NOTE2

 数日前のこと。

 陸上部の練習から解放され、やっと家路につけると思って洋子は教室に戻ってきた。

 隣の机に置かれたカバンに気づく。

 陽はまだ帰っていない。

 一緒に帰っておごってもらおう、洋子はそう打算をつけ、しばらく教室で待つことにした。

 ただ待つだけでは芸がない。

 教壇の後ろに隠れて脅かしてやろう、洋子は急いで身をひそめた。

 数分後。

 陽が教室に戻ってきた、祥子と一緒に。

 なぜ彼が彼女と一緒に教室に入ってきたのかわからなかった。

 九月に入ってから陽はつきあいが悪かった。

 夏休み、星詠組で行ったキャンプ。あれ以来、二人でいるときが増えた気がする。

 二人が教室を出ていくまで、洋子は教壇の後ろに隠れていた。

 どうして、隠れないといけないんだろう。

 二人の話し声、笑い声がやたら気になって仕方なかった。



 洋子は急に黙ってしまった。

「おごってもらったお礼ですか?」

「……ん、なに?」

 和樹の言葉に洋子はふと我に返る。

「詳しく知りませんが……志水さん、当番にきませんから。頼まれてきてるんですよね?」

「当番のこと? まぁ、ね」洋子はうっすら笑みを作ってうなづいた。

「文化祭の用意で忙しいんですか?」

「忙しいといえば……忙しいけど。羽林君のクラスはなにするの?」

「合唱です」

「へー、なに歌うの?」

「翼をください」

「ふーん、がんばってね」

「はい。甘粕さんのクラスは?」

「壁新聞。班ごとに一枚ずつ書いて、廊下に貼るの。もう少しパーッとしたのをやって、羽目を外したいのに」

 うちの学校は地味でつまらないね。

 洋子は苦笑した。

「それはそれで大変だと思いますけど」

「……一体なにしてるんだか、志水君」

 つぶやいた言葉をかき消すように、洋子は麦茶を飲み干した。




 同時刻。

 管理校舎二階、生徒会会議室に陽はいた。

 九月に入ってから、昼休みはここで文化祭運営関係のプリントを作成している。一種の抑留、監禁、缶詰状態。

 依頼人は祥子だ。

 八月のキャンプのとき、突然、つきあってと言われたときはなにごとかと思った。事情を聞くと、生徒会の仕事を手伝ってほしいということだった。なるほど、確かに三年生は受験で忙しく、文化祭、部活など普通の生徒の大変さに加えて生徒会の仕事もある。

 瞳をうるませ、今にも泣きそうな顔で懇願されてはイヤとは言えない性格が、ふたたび陽に首を縦にふらせた。

 以来、プリント作成の日々に明け暮れている。



「進んでる?」

 ドアを開けて祥子が入ってきた。

 手にはコーヒー缶を持っている。

 祥子は陽に差しだし、彼の座る隣の椅子に腰掛けた。

「だいたいは……できたけど」

「どれどれ」

 祥子が陽の手元のプリントを覗き込む。

 陽の頬を彼女の髪がふれた。

 ラベンダーの香りがする。

「毎日、無理言ってゴメンね」

「……ううん、そんなこと……ないです」

「クラスの方の準備も大変だろうに」

 祥子は陽から離れ、頭を起こした。

「だ、大丈夫……ですよ。別に、僕ひとりが準備してるわけじゃ……」

 頭がボーっとして顔が熱くなってくる。自分では落ち着いているつもりなのに動揺している。

 祥子は笑う。

「そうよね。で、陽クンのクラスはなにするの?」

「うちは壁新聞を……」

「あぁ、なるほどね」

「米倉先輩の……クラスは」

「うちは上映。春から少しずつ撮ってたのよ、それを編集して、音楽つけて、文字スーパーいれて、上映会」

「……へー、すごいですね」

「一年間撮って、卒業式のとき一人ずつもらえるんだから」

「担任の先生が?」

「そう、自腹切ってくれるみたい」

「いい先生ですね」

「うん。陽クン知らない? 棚橋先生」

「……名前だけは」

「いい先生だよ」

 祥子はプリントの枚数を数えながら話す。

「……ところで、受験勉強って大変です?」

「それほどでもないけど……それほどでもあるかな。私は、目標持ってるだけ持ってない人よりは楽に観えるかもしれないけど、それでもね、大変なものは大変よ。はやく終わってほしいって思うけど、終わるってことはなんらかの結末をむかえているわけだから……『終わらないでー』って気持ちもあるかな。だって、受験なんてしょせん、通過点にすぎないでしょ、たとえて言うなら私たち受験生はラグランジュ点のたまり場にいるようなもの。ときどき永遠なんてモノを考えちゃう」

