NOTE3
金曜日の昼休み。
授業が終わると涼は教室を飛び出した。
階段を駆け上がり、二年三組にいる洋子を捕まえる。
そして渡り廊下を駆けだし、特別校舎の理科準備室に入った。
ノートとペン、望遠鏡を二人でもって階段を駆け上がる。
屋上に出る扉を開けた。
「あれ?」
張り切って屋上に出た涼の足が止まる。
視界に広がる世界は、重たい雰囲気のため息を集めたような曇り空。
青空も太陽も観えない、灰色の空。
「あらら、イヤな天気。じきに雨になるかも」
洋子は望遠鏡を床に置き「大変な思いして運んできたのに残念」と言おうとしたとき口が思わず閉じる。
目の前にはうなだれる、涼の姿。
「……涼ちゃん、どうしたの?」
洋子の呼びかけに涼は応えなかった。
彼女は床をみつめていた。
長い沈黙、黙ってる。
「涼ちゃん」
洋子は肩を軽く叩いた。
振り返る涼。
「梅ようかん、食べる?」
差し出された一口サイズのようかん。
「これ、は?」
「今月購買部に入った新商品、一口サイズ梅ようかん。一本、百円。一人限定二本までなんだ。梅酒ゼリーみたいな感じなんだけど、歯ごたえはようかんで、結構これがイケるのよね」
「へー、購買部っていろんなものが売ってるんだ」
「涼ちゃんはいつも昼はどうしてるの?」
「お昼は……食べたり食べなかったり」
「それは体によくないよ」
「でも、太っちゃうし」
「どれどれ」
洋子は涼のお腹を触った。
「ひゃっ!」
「ぜんぜん大丈夫じゃん」
「……洋子先輩って、顔に似合わないことしますね」
「そう?」
「はい」
涼は屈託のない洋子の顔をみていて、思わず吹きだしてしまった。
「今のは笑うとこじゃないんだけど」
「……す、すいません」
「いいって、それより食べよ」
二人はベンチに腰を下ろし、白い空を観ながら梅ようかんを食べた。
妙な甘さと酸っぱさが口の中に広がる。
なんだか気持ち悪いと思ったが、洋子からの差し入れだからと涼は我慢して飲み込んだ。
「おいしいでしょ」
「……まぁ、そーですね」
「でしょでしょ。絶妙な美味しさよね」
ちょっと味覚がおかしいんじゃないかな、と思いながら口に出せない涼だった。
屋上からは校庭ではしゃぐ声が聞こえる。
校舎内の騒がしい音も聞こえる。
車の音、電車の音、いろんな音が聞こえる。
音だけが聞こえる。
姿は観えない。
なにもないとこから声、音だけが聞こえるのは少し不気味な感じがする。
「屋上って……落ち着くね」
洋子はつぶやくように涼に言った。
黙ってうなずく。
落ち着くのは目に観えないところには必ず誰かいることを知っているから。耳に聞こえる音は拡声器から聞こえる録音ではないことを知っているから。鼓膜がふるえて脳に音として認識していることを本能的に知っているから。五感すべてが感じる情報が正しいことだと理由もないのに信じているから。無意識に考えることなく自分自身が感じる情報をただ快く信じているから。
「はりきってた涼ちゃんが、元気ないけど……どうして?」
「あの……先輩たちと逢えなかったひと月あまりの間、さみしかったんです」
わたしもそうだよ、と洋子。
その言葉にうれしさがこみ上げてきた。
「高校に入ったらがんばろうって思ってたのに、なにしたいのかわかんなくて、けど、とにかくがんばろうって、前に進まなければいけないって思ってた……私バカだからしかたないけど、学校やクラスの空気、勉強できないってだけで北極南極ツンドラ気候……ってカンジ。家に帰ってからも、明日のこと考えるだけでジェットコースターの頂上から落ちるとき感じる何もかもが奪われていくいやな気持ちがずっと、ずっとしててこわかった。三日前、志水先輩にここで逢った」
「志水君に?」
「はい。どうしてかわからないけど足下に重力感じて、ホッとしたんです。志水先輩じゃなくても洋子先輩でも、とにかく誰でもよかったんだと思う、私を必要としてくれる人がいるって思えるだけで……うれしかった」
「曇った空よりスカッと晴れ空の方がいいもんね」
「はい」
「けど私はこの空の方が、今の私には合ってる」
今度は洋子が元気がない。
聞き役にまわる涼。
「どうしてです?」
「なんとなく、私がスッキリしてないからかな。雨降るのか降らないのかはっきりしない、泣きそうで泣けないところがね」
「くみちょ~とケンカでもしたんです?」
「そんなんじゃないけど」そう応える洋子の声が小さくなった。
「くみちょ~ってホラばっかで、変なことしか言わないですよね」
「そう、はっきり言わないのよ。自分の気持ちは言えないのに変なことは言う」
「でもおもしろいです、なんか」
「多少はね」
「かわいいですね」
「誰が?」
「くみちょ~」
涼の言葉に、少し考える。
洋子より頭一つ分は低い身長の彼。
ある意味かわいいと言えば、言えなくもない。
「あほなとこも、好きです」
「誰を?」
「くみちょ~ですって。洋子先輩は好きじゃないんですか?」
「好きっていうか」
背を丸めて、声のトーンが落ちていく。
ため息が出そうな雰囲気。
「嫌いですか?」
「はっきりしないヤツは嫌い」
「そうなんだ」
「涼ちゃんは、志水君のこと好きなの?」
「ん~、嫌いと言えないからすき、なのかな。」
「ふ~ん」
「私、洋子先輩とくみちょ~って、いくとこまでいってると思ってたんですけど」
はあ?
さすがにおどろいて、思わず声が裏返る。
「涼ちゃんも、顔に似合わないこと言うね」
「そう? なんか変ですよ、洋子先輩」
「最近こんな感じ……どうしてこうなっちゃったのかな」
「洋子……先輩?」
洋子はその後、チャイムが鳴るまで一言もなにも言わなかった。
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