NOTE4

 夕食の片付けを終え、みんなは星を観ることにした。

 でも雲が空をおおっていく。星を観るにはバットコンディションだ。

「くみちょ~、雲でてきちゃった」

 陽の隣で見上げる涼はつぶやく。

 星を観るどころじゃないな。

 陽は下唇を軽く咬んだ。 

 星が観れないならなにしにここまで来たのかわからなくなる。

 昼間は晴れていたのに予報は晴れだといっていたのに。

 山の天気は変わりやすい。

 みんなが観上げる空に薄いカーテンが閉じていく。

「こんなことだと思って、用意しておいたモノがある」

 秋人はニヤッと不敵な笑みをみんなにみせ、テントから自分の荷物を持ってきた。彼がカバンから取り出したのは天体望遠鏡と冷却CCDカメラ、そしてノートパソコン。

「これを使えば雲の隙間から星がはっきり観れる」

 そう言って組み立てようとしたとき寺門先生が止めた。

「悪いがそれを使ってはいかん」

「どうしてです?」

「君らはいろいろ考えながら星を楽しもうとしてきた。しかし今までのやり方では納得がいかなくなったんじゃなかったのか。また同じことをくり返していてはなにもかわらない。そうじゃないかな」

 こくりとうなずいて、秋人はカバンに片付ける。

「星を観るということは特別な行為じゃない。だから特別なモノを使ってみる必要はない。そうは思わないかね?」

 寺門先生の言葉にまたもみんなは沈黙してしまう。

 空は雲がおおって星が観えなくなった。

「自然には自然の都合があるんだよ」

 ポツリ、寺門先生が言葉をもらした。

 そうかもしれない。

 陽は頭の中で考えた。

 自然は人の都合で動かない。

 人が自然の都合に合わせなければならない。

 それが人の使命、それが生物の掟、それが生きること。

 人も生物だから。

 バンガロー前の木々の間からみえる街灯が青白く光り、遠くでけたたましく走るバイクの音、走り行く列車の音に混じって虫が鳴いている。

「先生」陽は言った。「今さらですけど、僕たちがここに来たのは悩みに応えてくれるためですよね?」

 寺門先生の方を向く。

 みんなも寺門先生の方を観た。

 先生は焚き火の前に腰を下ろし、そうだと応えた。

 ゆらめく炎がパチパチと音をたてる。夜の山は夏の暑苦しさを緩和してくれる。

「星をみることは誰にでもできることだ。肉眼ではみにくいから道具を使い、パソコンまで持ち出した。星のことをもっと知るために空に目をつけ、雲と太陽を観ることにした。いろんな手をつかって星を知ろうとしたがおもしろいとは思わなくなった。だからワクにとらわれない自由な観測をしようと考えたが昔観た星の印象にはかなわない。今観る星と昔観た星を比べると、どうして昔の方がきれいと思えるのか、というのがみんなが悩んだことだったよな。そしてワシはその答えを教えてやるといった。その場所に連れてくると。そうだったな、志水君」

「はい、そうです」

「ここがそうだ、そして違うともいえる」

 陽は首をかしげた。

 なにを言ってるのかわからなかった。

「志水君、それにみんな。さっきも言ったように星を観ることは特別なことじゃない。コンクリートとアスファルト、人の手で作られた街の中で唯一の自然、それは空だけ。ただ観上げるだけで誰もが手軽に自然を目にできるんだ。そんな手軽なモノを観るのに、星を観ることに特別なことじゃないのになぜ特別なことをしなければならない? そうは思わないのかね」

「街の中じゃきれいに観えません。だから山や海に……」秋人は言う。

「がはははは、街の中だとどうして観れないのかね」

「街が明るいからです」

「なぜ明るい? どうして明るくしなければならない?」

「暗いと……危ないし、それに不便だし」

「その通り。夜が明るいのは人にとって便利だからだその便利さゆえ、星を観ることができないんじゃ。世の中、特別が多すぎる。アスファルトを車が走り、レールの上を電車が進み、飛行機が空を飛ぶ」

