NOTE3

 養老天命反転地の外に、芝生広場がある。

 そこでお昼にしようと寺門先生は言う。

 洋子はよろこんで一番最初にカバンから取り出した。

「なんや、おまえら」

 みんなの弁当をみて、寺門先生は声を上げた。

 祥子が持ってきた弁当以外、手作りはひとつもなかった。

 秋人はコンビニで買ったすぶた弁当。

 陽もコンビニのサンドイッチバスケット。

 和樹はインスタントのキムチラーメン、水筒の中にお湯を入れて持参。

 涼はカロリーメイト、ダイエット中らしい。

 洋子はモスバーガーのきんぴらごはんバーガーセットと小僧寿司のいなり寿司、それに巻きずしセットだった。

「作ってもらえないのか? 自分で作ったらどうだ?」

 寺門先生は深く息を吐き捨て、奥さんが作ってくれたご飯をかけ込んだ。

 昼食を食べ終え少し休んでから、バンガローに行き、みんなで荷物を運び入れている。と、秋人が星をみるための場所を探さないといけないなあ、ということを言った。

 バンガロー前もいいけど、見晴らしのいいところでみたい。

 それはみんなも、同じ気持ちだった。

 寺門先生は、

「夕食の用意をするグループと、場所探しのグループに分けるか」

 と言い、場所探しグループは秋人と和樹と涼の三人、残りで夕食の準備に取りかかろうと決めた。

 手を振り三人を見送る。

 寺門先生は陽と火をおこし、祥子と洋子には米とぎと野菜切りをさせようとしたが「今は男でも料理を作る時代です」洋子は少し強きでしゃべり、陽にはそうでしょと同意を求めるような目線を送る。

 そうかもしれないな、と思ってしまう陽は洋子とかわり、米とぎをすることになった。

「自分の意見はしっかり持ってたほうがいいよ」

 と、祥子は陽に話しながら、

「洋子さんはきっと苦手なのかもしれない」と呟く。

 なにが苦手なんですか、と訊く陽の米をとぐ手つきは慣れていた。

 米とぎが終わり火にかける。

 次は野菜切りだ。

「今夜のメニューはなんですか?」

 陽は寺門先生に訊く。

「鉄板焼きだ」

 そう言ってバンガローから大きな手の板を引っぱり出してみせる。

 わあおぉおー、焼き肉だぁーと、うれしそうに洋子が声をあげた。

「よろこんどらんと、手伝わんか」

「す、すいません」

 寺門先生の声に慌てて、洋子は鉄板の端を持って運び出した。

 祥子はそれをみてくすっと笑う。

「ねぇ、陽クン。さっきのところはおもしろかったね」

 カボチャを切りながら陽はなんのことかわからず、何がですかと訊こうとしたが午前中歩き回ったテーマパークのことだろうと察しを付けて、そうですねと応えた。

「あそこから出たあと平地を歩いたらフラフラして逆にうまく歩けなかったですよ、平地ってこんなに危険なんだって」陽は笑った。

「そうね」

 祥子も笑い、

「ところで」

 急に小声になり、

「洋子さん元気になったみたいだけど、なにかしてあげたの?」

 と言った。

 陽は首を振りながら、

「いえ。あそこを歩き回ってたらすっきりしたみたいですよ」と応える。

「なにか悩み事でもあったのかな?」

「わかりません、……しがらみが、どうのこうの……って言ってましたけど」

 しがらみ、か。

 祥子は目の前に広がる木々に視線を向けた。

 誰かが用意した闇、その闇にどうしても縛られもがき苦しんでしまう。

 わたしも彼女も彼も……誰もが闇を持っている。

「ところで先輩、先生は僕たちをここに連れてきてどうする気でしょう」

「キャンプでしょ」

「……そうだけど」

「あれこれ詮索しない。いいじゃない、たまにはボーっとするのも。私はありがたい」

「そう言えば、先輩は受験でしたね」

「受験はあったらあったで迷惑だけど、なければないで大迷惑よ」

 そうですか? 陽は横にいる祥子の顔を覗き込む。

「受験ってすごいストレスがからだにかかるの。でもね、それはそれでいい刺激なのよ。受験やめてノンストレス状態を作り出したら今以上にストレスが自分の中に貯まってしまう。内に貯まった力を吐き出す場所がないと自分自身を崩壊させちゃう。つまりメルトダウンね。かろうじて受験でそのはけ口を作っているけど……」一息置いて、「知識を詰め込むことが内にストレス貯めることと一緒なんだよね」祥子は笑顔をしてみせる。

