NOTE3

 いつもなら水曜日の放課後は星詠組の部活の日。

 今日はお休み。

 文化祭が終わるまで集まりはナシと、みんなで決めた。

 壁新聞ができあがった洋子の班はサッサと教室を出ていく。

 洋子はカバンに教科書とノートをしまいながら、陽に声をかける。

「ねぇ、志水君。今日一緒に帰らない?」

「えっ、……僕?」

「他にいる?」

「……でも、甘粕さん、部活あるじゃん」

 陽はちょっと冷たく応えた。

「星詠組はないって、決めたじゃない」

「でも……甘粕さん、陸上部あるじゃん」

「あれ? あんなのいいって。先生に言われて仕方なくやってるんだから」

「この前、タイムあがったって喜んでたじゃない」

「それはそれ、これはこれよ。イヤイヤやってるんだから、サボっちゃえばいいのよ」

「僕は、好きでやってると思ってた」

 少し沈みがちな表情。

 陽はカバンをもって席を立つ。

「そりゃ……好きだよ。陸上部に戻って……練習したときは『私、帰ってきたんだー』って思ったから」

「だったら、さぼりはダメだよ」

「う~~~ん、けど」

 洋子はカバンをもって陽の後を追いかける。

「でも無理矢理やらされて、楽しめないよ。気持ちがおいついてこないんだって。だから一緒に帰ろ?」

「……なにもおごらないから」

 陽は言った。

 どことなくやつれて疲れた感じ。

 ため息と一緒に口から出したような言葉の言い方だった。

 拒否。

 拒絶。

 断絶。

 なにかが音をたててぶち切れた。

「ケチ! ドケチ! いーじゃん、おごってくれたって」

 廊下に出たところで洋子は陽に怒鳴った。

 突然怒った洋子に、陽はわけがわからず口をぽかーんと開けている。

「いーよいーよ、行きますよ。部活だってなんだって、行きますよーだ。じゃあね!」

 洋子はさっさと歩いていく。

 振り返ることはしない。

 前を向いてトットと歩く。

 廊下中に聞こえた洋子の声は、周りの人たちに丸聞こえ、何事が起きたのだと視線が二人に向けられた。

 洋子は気にすることなく歩いていく。

 ただ、陽の反応を気にしていた。

 なにカリカリしているんだろうと自分に言いきかせる。

 ひどいことを言っちゃったのかなと自分に問いかける。

 ひょっとして怒らせちゃったかなと自分を責めてみる。

 チラッとふりかえる洋子。

 廊下のすみに陽は移動していた。そして、彼の隣になぜか祥子の姿。

「祥子さんが……どうして?」

 二人はなにやら会話をし、陽は小さくうなづく。

 そして渡り廊下を歩いていく。

 祥子は彼と別れて歩き出す。

「こっちにくる!」

 洋子はあわてて壁側により、窓を開けて外の景色に目を投じた。

 空を覆う白い雲が観える。

 祥子はもう通り過ぎてしまっただろう、洋子はその時期を見計らって振り返る。と、目の前に彼女が立っていた。

「……しょ、祥子さん!」

「元気そうね、洋子さん」

 祥子は笑みを浮かべた。

「ど、どーも、いやぁ、ホント今日はいい天気ですね」

「そう? 曇ってるよ」

「……あっ、そ、そうですね」

「どうしたの? あわてて、挙動不審ね」

「そ、そうですか」

「いつもの洋子さんらしくないけど、どうかした?」

 祥子は心配そうな顔をする。

 しらじらしい。

 洋子は頭をどつかれたような気分になる。

「祥子さん」

「なに?」

「し、志水君に……なにさせてるんですか」

「陽クン? ……あぁ、ごめんごめん。洋子さんに断りもなく使って。彼、けっこう器用で使い勝手よくて調法してるのよ。場所も取らずにコンパクトに収納できて」

「志水君は道具じゃない!」

「そうね。でも サイフでもないと思うけど」

「うぅ、そ、それは……」洋子はたじろぐ。

 祥子の笑みが不敵にみえる。

「かわいそうに、陽クン。いきなり廊下で怒鳴られちゃって」

「……だ、だいたい、先輩が」と言いかけたところで洋子はあわてて口を閉じる。

「私が、なに?」

「……な、なんでも……ありません」

「そう?」

「……一体、志水君と、なにを」

「気になる? 彼ってね、見かけによらずすごいのよ。驚いちゃった。人は見てくれで判断してはいけないってこと、改めて実感した。おとなしくて頼りなさそうにみえるんだけど……いざってときは……ねぇ」