「便利がいい、今日だって、山道歩いて、足、むくんじゃったよぉ~」

 涼は少しムキになって言った。

 寺門先生はニヤつく。

「昔は東京から大阪、長崎、日本中を歩いて移動してたんだぞ。馬や船という手段もあったが基本は自分の足で歩いたもんだ」

「そんな時代劇の話されても、わかんない、ムカシはムカシ、今は今、涼ちゃんにはカンケーない」

「ははは、そうだな。でもワシが言いたいのは本来人間とはそれぐらいの距離を歩くことができると言いたいんじゃ。歩ける能力を持っているのに使わない。使わないから歩けなくなる。便利さは人を不便に作り替えてしまう。運動もしないで特別な食事、ダイエットなんておこがましいと思わんかね」

「私は普通に食べて、運動もしてます」

 洋子は涼をかばうように口を挟んだ。

 寺門先生は含み笑いをした。

「特別な食事をしているだろ」

「してません。普通です」

「ほぉー、普通か」

「はい」

「それはレトルトかい? コンビニの弁当? ファーストフード? インスタント? ジャンクフード? それらを普通といいたいのかね? 違う、それを特別という。豪華に飾り立てられ、食材の数ばかりが皿を彩っているだけだ。ムカシのことを引き合いに出すつもりはないが食事で大切なことは、あるもので工夫することだ。今じゃレシピがなければ作ることができない人が多いときく。便利さが工夫をなくしているとは思わないかね」

「そんなこと……ないと思います」

 ボソッと和樹がつぶやいた。

 寺門は下卑た笑いをした。

「がははははは、本当に羽林君はそう思っているのかね?」

「……はい」

「それはとんだ見当違い、誤った認識だぞ。それなら聞くが、どうして人の作り出した街はどこも似たり寄ったりで風情もなければ活きもないのかね。各駅におりて並ぶビルや店の数の差はあっても、その街の特色、らしさがないのかね。過疎と過密だけでしか観ることができないのはなぜかね。ひとえに便利さを求めた結果、というのは言い過ぎかね? それを工夫がないと言えないかね、どうだ」

「どうだと言われても……」

「上も下もないただの横並び、どこもかしこもおもしろい場所もないありきたりな街は楽しいかい? 便利なだけの場所はおもしろいかい?」

「先生、待って下さい」

 祥子がうつむいてしまった和樹に変わって口を開けた。

 寺門先生は静かに笑った。

「なにかな、米倉君」

「私は自分の暮らしが便利かというとそれほど便利じゃないと思います。それに不便な昔があったから便利な今みたいな場所を作ってきたんじゃないですか。まだまだ都心に比べたら、地方に住んでいる私たちは不便です」

「ほぉー、さすが三年生。で、米倉君。どの点がかね?」

「情報システムとか」

「んー、確かに都市部に比べれば君の言うとおり、まだ差はあるがネットの発達でそれもやがてなくなっていくだろうな、具体的にはどの点が便利になればいいのかね?」

「電子マネーとか、IDとか、やっぱりどこにいてもオンタイムで情報交換できるようになれば」

「そうなればいいと」

「簡単に言えば、そうですね」

「確かに便利だろうな。レジのおばちゃんの顔観ずにカードで買い物できたらなあ。車なんかも運転しなくてすむようになって、家にいるだけでその場に行った気になるくらいリアルな情報が手軽に入るようになったらすごいだろうな。そうすると人間はなにもしなくていいわけだな。家に閉じこもっていれば情報は入るし、人と顔会わすことなく買い物もできる。それが本当に便利か?」

「先生、それは飛躍しすぎです」

「ははは、そうじゃな。でも、そういうことじゃないかね。今のまま便利さを求めていけば完全管理社会という世界になっていくだろう。ストレスとなる障害を一切取り去ったノンストレス状態の世界。だが逆に抑圧され、いつか内に貯まったウップンが爆発し、暴れてしまうぞ。そうなったら受験ストレスの比じゃない。社会がそうなったら、もう逃げ場所がなくなるからな」

「でもそれって、私たちが悪いんですか?」

 祥子は冷たい口調で言った。

 寺門先生は急に真面目な顔になった。

「いや。善悪を言うならワシら大人が悪いかもな。少なくとも今の世は君たち以外の誰かが望んだ形だろうから」

「だったら」

「ワシは、なにがいいのか悪いのかを問題にしとらん。どうして星を観て昔のようにきれいと感じなくなったのかを言っている。人が日常の中で経験していくことは身体を通してしか身につくことなんてできないんだ。枝にぶらさがるとき、折れそうだからヤバイとか、ぬかるみに足をいれるとき、すべって転ぶからマズイと、いつの間にか覚えたことはからだで覚えたことなんだ。もっとわかりやすいく言えば赤ん坊が言葉を覚えていくのは周りの環境から学んでいるからだ。植物だって勝手に芽が出て大きくなるように観えるかもしれないが、大地に根をはり栄養を吸収して成長している。観葉植物は特に人の手をかけなければきれいになんて育たない。環境適応能力、大器晩成、ローマは一日してならず。大事なことは、人は自然から知らず知らず学ぶんじゃ。それはどうしてか、わかるかな。志水君、どうだ」

