて、すっごい気持ちが悪いと思ってしまって……」


 祖母が亡き夫の思い出の地である森に行ってみようかと持ち掛けてきたことがあった。だが、幼いアレックスは虫を食べさせられるかもしれないと思うと嫌で、断ってしまった。

 自然のパガタであるナヴァや自然のパガタに強い思い入れのあるジェニファーの前では言えなかった。


「まあ、自然のパガタは街とは若干違う文化を持っているよね」


 ジェニファーは察するものがあったらしく、そう抽象的なことを言った。

 ナヴァは元気よく「それは仕方がない」と言ってのけた。


「森は動くものは何でも食べるのだ。山では虫は食べない」


 生の自然のパガタの声に感心する。


「自然のパガタも住むところによって食べるものが違う。部族によって料理も変わるのだ。最近は街で売られている食材が入ってくるのでだいぶ変わってしまったが」

「そうね、そう言えば、海のパガタの子はナマコを食べると言っていたわね」


 ナマコのグロテスクな形状を想像して硬直しているアレックスの隣で、ナヴァが「ナマコとは何だろう」と呟く。


 そこで、ドアベルが鳴った。振り向くと、メジャーの老婦人が二人、明るくおしゃべりをしながら入ってきた。


「お客様だ。失礼するね。あ、さっき出したコーヒーはサービスだからお代はいらないよ」


 ジェニファーが立ち上がって「いらっしゃいませ」と挨拶した。今日の面接はこれで終わりだ。アレックスも「帰ろうか」と言って立ち上がった。





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