第十一話 うめももさくころ

NOTE1

 帰宅してきた祥子に母は、結果が届いたみたいだから机の上に置いておいたわよと言った。

 心拍数が急増する。

「ありがとう」

 さりげなく、にこやかに祥子は応えた。



 二月三日。

 立春の前日で、豆をまいて鬼を祓い、幸せを神仏に願う節分。

 祥子は節分がすきではなかった。

 災いはふりかかってこなければそれにこしたことはない。

 でも、ときにうちから災いが生まれることもある。

 しあわせを招こうとするにこしたことはない。

 けれども、じっと待っているだけで転がり込むことはない。

 なのに豆をまいて豆を食べて幸せを求めるのはどうなんだろう。

 この国は飼いならされた臆病な猫だから、頑固者だけがさびしい思いをするといったのは猫のお姉さん。

 世界は変わっていくのに、生きる成長は変化の連続なのに、変わらないことだけを心根で願っている。

 善がいて悪があり、悪を祓ったときに善になるどんぶり勘定、打算的な計測で幸せを求めている。鬼は太平楽な世に喝を与えるトリックスターであって、スケープゴートじゃない。人間の畸形……否、鬼の畸形が人間なのかもしれない。

 人間は唯一の絶対物ではなく、ありふれた結果にすぎず、鬼もまた稀(まれ)にみる結果にすぎない。

 数ある手段からひとつの方法を選択したにすぎないのでは。

 両方とも等しく自然であり、等しく必然的で、同じように宇宙普遍の秩序にかなっている。

 男は女の畸形に他ならないだろうし、でなければ女が男の畸形なのかもしれない。

 動物も植物もすべての存在はすべての種が互いに内部で循環している。

 根はひとつ、ということ。

 試験の、合否の結果もまたそれと同じ。

 畸形と畸形の狭間で泣き、笑い、感情をあらわにする。



 自室のドアノブをまわし、押して中に入る。

 朝、出かけたまま時間が止まったように机も椅子も本棚もベットもそこにあった。

 カバンをベットの上に置き、机の前に立って、A5サイズの茶封筒を手にした祥子は二度、深呼吸をした。

 緊張を心地よいと思う瞬間は、「かならず成功させる」という意識が働いているとき。

 いまの祥子は不安で仕方なかった。

 たとえ、「大丈夫だから」と強く願っても封筒の中身は変わらない。

 そのことを誰よりも知っているのは祥子自身だから。

 鼓動が強く、重くなる。

 Don't lay the blame for my result on a person.

 手が震えることなく封を開ける。

 それまでの苦労が脳裏に思い浮かぶこともない。

 取り出した紙に書いてあることを冷静に観る。

 Because, this way is my own choice!

 夢が現実に昇華された瞬間だった。



 すっかり春の陽気を感じさせる二月。

 昼休み、渡り廊下を歩く陽は何気なく窓の向こうに目を向ける。

 校庭の梅の木が白い花をつけていた。

 枝が揺れる、さびしげに。

「うめのはな、ゆれるおもはく、うらもなし」とつぶやいてから、陽はため息がもれた。

「ほぉ~、志水君が俳句をたしなむとは、知らなかったな」

 気がつくと、陽の側に寺門先生が立っていた。

 相も変わらず白衣に身を包み、にこやかに笑っている。

 陽はコクッと、首だけ頭を下げる。

「梅の花、揺れる思惑、思惑……なんだったかな?」

「……うらもなし」

「そうかそうか、『裏もなし』か。校庭に咲く梅の花が揺れているのは揺れたいのではなく自然に身を任せ、揺れてしまう……ことかな。なかなかおもしろい句だな。志水君は、いつも句を作っているのかね?」

「べつに……」

「べつに、なんだね?」

「たまたまです。……たまに」

「たまに、か」

 陽は、まずいとこをみられたなと思いながらうなずいた。うなずきながら足がその場から去ろうとしていた。

「志水君」

 一瞬、陽の足が止まる。

「岡本君が捜してたみたいだぞ」

 陽は背中で先生の声を聞いた後、「わかりました」と言葉を残し、その場を去った。



 理科準備室に行くと、秋人がいた。

 ストーブの側で足を組み、天文雑誌を読んでいる。

 陽は秋人の前に置いてある椅子に座った。

「呼んだ?」

「まぁね。一人? 甘粕さんと一緒とか」

「甘粕さんは走ってるよ」

「ふーん、元気だね」

「元気だよね」思わずため息が漏れた。

「校内マラソンも終わったのに」

「そうだね。で、なにか用事?」

 陽が訊ねると秋人は、そうだったという顔をして口を開けた。

 米倉先輩のことだった。

 先週、試験の結果が来て大学に合格したという。

「昨日会ったときに教えてくれたんだ」

「へー、よかったね」

 おめでとう、と祝いの言葉を口にする。

 うれしそうな秋人の顔。

「そうだな。そこで星詠組の活動もかねて、みんなでちょっとしたお祝いをやろうって思ってるんだ」

「いいんじゃない」

「十四日の夕方六時、オレの家で」

 相変わらず秋人は手際がいい。

 陽はそう思いながら指を折って数えだした。

 それに気づいた秋人が「日曜日だよ」と教えた。

 それを聞いた陽は不審そうな顔をする。

「十九日から学年末テストだよ。やるなら早いほうがいいんじゃないかな? 明日の十一日、建国記念日で休みだよ」

「聞くけど塾は?」

「……あるけど」

「だろ。あいてる日はその日しかないんだ」

「土曜日は? 学校ないよ」

「だめ、十四日」

「どうして?」

「どうしてって、相変わらずだな志水君は。十四日っていったらバレンタインだろ。この日は女の子からチョコがもらえる日なんだぞ。そんな日が日曜日で、学校が休みだなんてひどすぎる話じゃないか。そうは思わないのか」

