第六話 くりが口を開けて笑うころ

NOTE1

 夏はいつ終わったんだろう。

 お盆がすぎてから?

 夏期講習が終わってから?

 夏休みの宿題を提出し終わってから? 

 暗室でモノクロ写真の現像をする秋人はなにげなく思った。

 九月に入り、二学期。

 暑さの中にも寒さが入り交じり、台風が近づいている知らせ。

 ここ数日、ぐずついた天気で水泳はなくなった。今年の夏はあまり暑くなかった。テレビや新聞、メディアは異常気象と騒ぐ。昨年の今頃はまだ半袖を着ていたのに、長袖を着なければならない。季節は梅雨、六月に戻ったような感覚。逆さにすれば九月。六と九は背中あわせでできているのかもしれない。

 夏はいつ終わったんだろう。

 来週末は文化祭。

 写真部は星詠組と合同で展示会をすることに決まった。

 ユーレイ部員でろくに顔を出さない連中にも招集をかけ、各自十枚のノルマを与え、撮影してくるように言ってある。締め切りは今週末、あと二日しかない。全員、期日を守るだろうか? 秋人は胃が痛かった。

 胃をキリキリさせている原因はもうひとつある。

 星詠組の展示物だ。

 夏休み、寺門先生の話と体験をふまえて自分が身近に星を感じることができること、誰もがいつでも星や自然と共に生きていることを知る方法を、それぞれ自分なりの表現で発表することを決めた。

 秋人は天体写真を展示し、それを観てもらうことで少しでも身近な星に興味を持ってもらおうと思っている。

 思ってはいるが……正直、それでいいのかわからない。

「知る」とか「感じる」はそれぞれ個人の主観が決めることだ。

 いまのままでは自分の思い描くことを相手に押しつけるようなことになりかねないのでは? それ以前に他人に自分の思いを伝える難しさ。

 絵に描いた料理のうまさを言葉以外の方法で伝えるようなものだ。

 互いの脳に回線でつないでダウンロードできたらどんなに楽だろう。

 秋人はため息をつきながら像の浮かび上がった印画紙を水の入ったバットに浸した。カラーとは別の、味のある絵となるのがモノクロだ。

 一番の点は自分で現像できる手軽さだ。

 感光させる時間によって絵の色の濃さが変わる。

 同じフィルムでも同じ写真にはならない。

 手軽さを持つデジタルカメラも、これはまねできない。

 水からあげた印画紙を洗濯ばさみで頭上に貼った針金に挟むと、秋人は暗室をあとにした。

「アッキー、みーっけ!」

 ドアを開けると涼が指さして立っていた。

「お、脅かさないでよ。酒元さん」

「こんど、アッキー、鬼ね」

「ここでかくれんぼしないでくれる?」

「だってー、つまんないもん」

「そっか、つまんないか」

 やれやれ、と思いながらも秋人は顔には出さず笑って見せた。

 近くの棚の引き出しを秋人は開け、中からトランプを取り出した。

「なんで、トランプがあるの?」

「ほかにもオセロ、将棋、囲碁、初代人生ゲームなんかもある。みんな先輩たちが置いていったのさ。暗室は狭いし暑いしとにかく中に入れる人数は限られているから、現像まちの暇な時間を遊んで時間を潰してたんだ。あと、サッカーボールや卓球のラケット、バットにグローブ、バレーとバスケのボールに竹刀なんかもあるよ」

