第5話 ポスターで見たことのある顔

 とうとう来週から冬休みだ。明日出勤したら半月の楽しい休暇が待っている。


 アレックスは少し浮ついた気持ちで地下鉄に乗った。

 もちろん定時上がりである。十二月は月初の五営業日以降ずっと暇なのだ。

 来月から始まる地獄の年度末決算に備えて今のうちに休暇を取る人は多い。しかも部署の全員が毎年アレックスが長い休みを取って実家に帰っていることを知っている。主任などは気楽な感じで「お土産よろしくね!」とのことである。


 今年は自宅でナヴァと過ごすことになるだろう。恋人でも何でもないのに女性と二人でクリスマスとは、と思うとむず痒いが、現状は仕方がない。


 アレックスはつい、ナヴァを連れてどこかに旅行へ行こうか、などと考え始めてしまった。こんなに長い休みなのにもったいない。ただ、今からだともう宿は取れないと思うので、近場で日帰りになる。


 ふと、海に行こうかと思った。海のパガタに会いに行くのも面白そうだと思ったのだ。


 自然のパガタにはいろいろな部族がいるが、一番人口が多いのが海のパガタだ。開放的な性格の人が多いのか、街とのかかわりに積極的で、海辺の観光施設で伝統舞踊などのショーをしている。街の人間にとって一番気軽に会いに行ける自然のパガタだ。


 確か中央駅から海方面へ特急列車が出ているはずだ。


 海という自然を眺めて、海の民と交流して、リフレッシュする。


 明るい気持ちで顔を上げた。


 その時だった。


 視界に、たまたま停車した駅のホームに掲示されているポスターが目に入った。

 舞台のポスターだった。


 思わず顔をしかめた。


 黒一色の背景に、ザンザが立っている。そして下の方にロゴが入っている。

 そのロゴに見覚えがあった。

 先日ナヴァが持ってきたチケットだ。

 今日ナヴァが観に行っている芝居はこれだ。


 電車が走り出した。ポスターはすぐに見えなくなった。


 コートのポケットからスマートフォンを取り出した。急いで作品名で検索した。


 アレックスと同い年の男、背が高い、自然のパガタで草原のパガタ出身の戦士、忙しい俳優――

 嫌な予感がした。


 劇場の公式サイトの当該作品の案内ページがヒットした。


 やはり先ほどのポスターの作品で主演はザンザだった。彼がトップスターになったきっかけのドラマの監督が演出を手掛けている、その界隈ではかなり評判の作品のようだ。アレックスにテレビを見る習慣があればきっと宣伝をたくさん目にしただろう。


 そんなことがあるわけがない。

 相手は超のつく有名人で、多忙な人間で、一般人と親しく交わるわけがない。

 いくら都立大学でナヴァが関わっている研究室の教授がパガタ研究の権威で映画やドラマのパガタ文化考証に積極的に関わっているとはいえ、そんなところにこんな人間が顔を出すはずはないのである――たぶん、だ。


 動悸がする。


 不意にスマートフォンが震えた。劇場サイトのページの上に、メッセージを受信した旨を伝える通知が入った。

 ナヴァだ。


『今日は何時くらいに帰る?』


 すぐに返信した。


『今もう地下鉄だからあと十分くらいで駅につくよ』


 即時、次が来た。


『北口改札で待つ』


 何があったのだろう。

 胸騒ぎが激しい。


 やがて自宅最寄り駅についた。


 住宅街の駅は帰宅ラッシュでそこそこの人がいた。だが繁華街とは違うので華やかさはなく、人々は足早に商店街を抜けてそれぞれの家に帰ろうとしている。立ち止まる者は少ない。


 人の流れの邪魔にならないよう、ナヴァは改札から少し離れた壁際に立っていた。


 険しい表情で誰かと話している。


 傍にいるのは背の高い男だった。高価そうな黒いロングコートを着て、真冬ならではの早い夜にもかかわらずサングラスをしていた。肌は浅黒く、肩を越えるほどに伸ばされた銀髪はところどころ細かく編み込まれている。服装こそ街の洗練された恰好だが、自然のパガタの男だ。


「ナヴァ」


 声を掛けると、彼女は振り向いた。

 一緒にいた男もこちらの方を向いた。


「アレックス」


 ナヴァが不安げな、どこか申し訳なさそうな声と顔で言う。


「ごめんなさい。わたしはそういう面倒なことはしないでくれと言ったのだが、こいつがどうしてもお前に会いたいと言うから、逃げきれなくてここまで連れてきてしまった」

「ひでぇ言い草だな」


 男が少し乱暴な口調でそう言って笑った。


「俺がナヴァに付きまとってるみたいな言い方だ。俺は、ナヴァが適当な扱いを受けていると聞いて、ナヴァを救うために時間を割いているというのに。このクソ忙しい中可愛いナヴァのために時間を作ってやってるんだぞ、感謝こそすれ迷惑がるのは違うだろ」


 そしてサングラスを外し、吐き捨てるように言った。


「この俺が直々に何にも分かっちゃいねぇ貴様のために自然のパガタの何たるかを教えてやるっつってるんだ。ありがたくもてなせよ」


 嘘だと思いたかった。夢だと思いたかった。

 先ほどポスターで見た顔だった。

 元草原のパガタの戦士にして、一世風靡の今を時めく大スター、ザンザだ。




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