第10話 ザンザという男はどうやって形成されたのか
「ザンザの父親は自殺したらしい。先住民生活困窮者支援金をギャンブルに使い込んで、膨大な借金を作って、返済に困って首をくくったのだそうだ。ザンザは首吊り死体になって家の
公園から自宅へ向かう道すがら、ナヴァがそんなことをぽつぽつと語り始めた。
「それ、俺に話して大丈夫なこと? だいぶ踏み込んだプライバシーにかかわることだと思うけど」
「大丈夫だ。ザンザはむしろ聞いてほしいようだった。今度ドキュメンタリー番組で話すことが決まったとも言っていた、テレビで放映されたあとテレビ局の公式サイトのネット配信で全世界に向けて公開されるとのことだ。遅かれ早かれみんな知ることになる」
それを聞いて、アレックスは頷き、黙った。
「ザンザの一家は草原の居留地に住んでいて、ザンザが小さい頃には伝統的な狩猟生活をしていたそうだが、先住民差別解消法が施行された時にザンザの家が先住民生活困窮者に該当することが分かって、政府から補助金が入ってくるようになった。両親はそれをきっかけに狩りをやめてしまったようだ」
国内西部に広がる広大な草原を思う。かつてメジャーがフロンティアとして開拓していった土地だ。
「残された母親は毎日酒浸りのアルコール依存症で、家事も育児も一切しなかった。子供は、ザンザを含めて六人いたようだが、それぞれが好き勝手にやった結果、ほとんどが学校を中退した。ザンザも中学で不登校になって高校には行かずに就職すると決めたらしい。進学にかかる費用として国から奨学金が支給されるはずだったが、ザンザは進学の書類に嘘のサインをして母親に奨学金を渡してしまったという」
自然のパガタの自殺率、ギャンブル依存症罹患率、アルコール依存症罹患率は高い。メジャーの複雑な社会構造に溶け込めない自然のパガタは、フォローのない半端な支援のせいで身を持ち崩す。
ネットニュースで見ただけの話が突然身近に降りかかってきた。まさしくそれに当てはまる人間と顔見知りになるとは思ってもみなかった。
「しかしザンザにとって一番つらかったのは両親のことではなかったようだ」
「まだ酷いエピソードがあるの?」
「ザンザの一番上の姉が弟妹を養うために売春をしていたらしい。最終的に、わたしはよく知らないのだが、エイズという不治の性病にかかって死んだ」
アレックスからするとエイズもかつて言われていたほど恐ろしい病気ではなかった。どうすれば感染を防げるのか知っていたし、適切な投薬を受ければ発症を遅らせ寿命を延ばすことができるのも分かっていた。しかし医療へのアクセスが困難だと今の時代でも手遅れになる。それに義務教育もまともに終えていない自然のパガタだときちんとした性教育を受けていない可能性も高い。
「パガタの女はメジャーの女に比べて半分以下の値段しかつかないのだそうだ。とんでもない安値でからだを売って病気をうつされた。ザンザは心身を病んでめちゃくちゃになっていく姉を最期まで看取った」
想像を絶する少年時代だった。
「そうして、故郷の草原を捨てて街に働きに出てきた。工事現場で働きながら、街頭モニターや家電量販店のテレビを見て、俺もこういう影響力のある人間になろうと思った、と言っていた」
あの少々陽気にも思える自信家の彼には似つかわしくない。
「わたしは悲しかった」
辺りは静かだった。ナヴァの語る声だけが聞こえていた。
「自分がこんな境遇なのはメジャーのせいだと思ったのだそうだ。メジャーが変な法律を作らなかったら、メジャーが競馬場を作らなかったら、メジャーが酒を売らなかったら、メジャーがパガタの女を買わなかったら――すべて自分の家族にかかわったメジャーが悪いと思っていた。だから、心のどこかにずっといつか出世して見返してやるという気持ちがあって、メジャーには心を開かなかった。攻撃的な態度を取ってしまった」
メジャーがパガタを見下すだけではない。パガタもまたメジャーを敵視している。メジャーの場当たり的な政策に振り回されて苦しんでいるパガタがいる。
そうでなくても草原のパガタは二百年前メジャーによって奴隷化された歴史がある。自然のパガタの中でも草原のパガタがとりわけよく創作作品の題材に選ばれるのにはそういう背景があるのだ。草原のパガタはもともとメジャーに友好的な部族ではない。
