第8話 彼女を野蛮だと思う自分にそんな資格はない

 アレックスは三ヶ月ぶりにベッドに身を投げた。


 ナヴァがこの家に来てからずっと彼女に寝室のベッドを貸し出していた。

 けれど、今日は、彼女はいない。


 首だけを持ち上げて部屋の中を見回す。


 三ヶ月間この部屋はナヴァの私室となっていたが、彼女の私物が増えた感じはなかった。

 部屋の隅にホームセンターで買った一メートル四方の立方体のバスケットが置かれている。彼女はすべてをそこに突っ込んでいた。はみ出しているものがないため、ぱっと見た感じでは何もないように見える。


 あれを何かの機会にザンザの家に送ってしまえば彼女がここにいた痕跡はなくなるのではないか。


 とてつもない静寂、そして虚無だ。この三ヶ月が夢幻だったのかと思うほどだ。

 まるで現実感がない三ヶ月だった。それが、今、夢から覚めて何もかも元に戻った。


 冷静に考えて、恋人でも何でもない二十歳の女の子がここにいた、というのは、おかしなことだった。

 彼女がいなくなったことで、現実に戻ったのだ。


 先ほど彼女とザンザが語った話を現実として受け入れることができない。あまりにも現実離れしていた。歴史の教科書の朗読を聞いているかのようだった。はるかかなた昔、数百年前の話だと言われれば納得する。三年前から今日に至るまでの物語として受け止めることはできない。


 野蛮だ、と思った。原始的だと感じた。文明的ではない。すべてが、だ。何もかも、どのエピソードを切り取っても二十一世紀のこととしてありえていい話ではない。


 価値観があまりにも自分と違い過ぎる。


 思い返せば、この家に来た当初のナヴァにもそんな感覚をおぼえていた。彼女を野蛮人だと思っていたし、彼女の出身部族を蛮族だと思っていた。


 それが三ヶ月かけて徐々に認識が変わっていった。

 彼女を否定的に思う気持ちが薄れ、自分の傲慢さを痛感し、歩み寄っていった。

 彼女も変わってきた。少しずつ街の生活を知り、馴染み、溶け込んでいった。

 山あり谷ありではあったが、二人の生活はいつからか成立していた。


 距離は縮まったと思っていた。


 ナヴァがこの話を黙っていた、というのも、大きなダメージだった。


 彼女は根本的なところで自分を信頼していなかったのではないか。話を聞いてくれないと、拒絶されると思っていたのだろうか。話し合い、分かり合う、そういうプロセスは自分たちの間ではないと思っていたのだろうか。


 自分の方が、何でも話し合えると思い込んでいたのだ。


 しかし彼女の判断は正しかったのかもしれない。事実自分は今かなり抵抗を感じている。

 彼女の実家を野蛮なところだと思ってしまった。彼女は自分の心身を犠牲にしてでも守って次世代に継承しなければならないと思っているのに、だ。


 彼女は子供が欲しいのだ。自分の故郷を存続させるために子種をくれる街のパガタの男と出会いたかったのだ。


 それは街のパガタの男なら誰でもよかったということではないのか。アレックスである理由はなかったのではないか。

 他の男でも街のパガタなら成立するだろう。ザンザでもいいのだ。彼女がザンザではなくアレックスをと言っているのはザンザがもともとは草原のパガタだったからに過ぎないのではないか。


 自分を選んでくれたわけではない。


 ショックだった。


 そして思うのだ。


 自分はナヴァに愛されていることを当たり前のことだと思っていた。自分のことが好きで好きでたまらないと思っていた。


 甘えていたのは自分の方だ。


 ひょっとしたら自分もナヴァのことが好きだったのかもしれない。彼女との将来を望んでいたのかもしれない。彼女に好きでいてもらいたかったのかもしれない。


 明日の定時後から始まる冬休みをどうやって過ごそうか考えていた。そこには彼女の姿があって、一緒に行動することを前提にプランを立てていた。


 どうしてそんな思い上がったことができたのだろう。

 彼女の故郷を野蛮だと思う自分にそんな資格はない。


 でも受け入れられない。


 信じられない。

 断絶しそうな家系を守るためにひとりの女の子に子供を産ませようとしている。

 人権侵害だ。


 やはりシェルターに送ればよかった。彼女は保護されて、実家と切り離されて、しかるべき機関で考え方を矯正されるべきだったのだ。


 間違えた。彼女のためにも自分のためにもならなかった。


 不意にバイブレーションの音が耳に入ってきた。

 ベッドサイドに目を向けると、スマートフォンの画面が明るくなっていた。


 一瞬胸が弾んだ。

 ナヴァだと思ったのだ。

 急いで手を伸ばして通知を見た。


 溜息をついてしまった。

 母からだった。


『結局帰ってこないんですか?』


 がっかりした。


 だが、すぐに考え直した。


 帰ろう、と思った。もうナヴァと一緒に暮らすのはやめて、冬休みは実家でゆっくり過ごそう。毎年恒例の、いつものパターンに戻るのだ。


『帰るよ。今から特急の切符取る。時間が分かり次第また連絡する』


 忘れないうちに予約しなければ、と思い、鉄道会社の公式サイトを開いた。毎年のクリスマス休暇の帰省と夏休みの旅行のために使うので、会員登録して、ネット上で指定の切符を取れるようにしてあるのだ。


 明日の日付を入力して、実家に帰る方面の列車を選択して、検索ボタンを押した。

 満席だった。


「ですよね」


 翌日、その翌日と日付を変更して検索をかけたが、満席、の赤い文字列ばかりで、乗れる列車は一向に見つからない。


 諦めた。


『ごめん。切符取り忘れた。特急の空席がないので帰れません』


 すぐ返信が来た。


『バカ』

「すみませんね! あんたの息子は本当にバカですよ!」


 スマートフォンを、床の上、脱ぎ捨てたコートの上に叩きつけた。


 せっかく長い休暇なのだからゆっくり各駅停車を乗り継いで帰るのはどうか、というのも浮かんだ。学生の頃は十時間ほどかけて鉄道旅を楽しんだものだった。

 やる気が出ない。あの頃と時間や体力についての考え方が変わってしまった。無理だ。


 自宅でだらだらすることに決めた。


 眠ってしまおうと思い目を閉じたが、眠気はなかなか訪れなかった。明日は寝不足で出勤することになりそうだ。




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