NOTE2

「アッキーとくみちょ~、みーっけ!」

 がらっとドアが開く。

 冷たい風と一緒に涼が室内に入ってきた。

「あけましておめでとさん」

 秋人は、はははと笑う。

「………………おめでと」

 陽は力なくいう。

 涼は気にせずストーブを見るや否や、脱兎のごとく近くの椅子に座り、台の上にカバンを置いた。

「さがしてたんだー」

 カバンの中に手を入れ、紙とペンケースを引きずり出した。

「オレ達を?」秋人は訊ねる。

「あのね、冬休みの課題でね、『わたしの夢について』ってのがあって、今日提出なんだけどまだやってないんだ。昨日、いろいろ考えてたんだけど、こたつに入ったままねちゃって……朝起きたらドカドカって、雪でしょ、もーびっくり。こんなんで学校あるのかなって思ったんだけど、友達に電話したら、あるよ、っていうから急いできたの。そしたら一時間遅れにするって放送があったみたいで。こんなことだったら、もう少し寝てたかったなー、朝御飯も食べてないんだから」

「作文か。去年と同じ題なんて進歩ねーな、うちの学校も」

 秋人は机の上の、原稿用紙をみながらいった。

 陽も横目でそれを観る。

「アッキーたちも? じゃあ、なんて書いたか教えて。参考にするから」

「参考って……」

 陽は顔をしかめる。

「オレは、ずっと星のことに携わっていたいから、カメラやパソコンは趣味でいいけど店とか持ちたい。寺門先生みたく、教師になるってのもいい考えだと思う……とかなんとか思ったことをだらだら書いたような気がする」

 さらりと秋人はいった。

 メモする涼。

「くみちょ~はなんて書いたの? 三文小説家、三流の詐欺師とか、三丁目のほら吹きおじさん、売れない噺家(はなしか)?」

「そんなこと書くわけないでしょ」

「だって、変な話ばっかするんだもん」

「へ、変な話って」

 無邪気であどけない顔の涼を前に、なにもいえない。

 無邪気は罪だ。

 平気な顔で人の心を傷つける。

 どうして無邪気がいい、なんていう人がいるんだろう。

 昔、ソクラテスというおじさんが「無知の知」といったとかいわなかったとか。無知だということを自覚してる人間は、立派だよ。

 陽はそう思いながらも口には出さなかった。

「それじゃあ、なんて書いたんです?」

「書いてない」

「え?」

「出してもない」

「くみちょ~、いけないんだー」

 陽は囃し立てる涼に見向きもしない。

 目を軽く閉じる。

 そしてゆっくりあける。

「雪がどうして白いか知ってる?」

「雪? ううん、知らない」

 涼は秋人と顔を見合わせてから、首を振った。

 陽は曇りガラスにさわり、手で曇りを取った。

 校舎と周囲の色がひとつとなり、日差しを受けて眩しく輝いている。

「毎年毎年、新年がくるとみんなお参りに行くよね。『今年は良い年になりますように』って。人の願いを叶えるためには空に輝く星の命を使わなくてはいけない。天の神さまは、苦労もしない我が儘な人間にこれ以上星を消すことに我慢がいかなかったんだ。そこで、夢を高らかに叫んでいる人ではなく、密かに胸の中に隠し持っている人の願いだけを叶えることにしたんだ。年始めに降る雪はね、叶えられることのなかった夢のクズで、その積雪量は夢の量。色が白いのは、思い上がったその傲慢さを白紙に戻し、心がけを改めなさいという神さまの怒りなんだ」

 陽は濡れた手をハンカチで拭きながら涼に振り向く。

「ぼくは、自分の夢を人に言えるほど、はっきり持っていない。でも、なにかあるんだ。それはぼくもわかってる。だけどそれをいますぐ文章なりなんなりで形に示せっていわれても、それはできない。種が芽を出し、茎を伸ばし葉を広げ、つぼみが膨らみ花となる。そして果実ができて種子を得る。それまで、時間がかかる。時間をかけたものはインスタントものよりもずっといい。ぼくの考えがいいか悪いのか、そんなのわかんない。けど、作文書かせるって行為は、学校が卒業後の進路を押しつけている、そんな気がする。ぼくはぼくのペースで夢をみつけたい」