「あいつは顔もスタイルもいいからモデルの仕事は比較的すんなり手に入ったそうなのだな。ところがその先、役者に転身しようとしてつまずいた。仲良くできない奴に仕事を回したい人間はいなかったのだ。それが長い下積み時代の真相だ」
「なるほどな……」
マンションが近づいてくる。
「最終的にはザンザの方が折れて態度を改めたようだ。街で暮らしていろんな人と衝突していくうちに角が取れたようでな。自然のパガタにも善人と悪人がいるように、街の人間にも善人と悪人がいる。特に今回の舞台の監督はザンザが十代の頃から熱心に稽古をつけてくれたのだそうだ。メジャーなのにザンザの世話を焼く。メジャーの善人に出会ったのだ。反省したと言っていた」
「難しい話だなあ。冷静に考えたら当たり前のことなんだけど、子供の頃って自分が暮らしているコミュニティを世界のすべてだと思うじゃないか。ザンザみたいな境遇で最後まで気づかずに死ぬ自然のパガタっていっぱいいるんだろうな。かといってそういう人たちが悪いのかと言うと、うーん」
「まあな。わたしも街に下りてくるまでは街は穢れた俗世で怖いところだと思っていたからひとのことをとやかく言えない」
マンションのエレベーターの前に立った。上ボタンを押す。二人並んでエレベーターが下りてくるのを待つ。
「ザンザが腰を低くして相手に接するようになると周りの対応が変わっていった。もともと真面目で勉強熱心な男だし、役者には職人
「よかったよかった」
エレベーターが目の前で止まり、ドアが開く。二人で乗り込む。
「でも自分の故郷を――つらかった子供の頃を忘れることはない」
ナヴァが四階のボタンを押した。
「ザンザはな、稼いだ金のほとんどをパガタの生活支援をしている自治体や民間団体に寄付してしまうのだ。特に、人身売買同然の状況で性産業に従事しなければならないパガタ女性を保護するボランティア団体に。だからあいつはあんなに稼いでも貧乏でワンルームの部屋に住んでいる」
何となく、彼が、街の男の子供を産むと言い張るナヴァをどんな目で見ていたのか、分かってくる気がした。
「都立大学の研究室に来るのもその関係だ。パガタ文化を広く世の中に知らしめるために研究費として献金しているのだ。教授は謝礼代わりにパーティにVIPとして呼ぶ。忙しいから来なくてもいいとも言うそうだが、元自然のパガタがどんな生活をしているのか心配で様子を見に来るのだと」
「まめな奴だ」
「そう、まめで、根は優しくて誠実な男なのだ」
四階に辿り着いて、二人でエレベーターを降りた。
「そういうところがお前と少し似ている気がして親しみやすかったのだなあ」
ナヴァがそう言って微笑むので、アレックスもまた微笑み返した。
だが、少し考える。
ザンザと同じ境遇に置かれたら、自分はどんな人生を歩んだだろう。彼のような強さで生き抜けるだろうか。
自分たちは同性の同い年で、パガタの両親を持つ、街で暮らしているパガタだ。探せば共通点はいくらでもある。
「偉い奴だ」
ナヴァが言う。
「こんなに大成して、今度ドキュメンタリー番組でこういう話をすると言っている。番組を見た人々は社会を変えようと思うだろう。あいつの影響力はとても大きい。あいつの行ないはとても立派だ」
慣れ親しんだ403号室の扉、鍵穴に鍵を挿し込みつつ、頷いた。
「それに比べてわたしは、すべてのパガタを導かねばならない巫女だというのに、何をしているのだろうなあ。わたしは街に何もはたらきかけていない。本来わたしがやらねばならないことをすべてザンザにやってもらっている気分だ」
ドアを開けてから、右手でドアノブを持ったまま、左手でナヴァの頭を撫でた。
「タイミングの問題だよ。今はザンザの努力が実るタイミング。いつかナヴァも何か成し遂げる日が来るよ」
「そうか」
「とりあえず、今日はもうシャワーを浴びて寝よう。今は、いいよ。これからゆっくり考えよう」
二人で、家の中に入る。
「……俺も、もっと考えるよ。俺、今まで、パガタがどうとか、まったく考えたことがなかったから。俺こそ、反省して、もっと勉強しないとな」
二人を待ち受けていた空の部屋は寒かったが、じきに暖まるだろう。
「とにかく。おかえり、ナヴァ」
ナヴァが笑った。
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