第5章 スーザンの場合

第1話 冬休み。クリスマス、そして年明け

 それから半月の間、アレックスはナヴァと遊んで愉快に暮らした。



 いろんなところに出掛けた。



 まず、都心にある国立パガタ民族史博物館だ。


 先史時代から始まる展示で、考古学的な発掘物から現代パガタの工芸品までがずらりと並べられていた。


 今まで自分のルーツなど微塵も気にしてこなかったアレックスはたいへん勉強になった。知らないことばかりだった。特に教科書の上でしか知らなかったメジャー登場後の植民地化、奴隷化の歴史が興味深かった。文字を持たないパガタの歴史が皮肉にも英語の輸入によって記されるようになったのだ。


 ナヴァも面白かったようだ。自分が伝承として受け継いできた物語に考古学や文献学の裏付けが取れたと喜んでいた。


 展示を見終わった後、ミュージアムカフェでコーヒーを飲みながら少し山のパガタの言い伝えを聞かせてくれた。火の精霊、土の精霊、水の精霊――アニミズムにもとづく世界は色彩が鮮やかだ。



 次に、レンタカーを借りて、東海岸の海のパガタに会いに行った。


 自然のパガタの中で最大規模の部族である海のパガタは、伝統的な暮らしを観光資源として活用している。

 テーマパークでは伝統舞踊が披露され、もりを携えた半裸の民族衣装のパガタと写真を撮ることができる。工芸品の土産物店が軒を連ねており、パガティアン・ステッチと呼ばれる刺繍の布製品が売られている。

 彼らが漁をしている海は風光明媚なフォトスポットで、夕焼けの時間帯には恋人たちのロマンチックな名所と化していた。


 アレックスとナヴァはテーマパークで海のパガタ特有の伝統舞踊を見て興奮した。振付は地方によってかなり違うらしい。ナヴァが言うには、海のパガタには海のおおらかさがある、とのことだ。

 歌も違う。ウクレレのような弦楽器で奏でられる海の音楽は明るく朗らかだ。帰りの車の中でナヴァが手拍子ひとつで歌った山の音楽はもっとエキゾチックで独特の旋律があった。


 二人で西の平野の方に沈む夕陽を眺めた。振り向くと東の海の空には満天の星空が輝いていた。都会では見られない雄大な自然だった。



 それから、都庁近くで催されたドイツ風のクリスマスマーケットにも行った。


 極太のソーセージをナイフとフォークで食べる。ビールを飲み、グリューワインを飲む。店先に吊るされたオーナメントを眺める。


 日が暮れてくるとイルミネーションが美しかった。連なる光の先に巨大なクリスマスツリーがあって、雪をかぶったように見える白い飾りつけがロマンチックだった。


 クリスマスツリーの下で口づけを交わした。初めてのキスの味はグリューワインのシナモンだ。


 グリューワインのマグカップを持って帰った。赤をベースに緑と白でクリスマスツリーや雪だるまの描かれたマグカップがふたつ、お揃いだ。



 そして、最終的に、アレックスは寝室のベッドを二人で使うことを試みた。


 ナヴァは風呂上がりのいい香りを漂わせていた。洗ったばかりの滑らかな濃い色の肌は温まっていておいしそうに見えた。


 頭の方を壁につけているベッドの上、ナヴァを枕に座らせて、壁際に追い詰める。彼女の後頭部が壁につく。

 長い銀の髪を撫でた。しっとりと湿っている。


 深い口づけを交わした。彼女の薄紅色の唇を舌先でこじ開け、白く形の整った歯をなぞった。歯並びが綺麗だ。慣れない彼女はうまく応えられず苦しそうだったが、それもまた愛らしくて背筋を興奮が駆け上がった。

 濡れた音がする。


 一度唇を離すと、ナヴァが恥ずかしそうに目を伏せて問い掛けてきた。


「なあ、アレックス」


 その長い銀の睫毛が頬に影を落とす様は何とも言えず美しい。


「子作り、するのか?」


 アレックスは笑って彼女の額に額を寄せた。


「ちゃんと避妊するよ」


 ところが次の時だった。


 胸を突き飛ばされた。


「だめだ! 子供を作るわけではないのにこういうことをするのはふしだらだ! わたしはそんな淫らな女ではない!」

「えっ、うそ、ここまで来てそうくるの?」


 頓挫した。一から出直しだ。


 結局また一人でソファに横になり、アレックスは溜息をついた。寂しいが、仕方がない。ここで無理強いをすれば強姦と一緒だ。まずは二人の考え方をもう少し擦り合わせてからではないと先に進めてはならない。


 翌朝ナヴァに謝られたが、アレックスは笑って彼女の頭を撫でた。



 年末のスペシャル番組でザンザの半生を特集したドキュメンタリーを見る。


 見終わった後、ナヴァが言った。


「ザンザ、アメリカに行くそうだ」


 アレックスは複雑な心境だった。ナヴァからしたら自然のパガタの友人がひとり減るわけだが、俳優としては栄転だろう。


「そっか……向こうでもうまくやれるといいね」

「いや、映画の撮影が済んだら半年で帰ってくる」

「なんだよ、一瞬ハリウッドに移住するのかと思ってしんみりしちゃったじゃないか! そんなのあっと言う間だよ」

「わたしはアメリカに永住してくれて構わないのだが意地でも帰ってきてやると言っていた、しつこい男だ」


 しかしすなわち半年間はザンザの邪魔が入らず二人きりの時間を楽しめるわけだ。それはそれでありがたい。



 大晦日の花火を二人で見る。


 そうこうしているうちに年が明けた。二人で年を越したのだ。


 ナヴァがアレックスと一緒に暮らし始めてから四ヶ月目に突入した。

 山あり谷ありではあったが、結局のところ平和で、穏やかな日々を過ごしている。二人の関係も少しずつ進展している。


 このままずっと彼女が家にいてもいいと思えてきた。なんなら二人でもう少し広い部屋に引っ越すことも視野に入れて計画を立ててもいい。半永久的に、どちらかが死ぬまで一緒にいてもいい。

 そして何年か後には子供がいてもいい。


 ただ、仕事に専念したいアレックスとしては今ではないので、そのタイミングをいつにするかもっとよく話し合った方がいいだろう。

 子供を作るタイミングだけではない。片づけなければ問題はまだまだ山積みだ。自分たちにはもう少し時間が必要そうだった。


 それでも今は、この状態がいい。





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