「……な、なんなんですか」

「ん~~~、こればっかしは洋子ちゃんにでも、ひ・み・つ☆」

「秘密って……一体学校でなにしてんですか!」

 洋子は大きな声で祥子に怒鳴った。

 窓が開いていたためその声は外を歩いていた人たちにまで聞こえ、みんなの視線がテニスの試合で観客がボールを追いかけるみたく、一斉に洋子に向けられた。祥子は気にせず応える。

「……文化祭の仕事、手伝ってもらってるだけだってば」

 この前洋子にも頼んだことだと、祥子は言った。

 それを聞いて、すぐに思い出す。

「そうよ。顔真っ赤にしてムキにならないでよ」

「ム、ムキになんか」

「動揺はしたでしょ。一体なに想像したんだか」

 まともに祥子の顔をみれない洋子は苦笑するしかなかった。

 それでも笑いながらホッとする自分がいることを認めた。

「……志水君、人がいいから」

「そうよ、だから悪いと思うんだけどつい頼んじゃう。頼みやすいのよ」

「そうですよね、今度部屋の片付けでも頼もうかな」

「自分の部屋くらい自分で片付けた方がいいと思うけど、洋子さん」

「ははは……そうですね」

 洋子は笑って祥子と別れ、部活に向かった。



 金曜日。

 朝から降り続く雨は激しさを増し、空からこぼれる水は窓をたたく。

 放課後、陽は生徒会会議室にいた。

 文化祭を残り一週間にひかえ、各クラスに配布する当日の開式、閉式のプログラムと、後片づけに関する注意の原稿をつくっていた。

 メモ程度の下書きを観ながらワープロのキーを叩く。

 単純単調な作業を薄暗い部屋で一人さびしく取り組んでいた。

 ワープロを打ちながら陽は教室を出たときのことを思いだした。



 数刻前。

 洋子が窓を指さしながら問いかける。

「志水君、この雨、いつやむかな」

 窓を観ると外は大雨。明日にも台風の暴風圏内に入るらしい、と新聞に書いてあったことを思い出す。週明けにでも台風は行ってしまうだろう。

「人がつくため息がなくなれば、すぐやむよ」

 陽は冗談のつもりで言った。

 いつもの彼女なら「なにそれ、変なの」と聞き流すのに、

「ため息、か。私は今までいくつため息してきたんだろう……」

 と言った。

 いつもの明るさがない。

 よくよく考えてみると最近、彼女は笑っていないことに陽は気付いた。

 雨は人の心をユウウツにさせるからかもしれない。

 それとも「秋」いう季節がそうさせるのだろうか。

「元気ないけど……どうしたの?」

「……そだね」

「どうしたの、ほんとに」

「なんでもない、なんでも」

「そう?」

「うん」

「……帰らないの?」

「小雨になるまで待ってみる」

「そう」

 陽は席を立つ。

 洋子は机の上にふせりながら、窓の外をぼんやり観ている。

「それじゃ……ね」

「うん、バイバイ」

 彼女は背を向けたまま手を振った。

 儀礼的な挨拶だった。

 廊下に出てから、もう一度彼女を観た。

 にぎやかさを失いつつある教室で、背を向けて座っている彼女の姿がなんだか小さく感じた。

 たった数メートルの距離なのに、ずいぶん遠くに行ってしまった気がして、妙なさみしさを感じた。

 まるで彼女がどこかに行ってしまうような、そんな気がしていた。



 変換のキーを押し、漢字を固定。

 無変換を押して、文章をつなぐ。ディスプレーの明かりが室内を照らしていたのに、急に明るくなった。

「電気ぐらいつけたら? 陽クン」

 顔を上げると、ドアの前に祥子が立っていた。いつ入ってきたのか気がつかなかった。

「先輩、お疲れさまです」

「はい、お疲れ」

 祥子は陽の後ろに立ち、画面をのぞく。

「できた?」

「えぇ、あとはプリントすれば」

「それじゃ、お願いね」

「はい」

 陽は紙をセットし、キーを叩く。

 機械の音とともに紙が中に入っていく。

 室内は雨音と機械音が響く。

「もう終わったんですか?」陽は話しかけた。

「まぁね。授業終わったあとの補習はイヤね。なんだか疲れがドッときちゃう」

「うわぁ」

「おまけにすごい雨。台風来てるのね。こんな日は早く帰りたいってのに……あ、ごめんね。引き止めちゃって」

「いいですよ。いま激しいですから、もう少しおさまってから帰ります」

「そうね、賢明な選択よ」

「どうも」

「……それにしてもよく降る雨。どうして雨なんか降るのかな」

 祥子が不意につぶやいた。

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