 秋人は足下に転がるサッカーボールを拾い、涼にみせる。

 それには「サッカー部専用」と書かれた薄汚れた文字が読めた。

「どろぼうはいけないんだー」

「そうだね」

 秋人は笑いながらトランプをきった。



「ウチのクラスは歌をうたうんだよ」

 涼はカードを三枚出していった。

 文化祭はそれぞれのクラスが今までどんなことに取り組んできたのかを発表することになっている。

 劇だったり、壁新聞だったり、合唱だったり、その方法はいろいろだ。

「合唱するんだ、酒元さんのクラス」

「うん。あの素晴らしい愛をもう一度。私的には、イヤなんだけど」

「流行の歌じゃないんだ」

「うん。担任の先生がダメだって」

「古い歌もいいとこあるし……僕は好きだけど」

 秋人はカードを二枚出す。

「ふーん」

 涼は三枚取り、机の上にカードをふせた。

 秋人も二枚とる。

「あ、ツーペア。酒元さんは?」

「ワンペア、……もう一回」

「いいよ」

 秋人はトランプを集めてとぎはじめる。

「アッキーのクラスは?」

「うちは紙芝居。綿菓子とカルメ焼きと飴を作って、来てくれた人に配るんだ。昭和レトロをイメージした縁日風に」

「へー。校内だけの文化祭で店出すの? お金取るの?」

「タダだよ、全部。担任の寺門先生が自腹切って出してくれるんだ。作るのは僕らだけど」

「へえー、すごい、ぜったいいく!」

「ありがと。酒元さんのクラス、絶対観に行くから」

「私、一番前だから。やくそくだよ」

 秋人は涼の差しだした小指に小指を絡めた。

 そのあと三回、ポーカーをしたが涼は全敗してしまった。

 涼は「ポーカーはイヤだ」とだだをこねたのでオセロをすることにした。

「合唱の練習はいいの?」

 秋人は黒を上にしてコマを置く。

「放課後するの、昼休みは自主」

 涼は白を上にしてコマを置く。

「ところで酒元さん、うちのサークルの、文化祭の……あれって、進んでる?」

「そのことでくみちょ~に相談があったんだ」

「屋上にいるだろ、今日は当番だから」

 秋人が黒のコマを置く。

 もうすぐ角が取れそうだ。

「ううん、かずっちはいたけど、いなかったよ、かわりに洋子先輩がいた。なんか、こわい顔してたけど」

「こわい顔?」

「くみちょ~とケンカかな、でもそれはないか、フラれてるしー」

「フラれてる?」

 おどろく秋人。

 涼の一手が角を取った。

「だって、アッキーとつきあってるんでしょ? 洋子先輩とアッキー、彼氏彼女の関係。くみちょ~が言ってた」

「志水君が? いつ?」

 反撃開始。

 秋人は別の角を狙ってコマを置いた。

「六月……だったかな?」

「はぁ~、勘違いしてるよ。ちがうって」

「そうなの? ふーん……洋子先輩、なにに怒ってるのかな」

 涼は白を角に置き、一列全部ひっくり返した。



 昼休みの屋上。

 久しぶりの青空。

 雲は高く、いわし雲が観える。

 洋子は空を観ながらベンチに座っていた。

 片手には栗きんとんを握って。それを放り投げて口に入れる。

 購買部で購入した栗だけをこして作られた一つ百五十円(税込み)の栗きんとんは高いだけあって、じつにおいしい。

 ……おいしいはずなのだが。

 洋子はぼんやり空を眺めた。

 大会に無理矢理出されて以来、陸上部の練習に出ている洋子。

 八月を過ぎれば三年生は部活に出てこない。

 かつて自分を追い出した先輩たちはもういない。

 だから、先生に言われるまま戻ったのだろうか。

 洋子は自分自身に問いかける。空はどこまでも広がり、太陽が眩しい。ときどき頬にふれる風が秋の匂いを運ぶ。九月はもう秋なのだろうか。

「買ってきましたよ」

 屋上のドアを開けて和樹が戻ってきた。洋子にビニール袋を渡すと「ふー」と、ひと息つく。

「ごくろーさん、悪いねぇ羽林君。そうよ、これこれ」

 袋から取り出されたのはブドウの果肉をそのまま閉じ込めたブドウ寒天と、紅さつまで作られたキンツバ。

 どちらも購買部でしか買えない、秋だけ特別限定商品である。

 洋子はおいしそうに食べ始めた。

「あの……」和樹は声をかける。

「ん? なに」

 モグモグ口を動かしながら顔を向ける洋子。

「お、お金……立て替えたんで」

「いくら?」

「ブドウ寒天ひとつ百五十円を十個、キンツバはひとつ二百三十円が八個、合計三千三百四十円です。税込みですから。はらってくれませんか?」

 洋子は応えることなく食べ続ける。

 途中、喉につまりかける。

「飲み物……ない?」

「麦茶缶なら……僕のですけど」

「……ちょうだい、つまった」

「は、はい」

 和樹は蓋を開け洋子に手渡す。

 洋子は一気に飲む。

「ング、ング、ング……、ふー、助かった」

「よかったですね、あの……お金ですけど」

「男がそんなことで、グダグダ言わないの」

「……先週、貸したお金もまだなんですけど」

 和樹は泣きそうな声で言った。

「これくらい、志水君ならおごってくれるのに」

 洋子はそう言いながら財布を取り出し、借りてた金額を返した。

「これで、やっとCD買えます」

「あ~、財布からっぽ。今月のこづかいなくなっちゃった」

 洋子はキンツバを口に放り込む。

 買ってきてもらったモノはあっという間に目の前から消えた。

「それにしても志水さんも大変ですね。甘粕さんにおごってたらひと財産なくしますよ」

「大丈夫、すきでおごってくれてるから。惚れた弱みってヤツ」

「……つきあってるんですか?」

「そ、そういうわけじゃ……ないけど」

 このとき、洋子の頭を記憶がかすめる。

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