 秋人はいまにもかみつきそうな見幕で大声を上げた。

 陽はお菓子業界が結託した陰謀に真剣にならなくても、と半ば呆れ顔で応えた。

「なにをいう。プレゼントというものは、そのもの自体に意味があるのではなくて、贈るという行為そのものに価値があるんだ。たとえ義理だとしても人が誰かに贈り物をあげるとするだろ、言葉も交わすだろ、相手の顔をみるかもしれない、そうするとコミュニケートのきっかけになるだろ。友人関係も恋愛感情も嫌悪感もすべてはここから始まるんだ。これを単純接触効果という。イベントなくして知り合うことはできない。バカにしちゃーいけないよ」

「でもさ」陽は頭をかく。「岡本君は酒元さんとつきあってるんでしょ、くわしいことは……その、よく知らないけど。つきあってるなら酒元さんからもらえるんじゃない? 一番ほしい人から、もらえたらそれでいいんじゃないの。義理ばっかもらってもうれしいのかな」

「ったく、張り合いのないヤツだな。だいたい今回のこの企画は祥子さんのパーティーでも、チョコをたくさんもらうということでもない」

「じゃあ、なに?」

「志水君のためだよ」

「ぼく?」陽は驚いた。

「甘粕さんのこと、すきなくせになんにも進展してないんだもんな。もうすぐ星詠組ができて一年たとうとしている。来年オレ達三年だよ。それなのに志水君は二年のはじめのときとあんまし変わってない。変わらなすぎるよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「……かな?」

「危機感ないなー、そんなんだと誰かに甘粕さん取られちゃうぞ」

 秋人のいうことはもっともだった。

 彼女のことだけだではなく、陽は自分自身のことでもそう思っていた。

 自分は一体なにをしたいんだろう。

 自分からなにかするでもなく、ただいたずらに毎日を過ごしていく。

 夢を持ちなさい。もっと勉強しなさい。やりたいことやればいいでしょ。ぐずってないで自分で決めれないの。そんなこと誰かにいわれなくたって自分が一番わかっている、でもだめなんだ、なにもする気が起きないんだ。ゲームしてもつまらない。漫画読んでもおもしろくない。音楽聴いてもパッとしない。アニメやドラマ観ても心が晴れない。

 一人じゃスポーツはできない。

 ただ一人になる時間が恐ろしくこわい。

 その恐怖にくらべたら、塾いって勉強してたほうが楽だ。

 なんにも考えなくてもいい。

 夜の闇を消すようにともる街灯、心にともしびがほしい。

 心の闇を取り払う光、希望というなにかがほしい。

 このままでは自分を壊しかねない。

 そう考えつくのに時間はかからないだろう。

 なにを求めているのだろう、そんな考えに襲われるときは顔を上げるようにしている。

 塾帰り、いつもそこには星があった。

 なにも変わらず星が輝いていた。永遠なんてあるのかな、永遠なんてないのかな、無意識に星を観ていると無性に手を伸ばしたくなる。背伸びをして、あの光をつかもうとしている。

 あの光、星の輝きを手にしたい、でもそれは叶わない。

 ショーケースにある宝石のようにさわれないから。

 だからあきらめる。

 手を伸ばすことも背伸びをすることもなにもかもあきらめる。

 どうせ手にすることなどできないのだから。

 どんなにがんばってもできないことはできないのだから。

 人生なんて、宇宙の広大さにくらべたらゴミなんだ。

 どんなにはしゃごうと嘆こうとゴミの存在にすぎないんだ。



 昼休みが終わる前に陽はクラスに戻った。

 教室に入ったとき、近くにいた洋子と目があった。

 タオルを肩にのせ腰に手を当て紅茶を飲む洋子、風呂上がりスタイルを連想させる。

「あ、志水君。元気ないね」

 陽は無理矢理、笑顔をつくった。

 洋子は彼に近づき、陽の額に手を当てる。

「顔色悪いし、熱もあるみたい」

「風邪、かな。少しだるいね」

「風邪のときは家で寝てたほうがいいんだよ」

「ありがと、やさしいね」

「ううん、うつされるのがイヤなだけ」

 それを聞いて、陽は言葉もでなかった。

 教室を見渡すと、二つ、三つ、空席がみえる。

 先月はインフルエンザで三日も臨時休校になった。

 今日は担任の梅里先生が風邪で休んでいる。

「甘粕さんは、元気だね」

「鍛えてるから」腕を曲げて力こぶをみせる。「志水君も走ったら?」

「……先週そうやって強引に誘ったから風邪ひいたんだけど」

「さ、さぁてと、席に着こうかな~」

 逃げる洋子の肩を陽はつかんだ。振り返り、

「ごめん……ね」

 洋子はすかさず謝った。

「……べつにいいよ。それより十四日の夕方、時間ある?」

「夕方? ……うん。どうして?」

「米倉先輩が合格したんだって」

「ほんと! へー、すごいじゃん」洋子の声のトーンが上がる。

「それで、十四日の六時から、岡本君の家で星詠組の活動もかねてお祝いしようって」

「十四日ね、OK。わかった。ふーん、そっか。受かったんだ、よかったよかった」

 洋子は自分のことのように祥子の合格を喜んでいる。

 陽はそんな彼女を黙ってみていた。

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