「……つかれてますね、先輩」

「うん。すっごくつかれてる」

 笑ってみせた祥子の顔をみて、陽は来年は自分が受験か、と胸の内でつぶやいた。

「陽クンに質問」

「なんです?」

「陽クン、前……コミックサークルにいたでしょ。どうして辞めたの?」

 唐突に祥子が訊く。陽は顔を背けた。

「小説が書きたかったの? だったら文芸部に入ればよかったのに」

 陽の目だけが祥子に向く。

「文化祭のときコピー本出したよね、クラスに一冊くばって。陽クンの書いた話、おもしろかったよ」

 それは、どうも。

 陽の顔が少しいやそうだった。

「どうして辞めたの?」

「……別に理由なんて」

「そうかな、私はそうは思わないけど」

 陽はまわりをみた。

 日光の反射が明暗を生み出し、鳥のさえずりと風に葉がかすれざわめく音がきこえる。

「私、文芸部の部長してたの。ウチの部員よりも独創的で、いいなって思った。辞めたのならウチに来てほしかったな」

 そうですか。

 陽の声にため息がまじる。

「言いたくないことは誰だってあるよね。ごめん、もうきかないよ」

 祥子が黙ると急に静かになった。

 陽はその場で目をつむった。

 右手で数える心地よい音。

 虫の音、水の音、風の音、小鳥のさえずり、しーんとした音。

 左手で数える耳障りの音。

 車の音、人の咳、話し声、遠い空の飛行機、腕時計の電子音。

 陽はその場に寝ころんだ。

 音もなく雲は流れていく。太陽は静かに輝いている。小鳥が鳴いて飛んでいく。不思議と、いままで聞き慣れていた音が急にうっとうしくなった。祥子と話していた会話も、学校生活の会話も、街が生み出す音もすべて雑音に思えてくる。今まで気にもとめなかった音が気持ちを楽にしていく。空と風、川の水と草が心を開かせる。

「先輩……先輩は、自分がいやになったことがありますか」

「……ときどきね」

「入学したとき……急にまわりが加速して動き出したんだ。自分もなにかしなくちゃって、そう思って成り行きでサークルに入った。できてまだ間もないサークルらしくて、でもみんなとってもやさしかったんだ。楽しかったんだ……。でもあるとき気がついたんだ。このままやさしさに甘えられない。来年は二年生、その次は三年生。動き出した時間は止まることなく加速していく。僕は自分がしたいこともやりたいこともよくわかっていないのにそのサークルにいて、次の一年生の上に立つなんてこと、僕にはできなかったんだ。……同じクラスの甘粕さんはすごいよ、一年で大会に出て一位だもんな。でもケガしたから辞めたってきいたときは正直驚いた。けど……自分のすきなことまっすぐみつめている人はいいな。僕は自分が情けなく思えて……」

「いまは星詠組の部長でしょ、しっかりしなきゃ」

「しっかりって言われても……このサークルだって岡本君が誘ったんだ。僕の意志は……ないよ」

 そのあと、陽はしばらく口を閉じていた。

 祥子は隣にいながら声をかけなかった。

 優しい言葉も励ましの言葉も無意味だと思ったからだ。



 日が西に傾きかけた頃、夕食を取り始めた。

 洋子は焼き肉がそんなにうれしいのか、隣で陽がならべた焼けたお肉を箸でつまみタレをつけて食べていく。

 焼けてはつまみ、食べては箸をのばす。

 気がつくと鉄板の上は野菜だけになっていた。

「甘粕さん、お肉食べ過ぎ」陽がぼそっと言う。

「育ち盛りは食~べ盛り、ってね」洋子は口にお肉を入れる。

 すっかりお肉がなくなってしまい、みんなの分まで洋子が食べてしまった。

「よく食べるな、甘粕クンは」寺門先生は席を立って「昨日、川でつってきたヤツをもってきたんだが」と言ってクーラーボックスを開けてみんなにみせる。袋の中に水と一緒に魚が数匹泳いでいた。