 言い終わったあとの、陽の顔はサッパリしていた。

 秋人はそう思いながら涼の頭に手をのせた。

「三者三様だね。オレと志水君はもともと考えが違う。誰もが違って当たり前だよ。オレはオレなりの夢のかたちを持ってる、志水君は志水君の、涼は涼の。参考になった?」

「……なったのかな?」

 涼は自信なさげに腕組みをした。



 始業式が終わり、担任の短い話を聞いてから昼休みに入った。

 冬休みの終演と学校への回帰。

 長く退屈な時間からの解放。

 これから始まる授業への落胆。

 さまざまに交錯する人の感情。

 悲喜こもごもあふれる心理状態。

 それらが昼休みという幕間を濃縮させていく。

 お昼を食べ終えた涼が廊下に出たとき、階段を駆け下りてくる洋子の姿をみた。

「洋子せんぱーい」

「はい?」

 くるっと首だけ振り向きそのまま壁へ激突。

 へなへな~とその場にへたり込む洋子。

 涼は慌てて駆けよった。

「だ、大丈夫ですか?」

「あたたた……うん。わたしは丈夫にできてるから」

 笑う洋子。

 そういう問題ではないのでは。

 どうみても無理をしている。

 無理させているんだな。

 涼は心の中で反省した。

 洋子は涼の手を借りて立ち上がる。ぶつけた左肩を気にしながらさすっていた。

「それで、どうしたの?」

 笑みを作って洋子はいった。

「用事ってほどでも……新年だし、挨拶しておこうかなって」

「なるほど。おめでと涼ちゃん。よろしくね」

「は、はい、こちらこそ」

 涼はニコッと笑う。洋子も笑いかえす。

「急いでたみたいですけど……購買部にいくとこでしたか? お正月期間限定の、みかんから作ったあんとりんごから作ったあんの入った紅白まんじゅうが売ってましたけど……」

「それなら式前に食べた。購買部のおばちゃんと仲良くなっちゃって、一つもらったの。いやー、実においしかった。それにしても冬っていいね、りんごは北の産地、みかんは南の産地、冬のたのしい果物。やっぱ自然は偉大だね」

 ニッと笑う洋子。

 ははは、と涼はつかれた笑いをした。

「そうだ、涼ちゃん、暇?」

 なにか思い出した顔をして、洋子は涼に訊ねた。

「暇ですけど、なんです?」

 涼は気軽に応える。すると、

「じゃ、決まり。外いこ!」洋子は涼の手をつかみ、走り出す。

「はい?」涼の声が裏返る。外は雪ですよ、いまも降ってますよ、こんな日に外でたら風邪ひいちゃいます」

「ダイジョブジョブ」

「なにがですか」

「たかが積雪十五センチぐらいしか積もらないとこなんだから。それに学校来るとき外でたっしょ」

「なにいってるんですか」

「ん?」

「ミニスカの紺のソックスでいくんですか。手袋も、コートも、マフラーも、帽子も、ブーツもなしじゃ、凍え死んじゃう」

「オーバーだね、涼ちゃん。死なないって。肺炎ぐらいだね」

「いやー」

「平気へいき。親戚の綾ちゃんは氷点下の中でもミニスカのルーズルックなんだから」

「し、親戚って?」

「北海道」

「ひゃぁ~~」

 嫌がる涼を気にすることもなく、下駄箱へ到着した洋子。

 洋子は自分の靴を履く。その顔はとてもたのしそうだ。

「さあ、涼ちゃん」

「さ、さむぅ……。外に出なくてもここだけで充分寒い」

「そうかな?」

「ふぶいてる中で雪合戦なんて、いやですー」

「そんなチンプなことしないって」

「じゃあ、なんです?」

「雪中サッカー」

「サッカーですか?」

「そう。今年の正月、久々に親戚の家に行ったら友達と会えてさー。『雪中サッカーしよや』ってなったんよー。ひゃこい中でするサッカーはたのしかったさー、こっち戻って雪っしょ。量は少ないけど雪みるとやりたくなる。たのしんだぞー」