 祥子はずいっと陽に顔を近づける。

 陽は思わずのけぞる。

「……卒業したくない、と言うことです?」

「う~~~ん、なんていうのかな、外惑星の視運動みたいに気持ちだけが逆行しちゃうのよ。三年生、今の自分って一度きりじゃない。それなのにこの一年間は今まで過ごしてきた一年間よりも、時間が加速しているみたいに感じるのよ。『もうちょっとゆっくりすすんでー』って、つい叫びたくなっちゃう。陽クンはそう思うことはまだない?」

「小学校のころを思い出すと、ずいぶん遠くにきたなって思いますけど……ちょっと」

「来年になるとわかるのよ。でもわかったときには遅いんだから。スイングバイしてあっという間に卒業しちゃうから」

 そうですね、と言いながら陽は苦笑した。

 きっと受験勉強のストレスがたまっているんだろう。

 三年生は大変だ。

 祥子の話はまだ続く。



「最近自信なくて不安、っていうか……こんな勉強ばっかしてて大丈夫かなって。推薦受けるんだけど、来月から面接の練習もするのよ」

「だ、大丈夫ですよ、先輩。頭いいじゃないですか」

「中身より見た目よ」

「見た目も……先輩、きれいだから」

「あのね、推薦試験は面接と作文、内申の評価で決まる……私、あがり症だから変なこと口走りそうで、気になって」

「はぁ、そうです……か」

 陽はうつむいた。

 人が困っているとき、なんて言えばいいのかわからなかった。

 なにを言ってもあおってしまう。

 かといって、なにも言わず黙っているのはこの狭い空間が許さない。

 生徒会議室に二人きり。しかも自分の隣に彼女が困っている。

 コンナトキ、ドウシタライインダロウ。

 陽は口を開けた。

「えっと、……あ、あの……先輩、やるまえから心配しても……」

「心配はいつも先に来るものじゃない」

「……そ、そうですね」

「不安ばっかでさ、勉強もあんまり手につかないとき、あるのよね」

「そうですか」

「そうなの」

「そうなんだ。とちらないように練習するしかないですね」

「わかってはいるんだけど、悩んじゃうと体が動かなくなるのよね。まるで好きな人に告白するときみたい。ポカしたらどうしよう、キライって言われたら……とか、自分の気持ちを伝えるだけでも、って思っても直前になると足がすくんでやめちゃう。いっそのこと言わずにこのまま友達の関係でいればいい、って思うんだけど、そのうち誰かに取られちゃう、とか、いきなり転校、とか、病気とか事故で、とか、卒業で。あとで悔やむのよね。どうしてあのときもう少し勇気をださなかったのだろうか、どうしてあのときの自分には勇気がなかったんだろうか、どうしてあのときもいまも同じことをくり返すんだろうかって。どんなことでも最後の一歩、踏み出すか踏み出さないか、四十九対五十一、右か左か、天秤がどちらに傾くか、言うべきときに言っておかないと人生変わっちゃう。あのとき言っておけばよかったって、悔やんで後悔するのよ。……ま、推薦試験はそうでもないか。告白するよりは楽だけど、やっぱり不安ね」

「……はぁ」

 自分がかける言葉はいらないような気がしてきた。

 彼女の頭にはもう答えが詰まっていて悩んでいることを楽しんでいる、陽にはそうみえた。

「今日はありがと。陽クン」

「あ、……いえ」

「また……頼める?」

「でも、これで終わりって」

「それは終わりなんだけどね。あとひとつあるのよ。それはそんなにかからないから……頼まれてくれない?」

「でも文化祭の用意が……星詠組のだって」

「あと、一日だけだから。お願い」

「……わかりました」

 陽は胸の内でため息をついた。

  ……はやくひとのいい性格から抜け出したい……

「ありがと、さすが陽クン。星詠組の部長ね」

 祥子はほめるが、陽は少しもうれしくなかった。

 陽を解放するチャイムが静かに鳴り響いていた。

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