 寺門先生が一匹つかんで、内臓を取り出そうとする。

「ひぃ!」

 それをみて、みんなは一目散に逃げだした。

 一番遠くまで逃げたのは涼と洋子だった。

「おまえら、どうした?」寺門先生が訊ねる。

 木の後ろに隠れた和樹と祥子は顔を見合わせ、おそるおそる和樹が応える。

「先生、……そ、それ、生きてますよ」

「当たり前だ」

「……ピクピクしてますよ」涼が指さす。

「元気があるな。早く焼いて食べるぞ」

「た、食べるんですか、……カワイソ」洋子は顔をしかめた。

「あのな、命は命を食って生きてくんだ。スーパーで売ってる魚の切り身だけを食ってるような食生活が健康ではない。いいから戻ってこい」

 先生はそう言ったが、誰もすぐには戻ろうとはしなかった。

 みんなが戻ってきたのはすべての魚から腸を出し終えてからだった。

「まったく、コンビニ弁当やファーストフードなんてこじゃれたものばっかり食べて、からだにいいわけない。……確かにおいしいし、手軽だし、ワシもたまに食べる。本当にうまいからな、だが毎日はダメだ。食品添加物にあふれてるからな」

 みんなはまわりを囲むように座り、鉄板の上で魚を焼く。

 音と共に煙が上がる。魚が焼けていく匂いが辺りに広がる。

 生き物が食べ物に変わっていく。

「川魚ってきれい? 食べてもおなか痛くならないかな?」

 ジュ、ジュと焼けていく魚を前に涼は呟く。

「なるかもしれんな」

 寺門先生は焼き上がった魚を手にし、平然な顔をして言った。

 食べようとしていたみんなの手が止まる。

「コンクリートで作り上げた川にはみせかけの自然しかないし、平気でゴミを投げ捨てて汚された川、環境ホルモンを懸念するとこだな」

「じゃ、食べない」涼はプイッと横を向く。

「食べるか食べないかは勝手だが、酒元君が日頃食べている加工食品には調味料、乳化剤、増粘剤、色素、膨張剤、制菌剤などなどいろんなものが入っている。調味料にしても長ったらしくて聞きなれないカタカナ名の化学物質が入ってるものを食べているんだぞ。それにダイエットは食事制限することじゃない。必要なもの、自分が食べたいもの、食べなくてはいけないものを考えながら食べることが大切なんだよ」

 火の向こうに寺門先生の顔が浮かんでいた。

 半分怒った、少し悲しげな顔をしていた。



 静かに夜のとばりがおりていく。

 一番星が輝くころ、地上にも無数の光が現れていた。みんなが囲む火の明かりもその一つに含まれる。

 寺門先生はゆっくりした口調で語る。

「世の中いろんな食べ物がある。これひとつ食べればすべての栄養が取れるとうたうモノや、朝御飯を食べたフリをする錠剤なんかもある。人は魔法の食事を求めているみたいだがそんなもの、ありはしない。ワシとみんな、それぞれ同じモノを食べたとしても栄養の摂取量には個人差がある。この食べ物を食べたらこれだけのカロリーで、これこれのエネルギーだとうたっているモノはデーターにすぎん。食事は計算で食べるんじゃない。必要だと思うモノを必要な分だけ食べればいい。まぁ、悪い食生活して自分を痛めつけたいという人間なら、ワシは別に気にはしないがな」 

 みんなは黙って聞いていた。

 ゆらめく火の明かりを前に座って聞いていた。

 みんながア然としている中で、寺門先生は「いただきます」と言ってから焼き肉のたれをつけ、おいしそうに骨までしゃぶって魚を食べ、少し焦げたご飯をよく咬んでたいらげた。

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