「あ、あの……きいていいですか?」

「なに?」

「親戚って?」

「だから北海道。小学校は向こうだったの、わたし。こっちに父さんが単身赴任に、一人じゃかわいそうだから、で、こっちに」

 洋子は少し自慢げに話した。

 涼は言葉が喉に詰まった。

 いままで変わった人だな、と思っていた。

 人とは違う感性を持ってるなと思っていた。

 どこかずれてる人だと思っていた。

 涼の胸の中で、彼女に対する思いが離れていくのを覚える。

 飛ぶ力と落ちる力がつり合ったときに感じる、さびしさにも似た感触に包まれた。

「あの……」

「行こっ」

「やらなきゃ、いけないこと……思い出しちゃって」

「ん? 用事」

「作文書かないと」

「さくぶん?」

 洋子は涼の顔をのぞきみる。

 一歩、後退する涼。

「はい……。わたしの夢について」

「はいはい。そういえば一年のとき、そんなもの書かされたね」

「洋子先輩はなにを」

「わたし?」

 洋子は頬に手をあて考える。

 涼は話をそらせたことにホッとした。

「翻訳家になりたいって書いた気が……忘れちゃった」

「忘れたんですか?」

「うん」

 洋子は腰に手を当て威張っていった。

「自分のやりたいこと、どうして忘れるんですか?」

「どうしてっていわれても、だいたい夢なんて変わるものよ。幼稚園のときは動物とたわむれたいって思ってたし、小学生のときは看護婦って思ってた。いまは、プログラマーかな。でも明日になったら変わってるかもしれない。それでもそのとき思ったことに嘘はついてないよ。そりゃ、ずっと同じ夢を持ち続けていけたらいいなって思うけど、それと職業は別じゃないかな。サラリーマンはサラリーマン、花屋なら花屋、ダンサーならダンサー、ずっとそれだけして生きていくわけじゃないでしょ。ラーメン食べたり、温泉入ったり、映画みたり、おしゃれしたり、昼寝したり、ゴミ捨てたり。会社が倒産するかもしれない。引き抜きや退職、トラバーユ、なにが起きるのか起こすのかわかんないのが世の中じゃん。いまできることをできるときにしておくことが、夢を大事に持ってることより大切なんじゃない。まだ十代で若いっていわれるかもしれないけど、二十歳まであっという間。二十歳はもう若くない、そう考えてる」

 洋子は自分の気持ちを言い終わると、涼を静かにみた。

 冷たい風が吹き抜ける下駄箱で、彼女の声は澄みきったふうに涼には思えた。

 嫌がるのではなく、追い払うふうでもなく、すべてを包み込む暖かさが声の響きの中にあった。

 ゆとり、なんだろうか。

 涼は陽のことを思い出した。

 彼は作文を書かなかった。

 その理由は、将来を学校に決めつけられてしまうからだといっていた。

 夢というものは人間の成長と、一緒に変化していくものなのかもしれない。そう、思えるようになった。

「それで、くみちょ~は出さなかったんだ」

「どうしたの?」

「くみちょ~言ってたんです。作文、書かなかったって。変わるもの書いてもしょうがないですよね」

「でも、出したよ」

「でも、だって……」

 涼の驚きに応えるように洋子が言った。

「昨年クラス委員してたのね、わたし。作文集めて、先生に持って行かなきゃいけなかったんだけど、志水君いつまでたっても書かないから、代わりに書いて出しといた。『もの書きになりたい』って。クラス委員として、期日までに提出物をそろえて提出する、これ当然よ」

 はたして、それで本当にいいのか?

 涼はなにも言い返せず洋子の顔をみていた。

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