 急に視線が陽に向けられた。慌てて考えるが答えは浮かばない、思わず首を振る。

「ほかのみんなの顔観ても、わからないという顔しとるから特別に教えよう。人間はけして人間同士の関係では生きていけない。ワシら人間は地球の生物のひとつ。自然と人間が作り上げた文明が、きわどい対峙関係をしているところでワシらは生きている。高い壁に囲まれた安全な所で人間同士が葛藤し、格闘し、悶着するだけではない。人が死んでいくのも、地震が起きたり台風が吹き荒れるのも、女の子が赤ん坊を産んで母になり、ひとつの命を持った生き物として感じるのも自然と向き合って生きているからだ。自然の影響から逃れて生きていくことはできないんだ。森の闇のあやさしさも、恩恵の温もりもない今の街はなにも教えてはくれない」

 寺門先生は寂しく笑った。

「自然はいろんなことを教えてくれる。今日という日が二度とない限りのある時間だということを。だから今を大事に、大切に生きようとする。そして星を観る。その星はきれいだろう。星がきれいでいつまでも胸に残るのは思い出にしないからだ。記録や知識を詰め込むことに時間を奪われ、本質を見失っている。ワシは大人としてそれが悲しい」

 寺門先生は、何をどうすればいいのか答えはもうすでにでている、後はやるべきことをやるべきなのだと言い、これからはそういう時代だと呟いた。



 翌朝、みんなより早く目が覚めてしまった陽はバンガローを出た。

 太陽と一緒に起きるというのは気分がいい。

 ましてここは山、悪いわけはないと陽は思った。

「おはよ、陽クン」

 顔を洗っているとき声をかけられた。慌てて振り返りる。

「米倉先輩、おはようございます」

「はやいのね」祥子は水場に近づく。

「先輩も早起きですね」

「わたしの場合は習慣かな」

 受験勉強ですか。陽はタオルで顔を拭きながら祥子に場所を譲る。

「来年は我が身か……ちょっとイヤだな」

「そうでしょ、できればしたくない」

「そうですね」

「でもしなくちゃいけないの」

「はぁ」

「就職するなら別だよ」祥子は顔を洗った。

「そういうわけにも。先輩は、志望校とかは決まってますか?」

 祥子はタオルで顔を拭きながらうなずき、でもナイショと言った。

「将来、なにするんです?」

「図書館司書」

「具体的ですね」

「本好きだから、好きなことしたいじゃない。ちがう?」

「そうですね」

「陽クンはなにしたいの?」

「僕は……自分でもなにしたいか……まだわからなくて」

 ふーん。祥子はタオルを首にかける。

「自分の夢持って、自分の考えしっかり持ってて、先輩ってすごいですね」

「なに? ひょっとして私のこと口説こうとしてる? 年下に興味ないから無駄なことはしない方がいいよ」

「べつに……そういうつもりじゃ」

「わかってる、わかってる。陽クンの好きな子はズバリ、洋子ちゃんでしょ」

 陽は黙って顔を背けた。

「図星?」

「二度寝しようかな」陽はバンガローを振り返る。

「こらこら逃げないの」祥子は陽のTシャツをつかむ。「どうなの?」

「どうって、べつに……そんなんじゃ」

 うつむいてぼそぼそっとしゃべる陽をみて、祥子は手を離した。

「そういう風にみえたんだけどな~、ちがったか……そっかそっか」

 陽は胸をなで下ろしてため息をついた。

「盆すぎれば、夏はあっという間に終わるね」

 祥子の言葉に陽は小さくうなづいた。

 祥子は少し考え込んでから、

「ちょっと、つきあってくれない?」

 と言う。

「はぁ?」

「私とつきあってくれないって言ってるの?」

「あの、冗談は」

「マジなんだけど、陽クン」

 どこかでセミが鳴きだした。

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